もっと身近に考え、未来を想像したい障害者への「合意的配慮」について | Rucca*Lusikka

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先月「すべての人のための文化施設であるために」というシンポジウムの取材で神奈川県民ホールに行ってきました。

神奈川県民ホールは横浜の観光名所・山下公園を臨む場所にある、レンガの階段とガラス張りの外観が特徴的な大きな建物で神奈川県ではいちばん有名なホールです。私も好きなアーティストのコンサートはもちろん、高校時代は吹奏楽部だったので夏のコンクールの予選会場でもあったこのホールにはたくさん想い出があります。

今年で開館41年目という歴史と伝統のあるホールですが、その分「バリアフリー」という観点からは古さが否めません。

神奈川県民ホール

神奈川県民ホール。目の前が山下公園です。

ところで、今年の4月から施行された「障害者差別解消法」をご存知でしょうか?

簡単に説明をすると・・・

  • 役所や公立学校、公共施設などが利用者の障害を理由としてサービスの提供を拒否したり制限したり、条件を付けたりするような行為をするのはダメ!=「不当な差別的取扱い」を禁止
  • 役所や公立学校、公共施設などは、障害者のそれぞれの困りごとに合わせた配慮を行うように!=「合理的配慮の提供」
  • 役所や公立学校、公共施設などはこの「合理的配慮」を過重な負担とならない限り提供することが義務!(民間事業者には努力する義務)

という法律です。

例えば公立のコンサートホールならば「当会場では充分な設備がないため何かあったら困りますので…」という理由で車いすの方の来場を断る、なんてことはできなくなったのです。

ちなみに県民ホールに車椅子席はあります。少ないけど。

もちろん県民ホールには車椅子席があります。少ないけど。

このシンポジウムは、今年の夏に県民ホールで行われた4つの障害者団体の全国大会において、あまりバリアフリーとは言えない築41年のホールと、それぞれに特性が違う障害者の団体が、どのように意見を交わしあいながら合意点を見つけ出していったかを振り返り発表するというものでしたが、そのプロセスがとても興味深いものでした。

それは、予算が足りなくても、急に設備を変えるのは難しくても、「だから無理!」ではなく、ひとつひとつ相手の困りごとを聞き出し、今ある設備の使い方を変えたり、別のものを使ったりと、とことん「考える」ことで「完璧な理想形」は無理でも「理想形に近いもの」を生み出したという事例でした。

問題解決のプロセス。

問題解決のプロセス。

車いす用のトイレやエレベーターの増設、ケアルームの設置、テキストメッセージを出す電光掲示板などハード面ではすぐに対応できないことでも、誘導するスタッフの事前教育、会場各エリアへの人員配置の工夫や、トイレの混雑情報の共有、ステージの後ろにテキストが出せるスクリーンを設置するなど、ソフト面の教育やアイデアでクリアしていった話は一本のドキュメンタリー番組になりそうでした。

※当日の取材記事は、文末にリンクを載せますのでこちらもぜひご覧になってください。

「ずるい」と「えこひいき」と「あの子ばっかり」

普段、障害を持つ方との接触が少ない私には、障害の種類によって様々な困りごとがあり、それをひとつひとつ解決するには?という目線を持つことがなかなかできなかった。なのでこのシンポジウムで発表された、それぞれの障害による「困り」の具体例はとても勉強になりました。

民間企業もこの法律によって「合理的配慮への努力義務」がもたされるということは、ショッピングモールやレジャー施設、ホテルや旅館なども、「障がいを持つ人からの目線」を意識し、困りを想像する力をつけなくてはならないということです。

※私の仕事のメインはウェブ制作ですが、これからは制作の際に今回学んだこの「目線」を活かしていきたいと思った。このブログでも今度バリアフリーなホームページについてまとめてみたいと思います。

法律は今年施行されているので、公共施設では県民ホールのようにもうすでに取り組んでると思う。しかしこの法律で一番変わらなくてはならないのはやはり「学校」でしょうね。

県民ホールからの景色。こちらは豪華客船飛鳥Ⅱ

県民ホールからの景色。こちらは豪華客船飛鳥Ⅱ

今回取材を終えていろいろと調べ物をしてるときにこんなブログ記事を見ました。こちらのブログ主さまは発達障害を持つお子さんがいて、次のような記事を書いていました。

平成28年4月1日より「障害者差別解消法」が施行されます。

この中にある「合理的配慮」は、障害を持つ人々に対して必要な環境整備などの配慮を行うということ。

それにより、発達障害児をとりまく学校環境が大きく変えられるのではないか、その他多くの子供たちにとっても変化をもたらすのではないかということについて書きたいと思います。

簡単に言えば今まで配慮を求めても「前例がない、特別扱いできない」などと断られていたことが、配慮しないのは法律違反ということになりかねないのです。

「合理的配慮」の否定は障害を理由とする差別になるのです。

ただし、均衡を失した又は過度の負担を課さないものという条件があります。

法律のことなので難しい文言が並びますが、来年度よりお子さんにとってよりよい学校環境を求める上で非常に大切なこととなってきます。

この新しい法律が施行されても、こちらから意思表示がないことには勝手に変わるということはなかなか難しいと思います。知っている上で意思表示することが重要になってきます。

是非、発達障害児をはじめとする多くの困難を抱える子供の保護者の方々に知っていただきたいと思っています。

合理的配慮が学校を変える! – うちの子流~発達障害と生きる より引用

ブログではこの法律によって、障がいを持つお子さんが学校で他の子どもたちと同じように教育を受けるために、障害の特性に合わせた対応を学校に希望することができる(たとえば発達障害を持つ子がタブレットを授業に持ち込むことなど)ようになることを説明されています。

しかし記事を見た方から次のようなコメントを頂いたそうです。

同じクラスに障害者のお子さんがいます。 特別学級もありますが、 全く学習にはついていけなくても クラスには在籍させたい(お母様のご希望で) と聞きました。 合理的配慮で付き添いの先生も配置されました。

これは本当に子供の為なのでしょうか? 法律改正を盾にした親のエゴなのではないでしょうか? 特別学級でその子に合った学習をさせてあげたら良いのにと思う一方、この様な考え自体差別なのかと悩んでいます。

障害で差別される事は悲しい事だと理解はしていますが、 合理的配慮により、遠慮のないやって貰って当たり前的な考えには疑問です。 どう考えたら合理的配慮を心から納得出来るのかと悩んでいます。障害のない子供達だけのクラスとそうでないクラスでは学習スピードも違うと思います。(後略)

合理的配慮は「ずるい」のか  – うちの子流~発達障害と生きる より引用

このコメントを書いたお母さんは、障がいを持つ子が普通クラスに入ることでクラス全体の授業が遅れることを懸念し、障がいの持つ子どもを普通学級に入れることは親のエゴではないか?と言っています。

これに対するブログ主さんの答えはサイトを見ていただくとして、嫌な考えですがこういう考えって健常者はうっすらと持っているのかもしれません。このお母さんは実際にこういう事例に当たり、自分の子どもに不利益が生まれると思っての本音なのでしょう。

「ずるい」「特別扱いされてる」「えこひいきだ」「あの子ばかりお金(時間)を掛けて…」

最近の風潮というか…生活保護者へのバッシング、障害者施設での事件、高齢者の病院での事件、人工透析患者への暴言、なんかこう「支援に公共のお金がかかってる人たち」への風当たりの強さを感じることが多いです。

これってこの「ずるい」「特別扱いされてる」「えこひいきだ」「あの子ばかり…」という気持ちが各々の心にあって、それが不景気や先行きの見えない世の中への不安感から増幅されている気がする。

そしてそれは、困りのある人たちへの共感する力や、困りを想像する力が、日々の暮らしの余裕の無さで失われているのかもしれない。

何かあったら困るので、前例がないので、

また先日このようなニュースを見ました。今年の10月3日の記事です。

医療的ケア:一人で行けるよ たん吸引必要な男児「普通学級に入学を」 看護師不在が壁に – 毎日新聞

1日に数回、たんを吸い取る医療的なケアが必要な男の子が、来春の小学校入学に向け、親の付き添い無しでの普通学級への入学を横浜市に要望しているという内容です。

この記事の書き方がすごく・・・なんというか、いやらしかった。いやらしいという言い方はちょっと悪いかもしれないけれど。

横浜市は現在、特別支援学校以外に看護師を配置していない。直美さんらが昨年、市に普通学級への付き添いなしの通学の可否を尋ねると、「前例がない」との理由で「親が付き添うか、特別支援学校に入学するか」との選択肢が示された。

(略)

 障害者差別解消法が施行されたこともあり、市教委は看護師配置の検討を始めた。ただ、市の担当者は「学校数も多く、予算措置は慎重にならざるを得ない。市内の全校に看護師を配置することは不可能に近く、どの程度の症状にケアが必要か、線引きも必要」と話す。

医療的ケア:一人で行けるよ たん吸引必要な男児「普通学級に入学を」 看護師不在が壁に – 毎日新聞 より引用

いやらしさを強調させての意訳)前例がないし、障害者差別解消法はわかってるからいちおう考えますけど、だからってすぐ市内の全校に看護師を配置するわけにはいかないんですよね~。

 東京都足立区で医療的ケア児の通園施設を運営する「全国医療的ケア児者支援協議会」役員の矢部弘司さんは、看護師がいないために地元の小中学校への入学をあきらめ、特別支援学校を選んだ児童も見てきた。「立って歩ける医療的ケア児は、濃密な支援が必要だが、体制が整っていない。新生児医療の発達で、日本は赤ちゃんが死なない国になったが、地域で暮らすのは難しい。就学は本人の気持ちが尊重されるべきだ」と話す。

医療的ケア:一人で行けるよ たん吸引必要な男児「普通学級に入学を」 看護師不在が壁に – 毎日新聞 より引用

いやらしさを強調させての意訳)今までは地元の学校に行くことをみんなあきらめてたんですけどね、体制もまだ整ってないんですよ。新生児医療の発達で本来は死んでるはずの赤ちゃんが生かされちゃったからこういうケースが増えて難しいね、まあ本人の気持ちも大事にしたいですけどね。

↑かなり乱暴な意訳ですが、言ってることの大意はこれでしょ?これってかなりひどい発言じゃないでしょうか???

私のこの訳には悪意がありますが、でも終始この記事は、この子が普通学校に通うのがどれだけ困難なのかを思い知らせるようなトーンで書かれていました。

なんでこの問題をこんな論調で書くの?載せるの?障害者差別解消法はもう施行されているんですよ??

しかしもしかしたら私も、先の県民ホールでの取り組みのシンポジウムの前にこの記事を見ていたら、記事の論調に引きずられて「気持ちはわかるけど学校だって大変よねぇ」と同調していたかもしれない。

合理的配慮には「過重な負担とならない限り」という一文がついています。「過重な負担」をどう解釈するかはそれぞれの担当者の裁量によるのでしょうか?

しかし県民ホールでは、あの古い建物の制約の中で、相手から困りをヒヤリングして話し合って、聴覚、肢体、知的、発達、ディスレクシアという、それぞれの困りを抱えた障害者の全国大会をそれぞれに開催させたのだ。

登壇者のDPI(障害者インターナショナル)日本会議副議長の尾上浩二さんはこのように仰っていた。

DPI(障害者インターナショナル)日本会議副議長の尾上浩二さん

DPI(障害者インターナショナル)日本会議副議長の尾上浩二さん

「もし何かあったら困るので」「前例がないので」には正当性がない。ただの思考停止であると。

「もし何かあったら」…で終わらせるのではなく、どうしたら理想に近い形で望みをかなえられるか?を考える。そのためにまず「何かあったら」の「何か」をひとつひとつ具体的に想定する。想定できれば解決策を考えられる。そうすればそれが「前例」になるのだ。

もうひとつ、同じくたんの吸引を必要とする男の子のこんな記事もあったので紹介。今年3月の記事です。

病気でたんの吸引介助が必要な千葉県流山市の木村海斗君(12)が18日、小学校の卒業式に臨んだ。普通学級への通学には慎重な意見もあったが、保護者の付き添いなしで通いきった。6年間、同級生や学校、看護師らが支えた。

(略)

本人と両親は普通学級への通学を希望したが、普通学級に看護師を配置している小学校はその時点で市内にはなかった。停電の時に吸引器が使えなくなる恐れなどから、受け入れに慎重な意見もあった。最終的に市側が公立病院の協力も得て、学校と学童保育所に看護師を置くことを決め、通学が実現した。

卒業 一緒にできたね 千葉 たん吸引必要な男児:朝日新聞デジタル より引用

障害者差別解消法が施行される前に、すでに千葉県流山市の小学校を卒業した男の子の記事。横浜の男の子と同じケースですが、この子は6年間ちゃんと無事に通えたんですよ、横浜市さん!

 「海斗君には胸より下にしか投げない」。クラスでは、カニューレでけがをしないよう体育でボールを使う際のルールを作った。誕生時の脳への影響で、海斗君は急な指示への対応や、ダンスのような集団での規則的な動きが苦手だ。運動会などで次の動きに移る際は、隣の子が手を引いてさりげなく誘導した。

卒業 一緒にできたね 千葉 たん吸引必要な男児:朝日新聞デジタル より引用

おそらくこの子がクラスに居ることで、他の子どもたちは「自分たちにはない困り」を持ったこの子に優しくすることを覚えたと思う。

それぞれの心のなかに「ずるい」「特別扱いされてる」「えこひいきだ」の思いはあったかもしれない。でも学校の先生も、保護者たちも、この子がクラスに居ることで学んだことはたぶん計り知れないだろうし、素晴らしい前例になっていると思う。

変わるきっかけ

障害者差別解消法のことも、合理的配慮という考え方もロクに知らなかった私が、シンポジウムを聴いたことで1日でいろいろ考え方を改めるきっかけになったように、やはりこういう事例をもっともっと広げていく、考え方を広げていくことが大切だなとつくづく思う。

先の毎日新聞のニュースを書いた人も、もっと知っていればもっと別の書き方で横浜の事例を紹介できていたのかもしれない。

あの記事に付いてるツイッターのコメント一覧には「親のエゴのような…」というのが数件あって(もちろんそうじゃないのもあるけど)暗い気持ちになる。でもそれはあの記事の書き方のせいが大きいと思う。

山下公園から見るみなとみらい

山下公園から見るみなとみらい

今年、パラリンピックがあってさまざまな障害を持つ人がスポーツする姿がテレビに多く映された。ただその中で、義足姿の選手を「子どもには(ショックを受けそうなので)見せたくない」という意見もあったのも見た。

でもやはり「知る」は「見る」から始まるし、いままで「見(え)なさすぎた」というもあったと思う。

あの毎日新聞の記事の論調、あのブログのお母さんのコメント、こういう考え方を多くの人が持ってるのは事実。でもこれらの意見を持っている人も、もっと知ることで考えを上書きしていくことはできると思う。

ただひとつ心配なのは、今回の県民ホールのシンポジウムは素晴らしい内容だったのに、実は一般公開ではなく招待制で開催されていたことです。

今回のシンポの参加者は約90人。やや少ないがこれには理由がある。

今年(2016年)2月から、今回のシンポジウムを準備してきた駒井さんら県民ホールスタッフが、今回招待制という形をとったためだ。それは、この7月に発生した県立やまゆり園の事件直後、予定されていた障害者団体のイベントについて、県民ホールに「開会時間や終了時間を執拗に尋ねる電話があった」ことが理由だった。

明確な脅迫や業務妨害的な言葉はなかったものの、乱暴な口調や目的をあきらかにしない「見えない相手」とのやりとりから「参加者をわずかでもリスクにさらしてはならない」(県民ホール・松尾さん)と、今回は招待制での開催を決めた。

神奈川県民ホールがインクルーシブな公共施設運営をテーマにシンポジウム開催 | LOCAL GOOD YOKOHAMA より引用

こういうことを「知る機会」が妨害されやすい世の中になっていきそうな気がして、これはとても怖い流れだ。でもここでこういう暴力に負けていったら、今後もっと住みにくい世の中になりそうです。

テレビでは格差社会とか無縁社会とか縮小ニッポンとか、未来は暗いばかりというキャンペーンが貼られ、そのくせチャンネルを変えると今度は「日本は素晴らしい!」「日本人が金メダル!日本人がノーベル賞!」・・・なんだこれ?

なんともあやふやなバランスの上にいる今、私たちは未来がどちらに傾くかの「分水嶺」にいるのかもしれない。

「変わるきっかけ」をこのままの流れに任せるのではなく、ひとりひとりが少し力を押して良い方向に進むようにしなくてはならないのかもしれない。

私もその「少しの力」になるために、なにか自分のできること、たとえば小さい小さいことだけどこの記事を書くことで押せればと願ってる。

参考リンク

神奈川県民ホールで開催されたシンポジウム「すべての人のための文化施設であるために」に関する記事

シンポジウムの内容の書き起こし記事

発達障害のお子さんを持つ方のブログ

たんの吸引が必要な男の子についての記事

あとがき

横浜市民としてこの男の子が、保護者や本人の希望通り普通学級で勉強できることを願っています。各方面と対話を重ねることで、どうか良い結果に結びつきますように。

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