総透明社会に最適化して生きる。守られない時代のセーフティネットとは? | Rucca*Lusikka

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夏こそ読書!というわけで、佐々木俊尚さんの「自分でつくるセーフティネット: 生存戦略としてのIT入門」と、東浩紀さんの「弱いつながり 検索ワードを探す旅」
、ちょうど同じ時期に出た新刊2冊を読みました。

どちらも今のIT時代におけるSNSを中心にした新しい人間関係、コミュニケーションを象徴する

 

「弱いつながり」

 

について書かれています。

そのつながりを持つことが、佐々木さんはそれが未来の個人のセーフティネットになると、東さんはそれが「予測できる未来」を変えるものになると書かれていました。

切り口は違うのだけど、この「弱いつながり」というのはそれこそSNS時代になった「今」ならではのもので、私自身もいまこの「弱いつながり」の恩恵を受けていると感じています。

そんな訳で今回は、この2つの本から感じたことなど書いていこうと思います。

守られない人から「縛られない人」になるために

佐々木俊尚さんの「自分でつくるセーフティネット: 生存戦略としてのIT入門」

佐々木俊尚さんの「自分でつくるセーフティネット: 生存戦略としてのIT入門」

 

まずは佐々木俊尚さんの「自分でつくるセーフティネット: 生存戦略としてのIT入門」から。

昭和の時代はそれなりの「会社」に所属していれば、年齢が上がるに連れ収入も増えて、定年したら退職金も年金もきちんともらえるという「約束」に有効性と信用がありました。

女性なら、そういうサラリーマンと結婚すれば、安心して子どもが産めて育てられる時代でした。

しかし「会社」という強固なセーフティネットは、人生を守るものであると同時に縛るものでもあった。自分という個よりも組織人であることを優先することが「約束の代償」だったからです。

今はその会社との「約束」がかなり揺らいでいる、そしてその「約束」も得られない人が増えてきている時代です。(この辺は前著の「レイヤー化する世界」に詳しくありました)

会社に「守られない」人が増えてきたことで「格差社会」や「無縁社会」といったネガティブな言葉も生まれました。

「守られる人」からいったん降りてしまった、または降ろされてしまった人は、これからどうやって自分を守るものを見つけていくのか?

私はその一歩は、まず自分を「守られない人」と捉えるのではなく、「縛られない人」であるとマインドセットして生きていくことからだと思っているのですが、さらに佐々木さんのこの本には、

「守られない人」ではなく「縛られない人」になるために、そこからどうするかの「戦略」が書かれています。

その鍵がSNSにおける「弱いつながり」であると。そしてその中で「善き人」であることだと。

総透明社会とはなにか

佐々木さんは本の中で、現代のSNS社会を「総透明社会」と名づけています。

SNSという場は「匿名」でなんでも言える場所ではなく、むしろ「匿名」や「なりすまし」が通用しない世界なのだと。

サイバーエージェントの藤田社長の言葉を引いてそう表現されています。

「性格の悪い人は悪いように伝わって、いい人ぶってる人はいい人ぶっているように、本人は気づかなくとも、そのまんま伝わります。本人も無意識のうちに、投稿内容にも内面が現れます。ネットでは印象悪かった人だけど、会うと良い人だったというのなら、むしろリアルの場のほうを疑ったほうがいいでしょう」

「ネットで本性は絶対に隠せないのです。「全てバレてる」。ネットに投稿するならそう覚悟を決めて、自分をありのまま、等身大で使うことがとても大切だと私は思っています」

?「自分でつくるセーフティネット: 生存戦略としてのIT入門」より本文引用

SNSでの姿とリアルで会った印象が違う人はいない。

日々の発言や振る舞いの積み重ねは、その人の性格をそのまま映し出してごまかせないのだと。自分以外のものを演じようとしても、すぐに化けの皮は剥がれてしまう。

さらに「総透明社会」は、個人の「階層」までも特定する。たとえば私のパソコンの画面には、ダイエットやアンチエイジング、最近調べた電化製品、旅館、旅行会社などの広告が頻繁に出てきます。

「4○歳のあなたへ…」なんて見出しで美容整形外科の広告が出ると「余計なお世話じゃ!!」とイラッときますw

男性だと「薄毛の悩みに答えます」なんて出たり、もっと上の年代だと「間違いのないお墓選び」が出たり、独身だと「きっと出会える結婚相談所」が出たりするんでしょうか(謎)

自分がよく検索するキーワード、見ているサイト、購入したもの、会員登録で入力した生年月日、住んでいる場所、SNSでシェアした記事、いいねしたページ、そんなものが膨大なデータになって勝手に「私向け」にカスタマイズされてやってくる。

これを「便利」ととらえるか「気持ち悪い」ととらえるか。

どっちにせよ私たちはもう「見られてる」「知られてる」世界に生きていることは変えられないんですよね。ネットのデータに記録されている自分は等身大の自分であって、そこには「嘘」がつけない時代なんです。

 

写真は本文とは関係なく…汐留のビル。向こうに見えるのはスカイツリー。

写真は本文とは関係なく…汐留のビル。向こうに見えるのはスカイツリー。

 

この本のテーマは、

この「総透明社会」に最適化して生きることが、「守られない」時代を生きる個人のセーフティネットになっていく

です(と、私は読みました。)

では最適化とは何か?

それは、まず隠すより見せること。見知らぬ人を信用する、見知らぬ人に信用されるために自分を偽らず現すこと。

そしてその保証が普段からのFacebookでの投稿のログであり、つながってる友人関係であり、ブログで発信している内容であり、Twitterでふとつぶやいている内容の傾向なのです。

「私」を証明し、保証し、紹介してくれるもの

たまにですがブログのお問い合わせフォームから仕事や取材のお話をいただくことがあります。

差出人の方が会社員だと会社名と部署・名前だけの人が多いですが、フリーの方だと大抵ご自分のFacebookやブログのアドレスを記載されていますね。

会社員の人は会社名が身分を保証してくれるけど、私もですがフリーだと自分のサイトやSNSを見てもらうことが一番の保証なんです。どんな人間とつながっているか、普段どんな投稿をしているか。そもそもその人がその職業で本当に実在しているのか(笑)

そして私の今までの知見の中でですが、きちんと公開してコンタクトしてくる人に、会ってみたら「変な人」「ヤバい人」はいません。

逆に言えば、相手も私にコンタクトを取る前にまず調べていると思います。

ブログの更新内容、Twitterの普段のつぶやき、フォロワー数、Facebookでつながってる人(私は公開しています)、投稿内容(これは全体公開と友人公開を分けています)、基本情報(ほぼ公開しています。このブログのプロフィールではさらに詳細です)などなど。

私が自分を証明できるものはそれしか無いですから。そしてその公開している情報が、昔でいうところの「誰々さんからの紹介状」程度には私を保証してくれていると思うのです。

さらに言えば、ブログからオファーをくれた人は私のことを「調べて」連絡をくれているのでミスマッチも少ないのです。これはとてもありがたいです。

公開することの価値とリスク

今「守られている」人には逆に、個人情報を公開することのメリットよりもリスクのほうが気になるかもしれません。会社の上司や取引先の悪口、仕事の愚痴、などなどは、言いたくても自分と紐付いたアカウントではそうはいきません。

でも逆に、自分に紐付いたアカウントであることで、それらネガティブをいいたい気持ちのセーブが出来る、ということもあります。

総透明社会ですから、匿名で言ったことでも一旦炎上したらいずれ誰かに特定されてしまい、さらに大きなリスクを背負うことになりますし。だったらはじめから自分と紐付いたアカウントで出ておいたほうがリスクは少ない。

アートアクアリウム

日本橋で開催中のアートアクアリウム。金魚は涼しげ、人間はいっぱい(笑)

いやいや、そうはいってもネットの世界には常に罵詈雑言や流言飛語が溢れ、露出が増えるほどストーカーに粘着されるリスクが高くなり、どこかに会員登録すれば別の知らない会社からDMが届いたりするではないか。個人情報なんて極力出さない方がいい。SNSでは既知の友人との最低限のつながりが維持できていればそれでいい。

もちろん、ネットに出るということはそういうリスクもあります。

しかし自分の人生にセーフティネットを作るという観点からは、「危ないから出すな」よりは「賢く使え」を優先したほうがそれは叶うと思う。

プライバシーをさらけ出しているんじゃなくて、自分の人間性をさらけ出しているんだと考えれば、恥ずかしくもなんともありません。正々堂々と、自分の人間性を前面に出して生きていこうじゃないですか、と思えるようになると思います。

要するに、肩書きじゃなくて、中身そのもので勝負する時代になってきているんです。総合的な人間力で勝負する時代になってきているんです。これはたいへんな時代です。

でも、みんなが肩書きの飾りを求めるんじゃなくて、自分の人間力を磨くように努力するようになれば、とても良い社会になっていく可能性があるんじゃないかとわたしは思っていますよ。

「自分でつくるセーフティネット: 生存戦略としてのIT入門」より本文引用

これ、とても共感します。

あとはやはり、ある程度自分を出さないとリテラシーは身につかない。総透明社会なので嘘はググればすぐにバレるのに、安全圏ばかりにいるとググることが習慣に出来ず騙されてしまう。

嘘を嘘と見抜けるチカラは絶対に必須ですね。

弱いつながりからのほうが縁が生まれやすい

リスクを少なくし恩恵を一番受ける「生存戦略」が、「善き人」であることだと佐々木さんは書いています。

これは岡田斗司夫さんの「いいひと戦略」にも通じています。別に根っからいいひとになる必要はない、評価経済社会においては「いいひと」であることが一番理にかなっているのだから、ネット上では「いいひと」として生きていこう、というものです。

※実はこの戦略には、いいひとを演じていくうちにいつの間にか自分が本当に「いいひと」になっていくという「仮面はいつか顔になる」という裏テーマが隠されていたりします。

悪行はすぐ特定される総透明社会は、それと同時に「いいひと」がバカを見ないフェアな世界でもあります。ネットを通じて、誰かに、社会に、善きものを配っている人には善きものが与えられる。ヘイトをばらまく人には善きものは集まらない。

そうして見知らぬ人との「善きつながり」をゆる?く増やしていくことが、SNSの上手な使い方、付き合い方なんだと思う。

「新しい仕事やパートナーの紹介は、濃い付き合いの人からよりも、浅いつきあいの人からのほうが多い」

ということが、佐々木さんの本にも東さんの本にも書かれていました。

私もこれはすごく共感します。深いつながりの人は自分と共有する環境が近すぎて、お互いに「紹介」という駒を持ちにくいんですよね。特に仕事の紹介は弱いつながりから頂くことが多いです。

そしてSNSはそういう弱いつながりを維持し広げていくのにとても適したツールなんです。

人は組織から離れて「守られない人」になると、あっというまに「孤独」になってしまいます。

以前、ビッグイシューの代表である佐野章二さんの講演を聞きに行ったことがあるのですが、その時とても印象に残っていた言葉が、

「人は仕事を失ってホームレスになるのではない、ひとりぼっちになってホームレスになるんです」

でした。孤独を愛するのとひとりぼっちになるのは違います。人はひとりぼっちになってはいけないんです。

ただ、自分を縛るムラ的な「濃い付き合い」や「同調圧力」から逃げ出したい時もある。

組織やムラを離れて守られなくなった人が、孤独にならず、そうではない「縛られない人」になるためには、この弱いつながりから生まれる縁を作っていくこと、維持していくことが必要ではないでしょうか。深いつながりの人には言えない「助けて」が、弱いつながりの人になら言える、ということもあると思うのです。

孤独になっていないかどうかが、「守られない人」と「縛られない人」を分けるのだと思います。

「拠り所」はやはり…ドメインだと思う。

さて、私の世代(40代)だと人によってSNSとの付き合い方はかなり違いがあります。

1.できるだけ個人情報の露出は控えて既知の友人との関係維持のためにやってる人
2.自分の情報の露出はそこそこにして、既知の友人とのつながり+新しいつながりの窓も(積極的ではないけど)開いている人
3.自分の情報もオープンにして未知の人とのコミュニケーションの窓口として使っている人。

やはり自営業やフリーランスに3の人は多くて、大体の人は2か1ですね。どっちが正しいということではなく、個々の環境によって必要としてるかそうでないかの差だと思います。

秋谷の立石

夏といえば海。カメラマンが多いここは横須賀市・秋谷の立石。

 

私がTwitterやFacebook積極的に使うようになったのは2010年ごろからで、当時は勢いがあったのと同時に自分もフリーになったばかりだったので、新しく出会った人とフォローしあったりフレンドになるのにそんなに「垣根」はありませんでした。

いまはあの頃より人口が増えたこともあるけれど、逆に暗黙ルールみたいなものを感じて…例えば仕事で出会った人にフレンド申請したいなと思っても、その人は仕事関連の人とはSNSで付き合いたくないタイプの人かもしれない…とかヘンに考えてしまいがちです。

そんなわけで最初の頃ほど、新しいつながり、弱いつながりを増やせていない気がします。むしろ気のおけないつながりの人とのコミュニケーションのほうがメインになりがちかな?とも。

かつてはmixiが主流だったものが今はTwitterやFacebook、そしてLINEの台頭と、SNSの形もこれからは、オープンとクローズと選択は二極化していくのかもしれない。

今、Facebookに代表されるオープンなSNSがセーフティネットになる、なっていくとしても5年後10年後のトレンドはどうなってるのかは予想がつきません。

わからないからこそ私は、自分のドメインであるrucca-lusikka.comこそが、本当の私のセーフティネットだと考えます。

SNSのトレンドに左右されない、私だけの信用を蓄積できるオンリーワンの「場」がこのブログです。

今はブログよりもSNSで発信してる人のほうが多くなっているけど、私はブログというホームがあってこそのSNSだと思ってる。自分のドメインが一番のセーフティネットだと思ってる。

私の生存戦略&セーフティネットはこのブログの継続です。(もちろんそれ以前に私にとっては最高におもしろいこと、ですよ)

そういう自分の一番基本な所に、本を読んであらためて気がつくことが出来ました

生存戦略として、見知らぬ他人を信頼すること

生存戦略としての、多くの人との弱いつながり

生存戦略としての、善い人。

生存戦略としての、自分の中途半端な立ち位置を知るということ。

「自分でつくるセーフティネット: 生存戦略としてのIT入門」より本文引用

そんなわけで、佐々木さんの新刊は、総透明化の時代に、自分をどうやってネットの中で生かしていくのが善いか、その「戦略」を考えるキッカケになる本だと思います。若い人だけでなく私の世代の人にも多く読んでほしいなぁ。

長くなってしまったので東さんの本の方はまた後日書きたいと思います。佐々木さんの本はネット社会での善い生き方に迷う人向けで、東さんの方はネットの中でなんとなく「限度」を感じてる人が、新しい「欲望」に出会う為の本、という感じかな?

そしてどちらのキーワードも「弱いつながり」です。

この2冊は一緒に読むとさらにおもしろいですよ!(岡田さんのいいひと戦略も合わせてどうぞ)

 

参考書籍

 

 

参考リンク

 

 

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