今日から本格的に仕事始めでした。
年末に受けた健康診断でかつてない体重を記録してしまい、仕事始め=ダイエット始めとしながらも年賀に頂いたお菓子類の誘惑が悩ましい年明けです(悲)
ともあれ、無事に年末年始を自分の家で迎えることができ、お互いの実家の家族も変わりなく、いつものように年始の挨拶に行けることはしあわせなことだなと。
昔、20代前半くらいまでは年末年始が嫌いだった。
なんだか「家族」を意識せざるを得ないイベントすぎやしませんか?「年末年始」って。
当時は年齢的に家族がうっとおしく思う時期だったっていうのもあるんでしょうが、父が一日中家にいるのも嫌だったし母が妙に「家族ごっこ」を張り切ってるのも嫌だった。
その後、販売職に転職したため年末年始はほぼ仕事となり、お正月の家族ごっこからは一歩抜けた立場となった。
そして結婚した兄が家族で帰省するようになってからは、孫パワーのおかげで「家族ごっこ」がごっこではなくリアルになり、両親が「父・母」ではなく「祖父と祖母」となったので、息詰まる感じがだんだん少なくなってきた。
自分が実家を出て、結婚して「帰る」ようになってから、やっと「迎えてくれてありがたいな」と思えるようになった。
距離ができた分、年をとった分、関係性が変わっていき、「普通の感覚」として年末年始の「家族」を楽しめるようになれた気がする。
ふつう、みんなもっと自然に家族を楽しみ、家族的なしあわせの中で関係性を変えていくのだろうか。
それとも、ひと皮剥けばみんな同じように家族の息苦しさを乗り越えながら変えていったのだろうか?
「家族=自分」としてモノを語るタイプの人(男親に多い気がする。女親の場合は「ウチの子がね~」であって家族=自分という感覚とは少し違う。いわゆる「家長」目線な感じ?)というのがあって、SNS時代になって昔より可視化され目に入ってくる。
そんなお父さんの家庭は、子どもたちが反抗期や思春期などの通過儀礼をきちんと通った健全な親子関係のお家に見える。
羨ましいのではなく、うっとおしいと思うわけでももちろんなく、ただそれが見えた時に感じる複雑な心境を私はまだ言語化できずにいる。
特にこの時期はそれに触れることが多く、実家にいた頃に感じていた、別にお正月が嫌いってわけじゃないけど居心地が悪いので早く日常に戻りたい・・・と願ってた頃の気持ちが蘇るのだ。
今、それを親との関係性の中で感じることはほとんどない。今の関係性は自分にとってとてもちょうどいい。介護が始まったらわからないけれど、あの頃のような気持ちで親と相対することはもうないと思う。
ただ、年末年始はそんな昔の感情を思い起こさせて、さらにそれがまだうまく言語化できないことで、おめでたい期間のはずなのにどこか心がちょっとしんどくなるのも確かなのだ。
それでもずいぶん、私は年末年始を克服してきたと思える。
新年最初のエントリーにしてはなんだかオチのない独り言みたいな内容になってしまった(苦笑)やっぱ苦手なんですよ、「新年」の晴れ感ってw
最初からこんなですが、今年もどうぞ宜しくお願いします!