代わりのきかないものを恐れずに愛して大切にしていきたいと思った | Rucca*Lusikka

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横浜のwebデザイナー&ライターRucca(ルッカ)のサイトです。ノート術で人生を楽しくおもしろくすることをテーマにブログを書いてます。

少し前の話。

とある混雑した場所で順番を待っていた時にお手洗いに行きたくなり、「すぐ戻ります」という意味を残すためバッグは持ってストールだけ椅子の上に置いて席を離れようとして、ふと「いない間にこのストールがなくなっていたらどうしよう」と思ったことがあった。

でもすぐ「高価なものじゃないし、なくなってもまあいいか」と思い直した。

その後、そんななくなっても惜しくないものをいつも身に着けてる自分っていうのに気がついて、しばらく微妙な気持ちになった。

最近「モノを所有する時の基準になるもの」について考えることが多いです。

この時みたいにひとりで外出した先で「何かを残して席を離れる」必要があった時、私は「なくしたくないもの」だったらまず置いていけない。

たまにカフェでノートパソコンをテーブルの上においたまま手洗いに行く人を見るけれど、日本は治安が良いとはいえ盗まれたらどうするんだろうと他人事ながら心配してしまう。

では常に用心深いのかというとそうでもなく、あちこちで忘れ物をすることも多々あるのですが…(1年以内で財布、アクセサリー、マフラー…)

私がこの時微妙な気持ちになったわけは「安物のストールだからいいや」と思ってしまったこと。

どんな服にも合って肌触りも良かったそのストールはかなりのヘビロテアイテムだった。安かったわりにいい買い物♪と思ってたそれを「安物だから(失っても)いいや」と思ったこと。

私にとっての「失いたくないもの」って、「お気に入りでよく使うもの」よりも「価格が高かったもの」なのかな?って。

なんだか愛のない、貧しい考えかただなと思ってしまったのだ。

実家の荷物の整理

私の実家は昔は5人家族だったけど今は母がひとりで住んでいる。

幸い元気なのでいまのところ心配はいらないけれど、年をとったら防災的な面からも荷物は少ない方が良いということで、たまに実家に帰るとあれこれモノの整理を手伝う。

ひとり暮らしには無駄に広い家なので空いた部屋はほぼ「物置」状態。年をとると「捨てる」ことが精神的に困難になるというのはよく聞くけれど母も例外ではない。

物理的に大きいものや重たいものは仕方がないとして、困るのが「思い出もの」だ。古いアルバムなどがまさにそれ。

ひとまず写真はデジタル化させようと、そういうアプリをダウンロードして試しに20枚ほどデータにしてみた。けっこうきれいに保存できるのでこれで全部スキャンすればアルバムは処分できる。

古い写真をスマホカメラで撮って、あとで歪みをきれいに補正できるアプリ使用。

ところが困ったことにデジタル化したのにアルバムを捨てる気になれない。古い写真というのはある意味、印画紙ごと、アルバムごとひとつの思い出なんだということに気がついた。

結局、実家がまだあるうちは置く場所があるんだから置いておけばいいじゃないかということで結局そのままになりそう。

うーむ(笑)

ひとまず思い出モノはそのままにして、使わない食器とかカビた本とか古い布団とか母のクローゼットの着ない服などから容赦なく片付けていこうと思っている。

高齢者のモノの整理には、それ相応の順番というのがあるのかもしれない。

お金では買えないものは失くしたくないけれど

少し高価だけど、とても気に入った腕時計を購入したとします。

そんな時、お気に入りだから日常でいつも身につけていたいですか?それとも普段は大事にしまっておきたいですか?

私は身につけていたいと思うタイプ。腕時計ではないけれど、前に戸水賢志さんの個展で購入した「宇宙ガラス」のネックレスがとてもとても気に入っていて、冠婚葬祭以外ではどんな服のときでもお守りのように身につけていました。

私の宇宙ガラス

宇宙ガラス…真ん中のオパールの色が光によって変わります。

ところが、去年の年末この大切な宇宙ガラスをある場所に置き忘れてしまった。気がついて真っ青!

宇宙ガラスは今やすごい人気で抽選販売でしか購入できなくなってしまい、その倍率もとんでもなく高く毎回エントリーしてるけれど当たる気がしない。お金があっても運が無いと買えないモノになってるのだ。

でもラッキーなことに、拾った方が警察に届けてくださったおかげで戻ってきました。本当にホッとしました。

そんなことがあったのでしばらく身につけるのが怖く、かといってネックレスなしでは胸元が寂しいので、同じような革紐の別のネックレスを身につけていました。

インコをモチーフにした作家さん手作りの一点もので、これはこれでお気に入りなのですが「宇宙ガラスの代理」のような気持ちで身に着けていると、気に入って買ったモノのはずなのになんだか「失くしてもいいもの」とか「二軍」的に扱っているようで落ち着かない。

なので宇宙ガラスをしまい込むのはやめて再び身につけるようになり、このインコネックレスと共に服やその時の気分で付け替えるようにしました。

なくしたらと思うと怖いけれど、なくさないようにすればよいのだ。

モノではなく愛を増やせば孤独にはならない

話が飛びますが、昔、知人で常に恋人が複数いる人がいました。

モテる外見をしていたので来るものを拒まなかったら結果そうなった、のかもしれないし、恋人や本命を「ひとり」にしてしまうと、失った時の寂しさに耐えられないから常に「キープ」を用意しておきたい心理もあったのかもしれない。しかし私にはよくわからなかった。

ひとりになるのは寂しいから今の恋人と別れたくてもなかなか別れられない、という人もいた。これは少しわかる気がした。

以前、とある年配の男性が亡くなって、長年連れ添った奥さまがその後うつ病になってしまったという話を聞いたことがあった。奥さまは家庭的な専業主婦で、ひとりでは行動せず常に夫といるタイプの方だった。とても仲が良いご夫婦だった。

共働きで、週末は父とは別行動が多かった私の母は「○○さんはあまりにも家庭的だったから旦那さんが亡くなって張りあいがなくなってしまったのかね。女もひとりでいろいろ行動できるようでいないとダメだね。」

と言っていた。その時は私も同じように思った。結婚してもあまり旦那ベッタリにならず、仕事をして自立し、自分の趣味と時間・友人を持ち続けることが大事だと。

でもしばらくしてまた思ったのは

「失ったら生きていけないほどの相手と添い遂げられたことは、ある意味幸福じゃないか?」だった。

クールなことを言ってたうちの母も、父の病中には精神的に不安定になって、父が亡くなってからも何年か薬が必要だった。そんなにラブラブには見えなかった夫婦でもやはり片方がいなくなるというのは相当心に堪えることなのだ。

今はもう元気になってひとり暮らしを満喫していますが、それでも5年以上はかかった。

先の奥さまのように、失ったら残りの人生を普通に生きていくことが困難なほど愛するものを得たことは、失った時の孤独を思うとすごく怖いけれど、それでも幸せなことだと私は思う。

別に家族だけじゃない。愛する対象のすべて。

さらに仕事を愛して、趣味を愛して、友人を愛していれば、孤独はもっと凌ぎやすくなる。愛は増やしたほうがいいのだ。

しかし、なくすのが怖いから使わない、常にスペアを用意しておく、なくしても惜しくないものしか持たない。

それは愛がない。それには自己愛しかない。

麻央さんが旅立った日は夕焼けがきれいだったらしい。その日偶然撮った写真。

小林麻央さんの訃報は私もショックだった。彼女のブログをずっと読んでいたので、良くなって欲しいとずっとずっと願い祈っていた。そして今、海老蔵さんのブログを読むと麻央さんを失った悲しみと、麻央さんへの愛と感謝と、そしてまた悲しみとが交互に襲っているのが伝わって胸が痛む。

麻央さんのブログは有名人のブログだから、がん患者のブログだからだけで多くの人に読まれていたわけじゃない。麻央さんの文章は、麻央さんというひとりの女性からの、夫への、子どもたちへの、家族への「愛してる」のメッセージがぎゅっとつまったもので、それは共に病魔と闘うがん患者さんやその家族の枠を越えて、多くの人の心にあたたかくやさしく響いたからだと思う。

私にもそれが伝わった。いつもあたたかい気持ちになった。なんて素敵な人なんだろう。

恐れずに、愛したいものを愛していこう。今はそういう気持ちでいっぱい。・・・なんか柄でもないことを書いていますが、これも麻央さんがくれたマジックだと思おう。

人との向き合い方も、モノとの向き合い方も、大切な軸は自分の中の「愛」なんだなと。なくしたら困るから寂しいからという理由で増やすのではなく、愛で増やしたい。

自分の中に愛するものを増やせる器を持ちたい。失った時は大いに悲しんでその時どんなに孤独になってもいい。代わりのきかないものを恐れずに愛して大切にできる自分でありたい。


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