孤独とか無縁とかで人の人生をジャッジする権利は誰にもない | Rucca*Lusikka

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以前、女優の大原麗子さんが亡くなったとき、その報道のされ方にすごく違和感と怒りを覚えたことがある。

「美貌に恵まれ大女優として華やかに生きた人だったが、私生活では離婚し子どももなく、難病に苦しみ最期は自宅で誰にも看取られずひっそりと孤独に亡くなった」

という報道の仕方ばかりだったからだ。女優としての名声と私生活の孤独との明暗をことさら強調してお涙頂戴なストーリーに仕立てたがってるのが見え見えで、やたら「孤独死」と強調するのが本当に腹立たしかった。

あれほど美しくあれほど多くの人を魅了し、女優として常に第一線で輝き続けてきた人生をどうしてそんなに孤独孤独と貶めようとするのか。

山口美江さんや飯島愛さんが亡くなった時も同じようなトーンの報道だった。「かわいそう」「お気の毒」そしてまた孤独孤独孤独・・・。

そんなに「世間」というやつは、ひとりで死んだ人の死に対して「かわいそう」と思いたいものなのか?いやそもそも他人が軽々しくひとりの人間の死に方だけで、その人の人生が幸せだったか不幸だったかを簡単にジャッジしていいものなのか?

「かわいそう」と、せめていえるのは若くして亡くなったことだけだ。だからってその人生が不幸でかわいそうだったなんて誰が決められる?

こういう報道があるたびに私は怒りのような悔しさのような気持ちに包まれてしまう。

たくさんの子や孫たちに「おじいちゃん死なないで!」と泣かれながら、「お前たちをいつも見守ってるよ」とか言ったあとカクっと首をうなだれ亡くなる、口元には微笑み。

あるいは、愛する人に抱かれながらその腕の中でいつの間にか冷たくなる、頬にひと筋の涙を残して。

映画やドラマの中の「死」はみんなきれいだ。

そんなドラマの死ばかりに触れて、実際の自分の祖父母の死は「会わないうちに病院で亡くなった」というケースが多い私たちは、いつのまにかそういう「きれいな死」が普通で、病院で亡くなることが普通で、または誰かに看取られることが普通で、そうじゃない死は「かわいそう」という思い込みが出来上がってはいないだろうか?

ひとり暮らしの友人が亡くなった

今月、友人のIさんが亡くなった。

5年ほど前、私が基金訓練に行ってた時に同じ教室で学んだ人で私よりも7~8歳ほど年長だった。すごく、なんというか、ユニークな方で、とにかくダジャレとツッコミがうまいというか、困るというか(汗)、いつも憎まれ口な冗談ばかり言う反面、意外と?シャイで優しかったり、よく気がついてくれてたり、実はすごくインテリだったりする楽しいおじさんだった。

講座が終わってからもFacebookでつながっていたため、消息はなんとなく知っていたし、私がなにか投稿するといつも高速で反応に困るダジャレなコメントを残していくため、困りながらもそのコメントが意外と鋭かったり愉快だったりで、まったくもー!と思いつつも楽しかった。

訃報は本当に突然で、月曜日には普通に投稿していたのに、その週の週末に、友人の方による「Iさんが亡くなりました」という書き込みがIさんのウォール上に…。

そのご友人の方が葬儀の日程などをそこに投稿してくれて、先週の日曜日に集まった人たちで友人葬となった。

Iさんは若い頃に難病を患いずっと長いこと入退院を繰り返す日々を送っていたらしい。新薬が効き体調が良くなり、基金訓練に通ったのはその頃だったらしい。

知り合ってからも時々入院されていたり検査に行ってる様子はFacebookから伺えていたけど、趣味の自転車であちこちツーリングしていたり、おいしいというカフェやパン屋さんに行ってはレポートをマメに投稿していたりとお元気な様子だった。

以前私がとあるイベントに行ったときにその様子をFacebookにアップしたら、「◯◯という美味しいお菓子の店が出店してるからチェックするように」とメッセージが入り、そこの焼き菓子を購入したのだけど、それがとてもとても美味しかったのを思い出す。Iさんはとってもグルメな人だった。

そのほかにも、コンビニで特定商品を買い物するともらえるリラックマのファイルを私が集めてると知ると、わざわざ送ってくださったり、機種変更したから要らなくなったと、私の好きなムーミンのiPhoneケースをくれたり(Iさんは児童文学にもとても造詣が深く、トーベ・ヤンソンが好きだった)と、人の好きなものをよく覚えていてくれて、その都度なにかあれば教えてくれる人だった。

Iさんから頂いたリラックマファイル。ありがとう、使ってるよ!

Iさんから頂いたリラックマファイル。ありがとう、使ってるよ!

実際にはここ2、3年ほど会ってなかったのだけど、こんなふうにSNSでやり取りをすることが多かったのでほんとうに急で驚いたし、悲しかった。

Iさんは心筋梗塞でお亡くなりになったということだった。ひとり暮らしで在宅のお仕事だったから、そういう場合発見は遅れがちだけど、いつもは即レスポンスがある人なのに返事がないのでおかしいと思ったご友人が警察に連絡してくれたので、その週のうちにご遺体を発見できたのだった。

ご両親はすでに亡くなっていてご兄弟もなく、遠方に住む高齢のご親戚は喪主はつとめられないということで、市の福祉課と大学時代のご友人というその方が今回の葬儀の準備を取り仕切ってくださった。

さびしいお葬式?いいえ、全くそんなことはない。

市の葬祭場にあつまった友人たちでお焼香し、火葬されている間、待合室でIさんとの関係や思い出をそれぞれが語った。

大学時代からのご友人の方々、趣味の自転車で知り合ったというご夫婦、常連だったサイクリングショップの店長さん、基金訓練のメンバーと先生方で10名ほど。誰もがIさん独特のクセのあるツッコミやユーモアをおもしろいと感じ、やり取りを楽しんでいた方たちだった。

どの人からも「らしい」話がたくさん出てきて悲しい中にもあたたかい時間だった。ご親族がどなたもいないお見送りだったけど、友人たちだけだった分、気兼ねもなく思い出話をすることができた。

火葬が終わりお骨上げも済んだあと、今回全てを取り仕切ってくださったご友人の方が、グルメだったIさんおすすめのレストランに予約を取ってあるから、お時間のある方はお昼をご一緒しませんか?と誘ってくださったので私もおじゃまさせて頂いた。

その方がひと月前にIさんに会ったとき、このお店がおいしいよと話を聞いていたらしい。つい最近2階を改築して個室ができたのでちょっとした集まりにも利用できるよと。

なんだか今回の集まりに、場所も広さもぴったりで、まるでIさんに案内されたみたいだね、と。

ここでもIさんの思い出話からいろいろと話が弾んだ。

自転車からつながったご夫婦のご主人はコンテンポラリーアートがお好きで、でもそのことをFacebookに投稿しても友人たちからあまり反応をもらえたことがなかったんだけど、Iさんは現代アートにも造詣が深かったので、コメントで知らなかった情報を教えてもらったり、微妙な角度からツッコまれたり(笑)、そのやり取りが楽しかったと話していた。

こうして友人同士を楽しく結びつけてくれるなんて、ご親族でのお葬式だとお焼香して終わりになってしまうからこうはいかなかったよね、と、みな感じていた。

Iさんおすすめのイタリアンレストランで献杯。

Iさんおすすめのイタリアンレストランで献杯。

法律により、Iさんの遺品などはすべて国のものになってしまうらしい。

でもひと月前に会ったというそのご友人さんが、その時クラシック音楽通でもあるIさん(本当に趣味の幅が広い方だった)から「これおすすめ」というCDをいくつか頂いていたそうで、それを形見分けにと持ってきてくださった。

そこでまた皆で驚いたのだけど、どういう符号なのか・・・この昼食会にいたメンバーが8人、そしてそのCDが…8枚!

Iさんのお別れ会の今日ここまでのことが、なんだかすべてIさんに計画されていたようで驚かずにはいられなかった。

Iさんから教えてもらったこと

帰りの電車の中でなんだかいろいろ考えた。

お通夜もなく、お坊さんもなく、お焼香だけして火葬というお葬式だった。実家のお墓はあるらしいんだけどこういう場合お骨は無縁仏として市が埋葬するらしい。でもIさんは生前から自分は無神論者だと話していたそうだ。

この日集った人たちはみないい方だった。縁の薄い(と思われる)親族でのお葬式よりも、Iさんはこういうのを望んでいたのかも。

変な言い方だけど、とてもシンプルで良いお葬式だった。

思うとSNSでよくやり取りがしてた方が亡くなったのは初めてだ。2,3年会ってなければ普通だと親しさも薄れがちなんだけど、SNSでつながってるとしょっちゅう会ってるような気分になる。だから亡くなったと聞いてもまるで実感がない。

しかもその日に「Iさんが◯◯イベントに今週末参加予定です」なんて通知が突然来たりする。

翌日も、私が出かけた先でランチを捜すのにRettyというアプリを久しぶりに立ち上げたら、Iさんのおすすめのお店のレビューが並んでいて、その不意打ちに泣きそうになった。

だからというわけではないけど、お葬式に行ってお別れができてよかったと思う。

私のFBの友人覧にこれからもずっとIさんはいるだろう。Rettyを立ち上げるたびにIさんのレビューが目に入るだろう。お別れの儀式というリアルがないと、いつまでも信じられない気持ちがそこに残ったままだったかもしれないから。

8枚のCDのうち、私が頂いたのはブラームスの交響曲一番

8枚のCDのうち、私が頂いたのはブラームスの交響曲一番

自分だっていつどうなるかは全くわからない。うちは子どもがいないので残ったほうがひとりで亡くなる可能性は高い。

でもなんだろう…そのことに対する悲観な思いはなく気楽な気分になっている。

わたしは人の死に方で人の人生をジャッジするようなことは決してしない。そしてジャッジされることも気にしない。

そんな確信が持てた。

孤独死にまつわる、その人生を決めつけるような報道に怒りながらも、今まではどこかでそういう不安があったのかもしれない。

Iさんの独特のあのツッコミや憎まれ口がもう聞けないのは寂しい。でもなんかいろんなこと教えてもらえたよ。ありがとうね。

Iさんこれ見たら、さてどんなツッコミを入れてくるかな?

あとがき

Iさんから教えてもらった美味しいお菓子の話の中で、この日聞いた「栗がぎっしり詰まったパウンドケーキ」がとても気になって、お店のサイトを調べてお取り寄せしてみた。
届いたら紅茶を入れてブラームスをBGMにいただこうと思っています。

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