元愛国少年の「満身創痍で追い詰められ土壇場で逆転勝ちロマン」〜昭和スポ根を考える。 | Rucca*Lusikka

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お盆休みは特に取ってませんが、この時期はお互いの実家に行くので親たちと話す時間が増えます。

先日は夫の実家(両親・兄一家)での食事会。両親は共にもう80代だけど元気。今回は銀座の洋食屋さんに行きましたが、お父さんはなんとポークカツレツを頼んでいました。

老いても元気かどうかって肉を食べれるかが大きい気がする。私は年々揚げ物が胃に厳しくなってきています。むむむ。

看板メニューというオムライス。卵をご飯に混ぜてから焼いてて珍しくも美味しい!

さて。

8月は終戦記念日のある月なので、戦争について考えることが多くなる。

夫の母、私の両親は同世代で終戦時は9〜10歳、夫の父は少し年上で高校生くらい。

私の母が語る戦争体験は疎開の話が多く、9歳で親元を離されての集団生活は毎日空腹でホームシックで辛かったということをよく聞いていた。父も同じくどこかへ疎開していたらしいけれど父からその話を聞いた記憶はほとんどない。

夫の父は戦争で両親・兄弟を全部亡くしたそうで多分とても苦労をしたと思うのだけど、夫もあまり詳しい話は聞いたことが無いらしい。

お元気なうちにお話を聞いてみたいと思うのだけど、あまり本人にも楽しい話ではないだろうし、実子にも話してないことを聞くのはなんだかためらわれていまだ聞けずにいる。

先日ツイッター上で、戦争中愚かな作戦によって亡くなった若い兵士たちの死を「無駄死に」と言っていいものなのか?という話題があり、自分もちょっと考えてしまった。

おそらくご遺族は「無駄死にさせられた、悔しい」と思う方と、「無駄死にとは言ってほしくない」と思う方といるのだと思う。

私自身は、どんな理由であれ亡くなった方々の死に対して、他者が「無駄死にだった」「無駄死にではない」などという評価をしてはならないと思っている。それは遺族の方がそれぞれの悲しく悔しい気持ちの休ませどころとして選ぶもので、選んだもので正しいのだ。他者がジャッジするものではないと思う。

亡くなった方を悼み、残された人の悲しみをいたわり、そしてそうさせた当時の時代背景について考える。他者である自分ができるのはそれだけだと思う。

 

ギリギリに追い詰められてからの逆転勝利に酔う気持ち

話は変わって。

いまちょうど高校野球が始まっていますが、私は子どもの頃マンガの「ドカベン」が大好きで夢中になって読んでいました。先日こんなブログ記事が話題になっていまして

正直、31巻は「野球を超えたものを描いている」といっても過言ではないのですが、でも表面上はしっかり「野球を描いている」んですよね。いろんなエピソードはキャラクターの内的世界で起こっていることで、外的世界ではしっかりと「野球の試合」になっている。

内的世界と外的世界をクロスさせて描く、それも明訓四天王を立て続けに描く、さらにそこへ試合展開を絡ませながら描く。読み終わった後、「明訓がなぜ強いか」というのが体感的にわかった気持ちになるし、何より明訓のことをもっと好きになる。

「ドカベン」31巻は、そういう巻だと思います。

ドカベン31巻のすごさについて言いたくて……夏 – マンバ通信より引用

確かにドカベン31巻は神巻だった!何度も何度も大きくうなずきながら読みました。

この31巻は、主人公の山田太郎や岩鬼や殿馬、里中といったおなじみのメンバーが高校2年になる春の選抜甲子園・決勝戦が舞台になっている。

夏に優勝した明訓高校は2連覇をかけて決勝に臨むわけだけど、前年夏に明訓に準決勝で敗れた高知の土佐丸高校が雪辱を果たすため、ちょっと不気味な謎のピッチャー犬神を擁して立ちはだかる。主要キャラたちは野球だけでなくこの試合を通して自らのトラウマや弱さとも戦うという、最も熱い巻なのだ。

ドカベンに出てくる個性豊かな登場人物の中で、特に女子に人気があったのがエースの里中くん。小柄だけどイケメンでプライドが高く熱血で負けず嫌い。この絶対エースが肘を故障するのだ。しかし熱血なのでマウンドに立ってしまう。

ドカベン「小さな巨人」里中くん

Amazonより画像引用

そして無情にも打たれてしまうのですが、チームメイトの熱いバックアップもあり最後は明訓高校が逆転サヨナラ勝ちで優勝!

感動の夏春連覇を成し遂げた明訓高校だけど、その後夏の甲子園に向けて里中くんはしばらく治療で戦列を離れることになってしまった。

今年の夏の甲子園でも、骨折を押して出場した選手がヒットを打って勝った試合が話題になりました。

一度きりの夏、青春、思い切りプレーしたい高校生のピュアな気持ちが凝縮されているのが高校野球で、高校生の部活動のひとつでありながらこんなにも人気があり注目されるのは、日本人が単に野球が好きっていうだけではないと思う。

私の高校野球のヒーローは山本昌さんでした。甲子園出てないけど。

最近では高校生の選手に負担をかけすぎると、連戦スケジュールの見直しや試合開始時間の調整がやっと行われるようになったけれど、それでも怪我をしている選手が活躍して勝った試合が「感動」になったり、女子マネージャーが進学クラスを諦めて部員のために大量のおにぎりを握った話が「美談」になったり、高校野球には「昭和かよ」と思える独特のミームがまだ残っている。

この、高校野球によく見られる「満身創痍でギリギリまで追い詰められたチーム(個人)が、土壇場で大逆転して勝つ」ドラマに感動するのって、8月を背景に、戦中から戦後〜今の日本人マインドとつながってるなと思ったのだ。

昭和の人気漫画家は戦時中の愛国少年だった

子どもの頃は兄の影響で少女マンガよりも少年マンガの方をよく読んでいた。昭和の人気マンガはスポ根でもSFでもだいたい巨大な敵が現れて、主人公たちはボロボロになりながら戦い「かろうじて」勝利する話が多い。

そしてあしたのジョーは白い灰になっちゃったし、侍ジャイアンツの番場蛮はマウンドで死んじゃうし(マンガの方)、優勝投手里中くんは怪我で長期戦線離脱、宇宙戦艦ヤマトは巨大戦艦に特攻しちゃうし、タッチの和也は死んじゃうし、達也は優勝するも肩を壊しその後は普通に大学進学だし、星矢たちは聖衣も肉体も何度もボロボロになるし、桜木花道も試合で大怪我してその後のバスケ人生は語られず。

当時人気のあった少年マンガのヒーローは、最終回で勝利と引き換えに燃え尽きるケースがすごく多い(ただし連載が長引いた場合はたとえ死んでても生き返るw)

こういう話が多いのは、戦後マンガブームで人気漫画家となった巨匠たちがほぼみな戦争中は愛国少年世代だったという影響もあると思う。

手塚治虫さんは1928年生まれ、終戦時17歳。横山光輝さんは1934年生まれ、11歳。松本零士さんは1938年生まれ、7歳。藤子F不二雄さんは1933年生まれ、12歳。藤子不二雄Aさんは1934年生まれ11歳。ドカベンの水島新司さんは1939年生まれ、6歳。

あしたのジョーや巨人の星などの原作者である梶原一騎さんは1936年生まれ、9歳。さらば宇宙戦艦ヤマトの製作者、西崎義展さんは1934年生まれ、11歳。宮崎駿さんは1941年生まれで4歳。

(C) こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会

愛国少年少女で思い出すのは、ロングヒットした映画「この世界の片隅に」に出てくる、主人公のすずの夫の姉の子で「晴美」という5歳の女の子。

この子が印象深いのは離婚した両親の夫側に引き取られた兄の影響でやたらと戦艦の名前に詳しいところ。呉に停泊している艦を見て「あれは武蔵よ、あれは…」とすずに教える。いじらしくて可愛かった。

もうひとつ思い出すのは直木賞作家中島京子さんの小説で、松たか子さんと黒木華さんで映画化もされた「小さいおうち」に出て来る山手の家の坊っちゃん。足が悪く弱々しかった坊っちゃんが、戦時色が濃くなる中で徐々に尊大で好戦的な愛国少年に育っていく姿がリアルだった。

彼らはまんま私たちの両親の子どもの頃なんだなぁ。当時の一般家庭のごく普通の子どもたち。

戦争体験はあるけれどまだ幼くて当事者ではなく、戦前の初等教育で国家への忠誠心と誇り、戦闘機や戦艦や兵隊さんに対するあこがれを持って育ち、戦後は価値観がガラリと変容した中で思春期から大人になった世代。(その後生まれた戦争を全く知らない団塊の世代とは違う)

その世代の方々が描いたマンガに、「どんなに追い詰められても、最後の一人になっても、主人公は諦めずに戦い、命と引き換えに最後は勝つ」スタイルが多いのは、行き場を失った子どものころのあこがれの昇華みたいなものだろうか?(水木しげるさんは従軍経験があるせいか彼らの世代の作風とは異なる。ジャンルも違うけれど。)

戦争は二度と嫌だと思いながらも、そういうのを創作に求めた気持ちが今すこしわかるような気がするのは、私の世代が彼らのマンガで育ったからなんだろうな。井上雄彦さん、こうの史代さんはほぼ私と同世代。

しかし、あだち充さんの「タッチ」の達也は甲子園で全国優勝も成し遂げるのだけど、その優勝を語るのは最終巻の最後のコマで出てきた優勝皿だけで全試合カット(笑)だった。

井上雄彦さんのスラムダンクも最終回は決勝ではなく2回戦で当たった強豪山王工業高校との試合で終わっている。死力を尽くして勝利するも次の試合ではボロ負けし3回戦で敗退。

このあたりは愛国少年の熱血より一歩二歩引いた第2、第3世代の物語らしい気がする。

オリンピックと高校野球

前回の東京オリンピックは1964年、昭和39年。

ちょうど高度成長と重なりニッポン中が熱狂したという。ソチオリンピックをテレビで見ていた時に、観客のロシアびいきちょっとひどいなという感想を持ったけれどあれの何百倍もすごかっただろうなぁと。

当時メダルを期待された選手たちがどれほどのプレッシャーを背負っていたことか…。

この「玉砕してでも最後に大逆転で勝つ!」が、ずっと叶えられなかった望みとして日本人に残っていて、「みんなで頑張る」「みんなで耐える」からの勝利図が、戦後ずっとスポーツに投影されてきてるのだと思う。

それにピッタリとシンクロしやすいのが夏の高校野球とオリンピックなんじゃないかな。(運動会の組体操もこれに入る気がする)

そういえば昭和の時代には、高校野球の応援にも「○○(相手校)倒せー!おー!」というコールが普通にありました。さすがに今はない。これも「相手チーム」を「敵」として考えてた名残だと思う。

でも2020年の東京オリンピックでは、日本人が得意とするホスピタリティを発揮しどの国の選手にもまんべんなくあたたかい声援を送ることができるだろう。

例えば冬季種目だけど、フィギュアスケートでは日本選手のライバルなのにあたたかく応援してもらえる日本での試合が好きだという海外選手が多いです。

浅草は外国人観光客でいっぱい

その反面、いま急ピッチで建築を進めている競技場の工事現場で死亡事故が起きていたりもする。

「みんなで頑張り」「みんなで耐えて」「みんなの希望を託して」「最後に勝利」という感動を追い求めすぎて、「みんな」からこぼれた人に注意を払わなかったり、「みんな」から降りた人にはペナルティを科したり、希望を託された人が大きな重責を背負わされたりする。

そういうのはもう、オリンピックでも高校野球でも見たくないな。

せめて感動仕立ての報道はそろそろ廃れてくれないかな。

骨折した選手が試合に出ても、監督と本人と医師がOK出していたのならばそれはそれでいいし、おにぎりも握りたければ握ればいいと思う。そこに「感動」とかいう色を付けて報道するから後続に余計な同調圧力や外野からの賛否が生まれるわけで。(個人的には怪我をしてるアスリートには大事を取って欲しいし、おにぎりは大人が握って欲しいと思うけど)

とはいえ昭和のスポ根マンガ洗礼を受けている身としては、そういいつつも感動ドラマに涙してしまうかもしれない。でもスポーツのそれはあくまでも「筋書きのないドラマ」だからであって、「感動仕立て」にされたものではないはず。

次の東京オリンピックでは、選手が余計なものは背負わずベストな状態で試合に臨めればそれで良し、良い結果が残せればなお良し、海外選手にはこの暑い日本に来てくれてありがとうくらいの気持ちで応援したいですなぁ。

そんなわけでここ数日考えてたいろいろ散らばった思いをまとめてみたのでした。

紹介した本など


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あとがき

ドラクエ11にはまっています。いや〜ドラクエって本当におもしろい!しかしドラクエもまた宿命を負った「勇者」が追い詰められながらも仲間たちと力を合わせて最後には巨大な敵を倒すストーリーなんですよね。しかし11はラストの展開に工夫があってそこがすごく良かったです。

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