思い出を蓄積していくもの、食器が繋いでいくもの。 | Rucca*Lusikka

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日々の気づきをノートに綴っていく。その時間が自分の未来をよりおもしろいものに変えていく。そんな気づきの一滴をすくって描くRuccaのブログです。Lusikkaはフィンランド語で「スプーン」のことです。

私は食器が好きだ。小さい頃からデパートなどの食器コーナーが大好きで、きれいなお皿やグラスを眺めてはいつまでも飽きなかった。

 

テーブルウェアフェスティバルにて。信楽焼の食器。

テーブルウェアフェスティバルにて。信楽焼の食器。

 

テーブルウェアフェスティバルで撮影

こちらもテーブルウェアフェスティバルで撮影。毎年の楽しみイベントです。

 

大人になってもそれは変わらずにいる。かわいいマグカップ、お皿、小鉢などを見るとすぐ欲しくなってしまう。

しかし我が家には食器棚というものを置くスペースがないのと、二人暮らしということもあってあまり食器を必要としないためそんなに数はない。ごくふつうレベルの食器好きだ。焼き物に関して特にうんちくを語れる知識もない。

 

しかもローソンのリラックマフェアで必死にシールを集めてしまうくらいジャンキーなものも好きである。こだわりの逸品志向というわけでももちろんない。

 

信楽焼が好き。

信楽焼が好き。でもリラックマも好き(笑)

 

現実に購入することはなくても、美しい繊細な細工のものや、釉薬の絶妙な色合いのものや、思わず触ってみたくなるような肌感のもの、そういうのをうっとりと見ているだけで幸せな気持ちになるのだ。

 

3つ並べたポット。

3つ並べたお気に入りポット。

 

先日、従姉が家を新築しお祝いに招かれたので、都内某所のそのお宅を母と一緒に訪問してきた。

従姉がいろいろ手料理を作ってくれて、向かいに住む伯母(母の姉・従姉の母)もお赤飯を作って持ってきてくれて、さらに近居してる従姉の姉も来て賑やかな食卓になった。

 

その食卓に並べられたいくつかの和皿に見覚えがあった。私の実家にも同じものがあって、昔から正月や来客があった時などに利用している。

 

「あ、このお皿うちにもある!」

 

というと、従姉の姉も「うちにもあるわよ」という。もう亡くなった、母たち姉妹の一番上の兄であった伯父が、何かのお祝いの時に世帯を持っている親戚に贈ったものらしい。伯父は焼き物が好きで、イベントがあるとよく人にプレゼントしていた。

そんなわけでしばらく、料理を食べながら、「このお皿はたしか○○ちゃんが結婚した時のお祝いだ」「これは会社が○周年の時に配った記念品かな?」「兄貴は焼き物好きだったからね」「プレゼントするのも好きだったね」などと、優しかった伯父の思い出話に花が咲いた。楽しい一日だった。

 

懐かしい食器が並んだ食卓。

懐かしいお皿が並んだ食卓。

 

母が帰りに「血のつながりっていいね~」といった。こうして誰かのゆかりの同じお皿を持っていて、それにまつわる共通の古い思い出があって、懐かしく笑い合えることができるからと。

 

昔は親の親戚づきあいに同行してもなんとなく退屈だったんだけど、最近はこういう感覚が少しわかるようになってきた。伯母は90歳。気持ちも口も(笑)お達者ではあるけれど、それでもさすがに足腰は弱ってきた。

明るくて派手でお洒落で気風の良い伯母、どうかいつまでも元気でいて欲しい。

 

食器のプレゼントというのは、重たいしかさばるし、その人の趣味もあるので最近は親しい人にじゃないとなかなか贈らないかもしれない。結婚式の引出物にいただく高級ブランドのペアグラスというのも、ありがたいけどたいてい箱にしまったままだ。

ただ、食器というのはなぜかその贈り主と、それをいただいた時の記憶にしっかりとひも付いてることが多い気がする。「お祝い」としていただくことが多いからだろうか。それとも単に私が食器好きだからなのかな?

 

何年か前に、実家の大掃除で食器棚を整理した時、懐かしい食器がいっぱい出てきた。家族旅行で行った温泉街で色付けした湯のみとか、こんなのまだ取ってたんだ!的な。

 

子どものころ誕生日などのイベントでは、大きなクリスタルの壷のような器の縁にガラスのカップが掛かっていて、壷の中にはジュースとカットフルーツが入っているフルーツポンチ(パンチ)というのが人気だった。

 

フルーツパンチ。

フルーツポンチ。画像をググってみたけどいまどきのおしゃれなものが多く昭和テイストのものは見つからなかった

トレンド予想!海外で流行ってるシェア系カクテル「パンチボウル」って? │ macaroni[マカロニ]より写真引用

 

自分の誕生日でもやってほしい!と親にねだってこのセットを買ってもらった。我が家の財政的には安くはないものだったと思うし、団地の間取り的にも収納に困る大きさだったけど、お正月に来る甥&姪たちに人気&かなりテーブルが華やかになるためけっこう活躍していた。

懐かしい昭和の思ひ出。あれ、掃除した時には見なかったので、いつの間にか捨てちゃってたのかな。

誕生日プレゼントで友だちにもらったキャラクターのマグカップとかも絵柄まで覚えている。最初はキティちゃんだった。すごくうれしくてずっとお気に入りだった。

 

そんな風に、食器にまつわる思い出は幸せなことが多い気がする。

 

食器は「食べること」という日常と切り離せない。
毎日使うことで、楽しいイベントで使うことで、食器には思い出が蓄積されていくのだ。

 

 

コツコツ集めました。

コツコツ集めました。

 

食器を人に贈るのはけっこう難しい、しかし食器は親しい人からもらうと嬉しい(注・べ、別に催促してるわけじゃないですとも!)、食器には思い出が蓄積していく、食器は人と共に生きる、食器にまつわるエピソードは忘れにくい。

 

若いうちは「良い食器」の意味も価値もよくわからなかったし、今も好きなだけで「わかって」はいないんだろうけど、甥や姪がいつか所帯を持ったらちゃんとしたお皿のセットを贈ってあげる事ができるくらいの「大人」でありたいな。

あのおばさんがくれるならいいものに違いない、邪魔だけど取っておこう、と思ってもらえるような。(いらない?ってがっかりされる可能性は高いが)

 

 「脈絡なく集めたものが、幼い日、自分が使っていたものに似ているということである」

「女の人差し指」向田邦子著より引用

 

これは食器を集めるのが好きだったという向田邦子さんのエッセイにあったことば。すごくこの感覚わかる。食器とは家族の思い出、幼いころの思い出を象徴するのだ。

 

従姉の家の食卓を見て、懐かしい気持ちになったのでありました。

 

参考書籍

 

 

●おまけばなし●

伯母「聞いてよ!わたしやっと介護認定「2」が取れたのよ!!」

母「あら~!良かったじゃない!おめでとう!!」

・・・なんかよくよく考えるとヘンじゃないかこの会話、と思いつつ、まあ嬉しそうだからいいやと思ったのでした(笑)

 

 

 

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