伊豆「風雲児たち」旅行記3 | Rucca*Lusikka

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横浜のwebデザイナー&ライターRucca(ルッカ)のサイトです。ノート術で人生を楽しくおもしろくすることをテーマにブログを書いてます。

もう結構たちますが(汗)、ブログのテンプレートを変えてみました。

とはいえオリジナルではなく、ココログのバージョンアップで新しく増えたヤツです。メインの記事のフォントが小さいのでちょっと大きさを変えてみました。本当はあとワイドも変えたいんだけど、これはちょっとハードルが高い。。。たまたまここに立ち寄ってみたら大きくレイアウトが崩れていたりしましたら、ああ、今悪戦苦闘中なんだなと、生暖かく見守って下さいませ。

さて、GWどころか母の日も終ってしまいましたが、しつこく伊豆日記の続きです!

おいしいランチを楽しんだのはいいけど、なにげにもう3時でした。あー夕飯までにおなかがすくかな~?ということで下田をもうひと巡り!

やはり松陰先生がアメリカ密航を企んだあの銅像は外せない!

ということで、その場「踏海の碑」に向かいます。地図を見ると近くに玉泉寺というお寺もあります。ここは初代アメリカ領事館がおかれたところ。ついでに行ってみようということで先に玉泉寺へ。

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門前にディアナ号の事故で亡くなったロシア人水兵さんのお墓もあると看板が立てられていました。横浜でいうと外人墓地ですね。

当時の船乗りって、ある意味もう二度と故郷に帰れない覚悟で船に乗っていたんだろうなぁ。ディアナ号乗組員のみなさんは、船が沈没して日本で新しい船を建造してもらって、無事みんなそれに乗ってロシアに帰りました…めでたしめでたし?

…と言うわけにはいかず、日本で作った新ディアナ号(戸田号)はかなり小型だったため全員が乗り込むことができず、多くの乗組員はアメリカの船に乗せてもらってロシアに帰ったそうですが、当時ロシアはイギリス・フランスと戦争中。途中イギリスの船に発見され、捕縛されイギリスに捕虜として連れていかれてしまったそうです。

戦争が終わっても、捕虜をわざわざロシアまで送ってくれるわけもなく…なんとも波乱万丈ですなぁ。。

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さて、この領事館(お寺だけど)で初代駐日公使となったハリスさんですが、慣れない日本の暮らしや不自由な生活、なかなか進まない交渉のストレスで体調不良になってしまいます。

牛乳が飲みたい、でも日本には牛乳を飲む習慣がない。そこで八方手を尽くしてやっと牛乳を手に入れ飲んだ、ということでこのお寺は「牛乳発祥の地」?としてこんな石碑がありました。売店で牛乳も売ってましたがどうみても普通の牛乳なのでやめました(笑)

ハリスさんといえば「唐人お吉」さんが思い出されます。体調不良のハリスさんが、身の回りの世話をしてくれる看護婦を幕府に要求したところ、勘違いをした幕府が遣わしたのが売れっ子芸者のお吉さんだったという話。

堅物ハリスさんはすぐにお吉に「そういう意味で来てもらったんじゃない」と、牛乳を飲んで体調が良くなった後には解雇してしまったそうなんですが、世間はそうは思ってくれず、「異国人と寝た女」と蔑まれ、お吉さんは結局その後の人生ずっと「唐人」の汚名を負わされてしまったのでした。

マンガ「風雲児たち」では、お吉さんは後ろ指さされながらも、しゃんと背筋を伸ばしているようなサバサバしたキャラになってましたが、実際のお吉さんは晩年はアル中で投身自殺、と、かなりお気の毒な人生だったようです…。

さて、玉泉寺をひと回り見学させて頂いたあと、松陰先生の像に向かいます。

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「先生!無茶です!!」

でも誰も止められない、ノンストップな松陰先生!!!

マンガ風雲児たちは今のところ安政の大獄の手前くらいなので、まだまだ幕末序章&松陰先生もまだお元気であります(でももうすぐ・・・うう)。

大河ドラマの龍馬伝では前回はついに「攘夷決行」でした。しかし実際に異国船に大砲をぶっぱなしたのは長州藩だけだった、という。

その長州藩がなぜにあそこまでぶっ飛び続けたのかというと、やはり松陰先生の影響力なんでしょうねぇ。なんせ密航を企んだお人ですから。

この人絶対、目が澄んでるだろうなぁ…あと背中に「哀愁」はこれっぽっちもないだろうなぁ(謎)

Sensei
↑ちなみに「風雲児たち」の松陰先生はこんな感じ(・o・)

平和な時代に生きてたら、この人は有名な教育者になってたんだろうなぁ…いやいや今でも教育者として名を残していますが…少なくとも長生きはされていたのでは。その分功績も多く残されてたのでは。いや、今でも充分功績は残っていますが。。。
なんだか、平和な時代に生きてる姿を想像できない人っていうことに今気が付きました(^_^;)

松陰先生の辞世の句は

身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂

が有名ですが、遺書にあったというもうひとつの、

親思ふ こころにまさる親ごころ 今日の音づれ何と聞くらん

これがね…単なる過激な思想家ではない松陰先生の優しさというか、こういう人だからこそたくさんの弟子たちに慕われてその志が受け継がれていったんだなって思います。

とりあえずまだまだ続く!!

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