何年か前に、結婚記念日だったか?の投稿をSNSにした時、友人が「Ruccaさんからダンナさんの悪口って聞いたことが無い」というコメントをくれたことがあった。
その時は何らかのお返事をしてその後忘れていたんだけど、別の友人からその時のやり取りのことを言われて「ああ、そういえばそんなやり取りがあった」ことを思い出した。
たしかに私は、現在までも人に夫の悪口や愚痴を言った記憶がほとんどない。(休みの日にゲームばかりしてるとか、そういうのを愚痴といえば別だけど、愚痴というよりどちらかと言うとネタ・笑)
ただこれって珍しいのだろうか?というのが正直な疑問で、実際、私の既婚の友人たちを思うとやはり自分の夫を悪く言う人はほとんどいない。(私がそういう不満を打ち明けるに値しない人間だからかもしれないけど、それについては後述)
自分の身の回りで「夫への不満が多い人」を思い出すと、それは母だったりする。
母は6人兄弟の末っ子で典型的な姫タイプなのに、父は典型的な昭和一桁なタイプだったので、母の父への文句はだいたい「お父さんは○○してくれない」だった。趣味も麻雀や囲碁将棋ゴルフなので休日はほとんど父ひとりでお出かけ。これは父も悪いと思う(笑)
自営業で共働きなのに、家のこと何もかも母にやらせっぱなしで自分はひとりで遊びに行くという困った父親ではあったけど、それでも人一倍働いていたことも事実で、母は大いに不満を持ちながらもそこそこ「良いところ」を見つけながら、何十年も連れ添ってきたのかもしれない。
愚痴りながらも仲が悪かったというわけではなかったので不思議なものです。(ちなみに父から母への不満を聞いたことは一度もない)
完璧な幸せの余韻
毎回楽しみにしているwebマンガがあります。先日その第8回目が掲載されました。
【コミックエッセイルーム】瀧波ユカリさんの連載「ありがとうって言えたなら」を更新! 第8回「私たちも『完璧な幸せ』の最中だった」:母を連れて、瀧波家の「第二の故郷」であるハワイへ行くことに。総勢11名の旅はなかなかのカオスで……。 https://t.co/P7i6kpjeAW
— CREA (@crea_web) 2016年12月15日
私たちも『完璧な幸せ』の最中だった|ありがとうって言えたなら|CREA WEB(クレア ウェブ)
瀧波ユカリさんの「ありがとうって言えたなら」
『はるまき日記』にも登場した瀧波さんの母・千恵子さん。エネルギッシュな毒舌コワモテ母が、突然余命1年の病気だと聞かされた。闘病と看病、母と娘の関係、娘たちの本音と母の想い。誰もが経験する大切な人との別れは、想像と違うことばかりで……。思わず「お母さん」ってつぶやきたくなるコミックエッセイ。(月1回更新)
私たちも『完璧な幸せ』の最中だった|ありがとうって言えたなら|CREA WEB(クレア ウェブ)より引用
ガンで余命宣告されたお母さんとその家族の闘病と看護の様子が描かれていて、自分も父を亡くしているので共感するところが多く、毎回毎回「ああ、わかる」とうなりながら?読んでいます。
毒舌でパワフルだったお母さんが、病んで心を閉じてる姿を見る辛さ、同居して看病するお姉さんの奮闘の様子など重いテーマだけど、でもその日常の中にはやはり笑いもあって、病気の家族がいる人にとって辛くなく、寄り添うように読めると思います。
先日、第8回「私たちも『完璧な幸せ』の最中だった」が公開されて、中にとても印象に残ったシーンがあった。
余命宣告されたお母さんと、子どもたち3人がそのまた子ども(孫)を連れて総勢11人でハワイ旅行に行く。孫たちがまだ小さいので大騒ぎな道中だけど、お母さんは前ほどパワフルではないが楽しそうに過ごしている。
ある夜、サンセットクルーズの船上で仲よさげな老夫婦の姿があった。なんと結婚50周年のハネムーンだという。
瀧波さんは、ご長寿で元気で結婚50周年をハワイで過ごす老夫婦に「完璧な幸せ」の姿を見たようで一瞬ひるんだという。
でもそのすぐあと、船上で5人の孫たちと踊る母親の姿を見て「私達も完璧な幸せ」の最中だったと思い直すのです。
その感情の動きに余計な説明はなく描かれているのだけど、私はしばらくそのシーンの余韻が抜けず、それを言語化してみたいのだけどなかなか難しく、でも心に残ったことを今の言葉で書いてみたいと思った。
素晴らしいロケーションであろうハワイのサンセットクルーズ、仲睦まじい結婚50周年の老夫婦、そして大家族で5人の孫たちに囲まれダンスを踊る初老の婦人。
それはどちらも「完璧な幸せの姿」であって、これを目の前にしたら私もひるむかもしれない。
瀧波さんも少しひるんだだけど、すぐに「自分たちも完璧な幸せの中にいる」ということに気がつく。ここが大事なところかもしれないと思ったのだ。
ここで気がつけない人と、気がつける人を分けるものはなんだろう?と。
よく「幸せはなるものじゃなく気づくもの」と言われるけれど、多分こういう「気づき」の感度は人それぞれで、人の幸不幸はきっとその感度によって大きく変わる気がしてならない。
「完璧な幸せ」に見える境遇にいても悩める人はいる。その人に「あなたは○○も△△も持ってるじゃない」と言ってもおそらく全く届かない。私はその人の「不幸せ」に共感できず、自分はどうも共感能力が低いらしいとひそかに落ち込んだことがあった。
そんなことを思い出しつつ、この「気づきの感度」って持って生まれた性質なのか、意識することで鍛えられるのかについて考えている。
マンガの中に話を戻すと、瀧波ファミリーも読者である私もお母さんが余命宣告されていることを知っている。だから「完璧な幸せの姿」でありながら、そのシーンがどこか悲しく見えてしまう。
でも、幸せそうな結婚50周年の老夫婦にも、その場の誰も知らない物語があってここにいるのかもしれない。
そんな無言の共有みたいなものを「感じられる」から、自分たちが「同じような幸せ」であると気がつけるのだろう。
きっとこれを読んだ私にも、私の悲しみでの「無言の共有」があるから、ここが強く心に残っているのだろう。
人の幸せを見て自分の幸せに気づける意味
人の不幸せを知って自分の幸せに気がつくよりも、人の幸せを知って自分の幸せにも気がつく、ほうが素敵だなと思う。
できるなら今後の人生も、こういう感度を上げていきたいと思う。悲しいことがあってその感度が曇るのではなく。
私は、持って生まれた性質以外でこういう感度を上げるためには、やはり「鍛錬」が大切だと思っていて、それは日々のノートを書くことにつながっている。
本を読みながら素敵だと思った箇所に付箋を貼るように、日々の中で心に残ったシーンに付箋を貼るのが私にとってのノートなのだ。
最初の話に戻ると、
「ダンナさんの悪口を聞いたことがない」といってもらえたことは喜ばしく、そうであった自分をうれしく思う。
そして自分自身も友人たちから「ダンナさんの悪口」はほとんど聞いたことがないことについて、こういう友を持てていることを含めて誇らしいことだと思う。
共感という意味では自分は未熟なのかもしれないけれど、同じ悲しみを持っていても気づきは別なのだ。
共感できることと、共有すること、今まではずっと同源なものだと思っていた。だから人の悩みに共感できない時にひそかにダメージがあったけど、なんかそういうのがスッキリ振り切れそうな気がする。
人の幸せを知って自分の幸せにも気がつく…これは共感ではなく、無言の共有のベースから生まれるのではないか。
なかなかしっくりと言語化するのが難しいけど、これについてはこれからも考えていきたい。
私はこういう無言に共有できるもののベースを豊かにしていきたい。そしてこういう気づきをこれからもノートで鍛錬していきたいと思う。
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あとがき
今日はお蕎麦屋さんの前で門松を見ました。夜、母から年賀状の印刷はまだかと催促の電話が来ました。
年末がひたひたとやってきて気ぜわしい今日この頃ですが最近甘酒にハマっています。身体が優しく温まってなかなか良いですよ♡