実家を出るとき、結婚したとき、今の家に住むとき、私が引っ越しを経験したのはこの3回だけだ(子どもの頃の引っ越しは除く)。
これが多いのか少ないのかはわからないけど、学校も仕事も実家から通学・通勤可能範囲で済み転勤もなかった場合、引っ越し好きでもない限りだいたいこんなものじゃないだろうか?
今住んでいる家は持ち家で(とはいえ家賃は払っている。ややこしいので割愛)、ほどほど便利な場所にあるため生活に不便や不満はないけれど、ひとつだけ不満があるといえばペットが飼えないこと。
私はいつか猫が飼いたい。そしてダンナは柴犬が飼いたいという。
でも今のマンションでは無理なので、そうすると引越しを考えなくてはならない。
犬猫を飼うのなら彼らの最期を看取る覚悟がないとダメだ。住環境はもちろん大事だけどそれ以上に我々が犬猫より長生きしなくてはならない。
自分たちの健康寿命を仮に75歳とし、犬猫の最大寿命を20歳と見積もると、55歳までには飼いはじめなければならない。まだ先…とはいえあまりのんびりしてる訳にもいかない気がするんだけど、だからといってすぐ物件を探しはじめよう…という覚悟も決まらず。
結局のところ、引っ越さないといけない事情ができない限り、なんだかんだとここに住み続けていきそうな気はするのだけど。
人口が減って町が消滅していく?
先日NHKスペシャルでこんな番組をやっていた。
NHKドキュメンタリー – NHKスペシャル「縮小ニッポンの衝撃」
今年、百年近い国勢調査史上初めて減少に転じた日本の総人口。一極集中が進む東京でも、五輪開催の2020年に減少に転じると予測されている。私たちにはどんな未来が待っているのか。地方ではこれまで通りの行政サービスを維持することができず、縮めていく動きが加速。東京23区でも人口減少が将来の財政破綻につながりかねないと対策に動く自治体も出てきた。地方と東京の最前線ルポを通し、縮小していくこの国の未来図を探る
NHKドキュメンタリー – NHKスペシャル「縮小ニッポンの衝撃」よりテキスト引用
NHKは前にも格差社会とか、無縁社会とかやってて、今度は縮小ニッポンか、こういう「未来は真っ暗・備えよオトメ」的な特集よくやるよね~と思いながら見た。でも途中で嫌になってテレビを消してしまった。
詳細はこちらの記事にも
もちろん、人口が減ってる地域ではすでに大問題だろうし、東京もそれは他人事ではないという警鐘を鳴らすことの意義はわかる。
私だって「なんだかんだいってずっとここに住み続けそう」と思ってる、いま住んでる町が、人口減少でインフラ維持が難しくなって引っ越さざるを得なくなったら・・・と思うと心配だ。
先日、久しぶりにあった知人が、近所内で引っ越したと聞いていたので、他意はなくどうして?と聞いたら、だんなさんの会社が不景気でボーナスがなくなり、さらにお子さんが私立に通うことになったので家を売ったということだった。
私にも同じことが起きないとは限らない。ここに住んでいたいけど引っ越さなくてはならない事情になる可能性だってあるのだ。
生活コストを下げるために地方に移住するという人も最近は増えている。
でも地方移住の受け入れをしている自治体はあるけれど、地縁がない&子どももいない&若くもないヨソモノ夫婦が地域に溶け込むのは容易ではないだろう。なのであまり田舎には住みたくない。
しかも地方に行くほどこの「縮小ニッポン」とやらで、インフラを失うリスクも高くなるのだ。
番組を見てからそんなことを考えてしまい、なんだか暗い気持ちになってしまった。
縮小のなにが悪いのだ?
KindleUnlimitedの読み放題では80年代のB級マンガが対象になってるものが多くて、暇つぶしに読むのだけど、80年代からの視点で描かれたSFマンガの近未来の社会問題はたいてい「人口増加と食糧問題」だった。
増えすぎた人口に食料やエネルギーが追いつかず貧富の差が生まれ戦争が絶えない未来。
今思うとその近未来ってまったく「80年代そのもの」だった気がする。
いまは(少なくとも日本規模では)人口も富も何もかもが減少して、この先不安だ~不安だ~と言ってる時代。
格差社会で貧富の差が広がって治安が悪くなるぞ~!地域に無縁なせいで老人の孤独死が増えるぞ~!子どもが生まれないので税収が減るから社会福祉がなくなるぞ~!
と、日々脅迫されている気がして息が詰まる。
だから消費は抑えてコツコツとタンス貯金に励んだり、だからどんなに辛くて居場所がなくても会社(または夫)にしがみついたり、などなどしてでも「老後」のために今を犠牲に生きていかなくてはならない。
そんなストレスが「生産性のない弱者」に向けられて残酷な事件が続いているのではないだろうか。川崎の老人ホーム、相模原の障がい者施設、横浜の高齢者の病院…(どれも神奈川県なのが怖い)
でも、この閉塞感を増幅させてるのは、事実以上に未来への「空気」じゃないのかなって思うのだ。
右肩下がりに適応して生きていこう
販売の仕事をしていた頃、毎年お店の来年度の予算を立てなくてはいけなかったんだけど、本社から出される数字はいつも「前年105%以上」だった。
90年代後半のあの不景気の時代、なんでそんなにのんきに前年比アップなんて掲げていられるのか不思議だった。昔は3万円で売ってたワンピースが2万円でも売れないのに。もちろん未達の店舗続出で、それだとボーナスが下がるのでそのための戦略か?と穿ってみたりして。
会社というのは常に成長していかないと死んじゃう生き物?なんだから仕方がないのかもしれない。なんだか鮫みたいだ。泳いでないと死んじゃう。右肩上がりじゃないと存在の意味は無いみたいな。
社会全体がみんなそれが当たり前になりすぎていて、だから無理な目標を掲げては挫折して自信を失っていく。
少子化もそう。子どもが生まれないのはいろんな意味で仕方がないのに、生まれない未来をどうするかを考えるより、三世代同居の推進とかでたくさん生まれていた過去に戻すことを考えている。
正社員が減っていくばかりなのに、正社員にならない(なれない)人を守る新しいシステムを考えるよりも、昔のように正社員を増やすことばかり考えている。
小さくなることに適応していったほうがよほど未来のためだと思うのだけど。
と思ってたら、今日ニュースで久しぶりに希望を感じる話題を見た。
「人口減を悔やむ発想から早く飛び出せ」 自民・小泉氏 https://t.co/TEA8SbkYUb
— 朝日新聞(asahi shimbun) (@asahi) 2016年9月28日
皆さんは将来に悲観的な1億2千万人の国と、未来に楽観的で自信を持つ6千万人の国だったら、どちらの方が未来があると思いますか。極端な例かもしれませんが、私は悲観的な1億2千万人の国より楽観と自信を持った6千万人の国の方がよっぽど強いと思う。
(略)
毎年減り続けることを悔やむ発想から早く飛び出して、減る中でもやっていけるという成功例を生み、人口減少でも大丈夫だという楽観と自信を生むこと。それが結果として将来、人口が下げ止まる環境を作り、新たな日本の発展への道を描く。私はそういう考えでいます。
「人口減を悔やむ発想から早く飛び出せ」 自民・小泉氏:朝日新聞デジタル より引用
小泉進次郎さんが今日、講演で語ったというこの話。
私は別に彼の支持者というわけではないけれど、こういうビジョンを持ち、言葉にして、さらに将来実行できる若い政治家がいるってことがすごく頼もしく思えた。
「不安ですね~将来心配ですよね~、だから私に任せてください」と言うだけの、おじさん政治家にはこの呪縛のマインドセットはできない。
楽観と自信。日本人マインドにはどちらも苦手なことだけど、とにかくこの「右肩上がりじゃないと心配だ~呪縛」を払ってくれる若い政治家がいる。
そう思うと少しうれしくなった。
私は私の未来(老後とはいいたくない)、好きな街で仕事を持ちつつ、夫と犬と猫と暮らしていける未来を願って、今は日々楽しく、やれることに精一杯取り組んで生きていきたいと思う。
おすすめ本
今の社会とミライについて考えるのにおすすめする書籍です。
あとがき
好きな街に安心して住めて、仕事を持てて、健康でいられる未来。願うだけではもちろんダメだけど、あえてセンセーショナルな言葉を使って負の感情を刺激する商売には乗るものかと思ってます。