9月に亡くなった人の思い出のことを少し。 | Rucca*Lusikka

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日々の気づきをノートに綴っていく。その時間が自分の未来をよりおもしろいものに変えていく。そんな気づきの一滴をすくって描くRuccaのブログです。Lusikkaはフィンランド語で「スプーン」のことです。

私がかつて13年在籍していた会社で、一緒に働いていた先輩が9月に亡くなった。

Nさんは、私がその会社で働き始めて3年目くらいの時に店長として赴任されてきた。当時私は27,8歳くらい、Nさんは(絶対に教えてくれなかったけど)40前後くらい。1年程一緒に働き、Nさんは別のお店の店長になり、私はその店で店長に昇格したため、それ以降は店長会などで会った時に一緒にご飯を食べに行く間柄だった。

それまで私は2人の店長の下で働いていたけど、女社会特有のアレやコレやが心底面倒で、さらに生意気盛りだった私はどちらとも合わず、鬱屈していた時にNさんが上司となった。彼女は誰に対してもフェアで、気さくで、私の生意気っぷりも叩くのではなく上手に転がしてくれる人で、私は今でも彼女のおかげであの会社でそれから10年も働き経験を積むことが出来たのだと感謝している。

経歴がものすごく豊富な人だった。洋裁はプロ並みにできるし、美容師の資格もあるというし、お店に配属になる前は商品部にいて英語ペラペラだし、なんというか、なんでもできる人だった。そしていろんな土地(海外含む)で暮らしてきた人だった。

会社は全国にお店があるため、正社員は家庭に余程の事情がない限り全国転勤が必須で、特に独身で単身世帯の人は異動させられやすかった。Nさんも「私はどこに行っても平気」というスタンスで働いていたので、ある年、東北のある県に、その地域初出店のお店の店長として赴任されることになった。

地方とはいえ新しい大きなお店の店長なので、もちろん栄転だ。Nさんは飼っていたアメショーの猫と一緒に東北に越していった。

これは横浜の空

これは横浜の空

それでも四半期ごとにエリア会もあって上京されるので、その時は今まで通り終わったら一緒にご飯を食べてお互い近況報告などをしていた。いつも明るいNさんから愚痴がよく聞かれるようになったのはその頃だった。

雪が嫌だ。寒いのが嫌だ。田舎が嫌だ。田舎の人間が嫌だ。

雪も田舎暮らしも経験がない私はどう答えていいのかわからず、「そうですか~」を繰り返しながら、ただ聞くことしか出来なかった。

それから1,2年経った頃、いつものように店長会の帰りにNさんとごはんを食べていたら、いきなり「私来月で会社辞めるの」と言われて驚いた。そうか、東京に戻るための仕事が他に見つかったのかな?と聞いたら「結婚してハワイに行くの!」というので2度びっくり!そんな相手がいたなんて前に会った時まで一度も聞いてない。

とにかくもう暖かい所に行きたくて、ならばいっそハワイに行きたいと思ったそうで、ハワイの結婚相談所へ登録し、そこで出会った人と電撃結婚が決まったんだそうな。結婚までって決まるときは早い。人生って決断ひとつでこれほどドカンと変わってしまうものなんだなぁと、ただただ驚いた。

そんなわけで、Nさんは会社を辞め、ハワイに旅立っていった。その後結婚式に呼ばれて、ブライドメイドをお願いされた。その時実は「なぜ私が?」と思ったんだけど、「ハワイに招待されて行ける」というのが嬉しかったのもあって、喜んでお祝い&ブライドメイドをさせていただいた。それがちょうど2000年。

それからしばらく、私も結婚して引っ越ししたり、会社を辞めたりして身辺がバタバタしていたこともあり、Nさんとの連絡は途絶えていたんだけど、便りがないのは元気ってことだなと勝手に思いつつも気になってた。数年後、私の実家宛に長い手紙が届いた。

ハワイの旦那さんが実はDVモラハラな人で、3ヶ月でそれがわかり別居、離婚するまで相当苦労したと。そして結婚しハワイに行くことを決めるまでの自分の気持が綴られてあった。

それは今読み返しても本当に切なく悲しい気持ちになる。今の自分があの時のNさんに会えていたらもっと違うことを言えたのかもしれない。当時はポカーンとするばかりでおめでとうございますとしか言えなかった。

でも、その後新しい出会いがあり、今はほんとうに自分を愛してくれて大切にしてくれる人と再婚し、アメリカに住んでいると。なのでやっと幸せになったので報告できますと幸せそうに書かれていた。

ほんとうに嬉しかった。そしてそれからは毎年クリスマスカードが届くようになった。いつもだんなさんと仲良く並んだ写真と、近況と、暮らしているお家の写真などが添えられていて、それは裕福で暖かい家庭のひとコマだった。

突然、今年届いた手紙に病気のことが書かれていて、あまり予後が良くなくこれから大きな治療をしなくてはならない、ドナーを待っているところです。とあって非常に驚いた。すぐに返事を書いたけどその後返事がなくて、先月、旦那さまより亡くなったことをお知らせする手紙が届いた。

後悔するのは、何度でも何度でも返事を書けば良かった。Nさんが返事を書けなくても手紙やメールを読むことはできるだろう。なぜ私は返事を待ってしまったんだろうということ。

今思うと、Nさんにはおそらく私しか手紙を書く人がいなかったのだ。ハワイでの結婚式に出席した日本の友人は私だけだった。あちらもほぼ身内だけの式だし、遠くだからたくさん呼べないのだろうと思ってたけど、住む所や職場が頻繁に変わっていて、ひとりでなんでもできる彼女には、女友だちがいなかったのかもしれない。

寒い北国で、地元の人ばかりの職場で、店長という立場で仕事をしていたことはどんなに孤独なことだったろう。田舎はいやだいやだと彼女が言っていた時、私はなんて答えていたんだろう、思い出せない。ハワイでつらい思いをしていたであろう時、なぜ私は結婚式にまで出ていたのに「ご無沙汰してますがお元気ですか?」の手紙すら送らなかったのだろう。

ご両親ももう亡くなっている。特にお母さんが亡くなったことが日本を離れたいと思うきっかけだったと、以前もらった手紙に書かれていた。結婚式の時にお兄さん一家は出席されていたけど、その後トラブルがあり絶縁状態だと聞いた。だから多分、日本にいて、日本語で彼女を励ましたり話を聞いてあげられるのは私しかいなかったんだ。

外国人と結婚して海外に住む友だちは他にもいるけれど、彼女のようにすでに実家がないという人はいない。母国にすでに実家がないという頼りなさを思うと胸が痛む。

これも横浜の空。

これも横浜の空。

Nさんのだんなさんにお返事を書かねばと思ったけど、ただでさえ難しいお悔やみの言葉をさらに英語で書ける自信が全くなく、Google翻訳というわけにも行かないので、結婚し北米に住む友だちに訳してもらえないかとお願いしたら、快く引き受けてくれた。その時、Nさんとの思い出を補足的に教えてくれないかな?と聞かれ、今まで書いたことをお伝えしたら、私の気持ちとか、彼女との思い出とか、そういうのを本当に素晴らしく、原本以上に素晴らしく訳してもらえて嬉しくて本当に感激した。

それと同時に、Nさんとは本来関係のない彼女と、手紙をお願いすることでNさんとの思い出を少し共有できたことが、私にとってとても癒しと慰めになったことに気がついた。これは思いがけないことだった。

知らせを受けてから、しばらく放心し、後悔に悩み、思い出に泣いた。なんともやりきれない思いだった。だけど私もとっくに会社を辞めていることもあって、Nさんのことを一緒に思い出せる人が周りにいなかった。夫もNさんのことは「ハワイに結婚式に行った人ね」くらいしか知らない。

亡くなった人のことを誰かと語れる、少しでも話し相手になれる、共有できるというのは、それが全くないことと比べるとぜんぜん違うことなんだ。友だちに訳してもらえて本当に感謝している。

Nさんとハワイで撮った一枚。

Nさんとハワイで撮った一枚。

なぜ今私がこのブログでNさんのことを書いているのかというと、それは私の勝手な感傷かもしれないけれど、彼女のことをなにか残したいと思ったから。寒い土地でひとりで頑張っていたこと、あたたかい全てを求めて、勇気を持ってみんな捨ててハワイに旅立ったこと、最初の結婚は不幸だったけど、そのあと本当に優しくて素敵なだんなさんに出会えて幸せに暮らしていたこと。

私が知っていることはもちろん全てではない。彼女の人生のほんのほんの一部だと思う。でもそんな「私の知ってるNさん」をここに残したいのです。Nさんの供養に。

そして日本から届いた手紙が、どうかNさんのだんな様の癒しの一助になりますようにと祈ってる。

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  • 私にも同じような経験があって、今も後悔の念は消えません。
    ただもうこの手の後悔はしたくないと思うようになって、実際にそれを行動に移せたのは震災の日、Ruccaさんに連絡をしたことが初めてでした。こんな非常時に私なんかが連絡したら迷惑ではないか、お節介だと思われたら恥ずかしい、嫌われちゃうかもしれない…。でもあの後悔に比べたら嫌われる方がいい。
    最初に書いた通り今も後悔の念は消えないけれど、でもこれは最後に教えて貰えたことなんだとも思えるようになりました。

    • rukkaさん、コメントをありがとうございます。

      私は震災の時にrukkaさんに声をかけていただいたことに、今でもとても感謝しています。
      あの、家に帰れなくなり心細かった夜に、ネット知り合った、一度も会ったことのない私に「家に来ませんか?」と言って頂いたことで、なんだか心の奥に暖かいものがじんわりとやってきて、周りの人すべてを信じられるような気分になったんです。
      誰かがきっと私を助けてくれるという安心感があの夜に生まれたことは、今でも幸せに感じています。これは本当です。

      その優しい言葉にはそんなエピソードがあったんですね。私も後悔は消えないかもしれないけど、二度と同じ思いはしないようにしていきたいです。

      ありがとうございました。

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