箱館戦争をめぐる旅~2つの碧血碑と沖に沈んだ開陽丸。 | Rucca*Lusikka

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横浜のwebデザイナー&ライターRucca(ルッカ)のサイトです。ノート術で人生を楽しくおもしろくすることをテーマにブログを書いてます。

写真を整理しながら、行った場所の事をあとで詳しく調べつつ、旅の思い出をブログに書くことは、時間はかかるけどなかなか楽しい作業です。

読み返すであろう未来の自分のために、そしてまた、これを読んでくれた人がしばし一緒に楽しんでくれたらいいなという願いを込めて^^

さて、道南旅行の旅日記を続けます。

函館朝市

函館朝市

函館といえば朝市です。普段早起きが苦手な私ですが、ここまで来たらやはり朝捕れの新鮮魚介というのを食べてみたい!そんなわけで早起き頑張りました。

函館朝市・カニもたくさん!

函館朝市・カニもたくさん!

カニ、メロン、しゃけ、昆布、貝類、などなど、北海道の幸がお店いっぱいに並んでいます。

とりあえず朝ごはんを何処かで食べたいのですが、どこも甲乙つけがたく魅力的。うーんどこがいいのかな?・・・と悩むヒマもないくらい

市場のおばちゃま方からの猛烈な客引き攻撃・・・(;´∀`)

「見てるだけです~」「考え中です~」

と、イチイチ断りながらじゃないと歩けない…。こりゃびっくりだ。しかしだんだんそれにも慣れてきたので、こっちから聞いてみる!

「ちょっとずついろんな種類をあまりたくさんじゃなく食べたいんですが?」

という、女子じゃないけど女子っぽい要望をお伝えしたら、「ウチならこういうのがあるよ!」と教えてもらったのが

三色ミニ丼

ホタテ・うに・いくらの三色ミニ丼!イカも選べます。

お好みの具を選べる三色丼!!しかもご飯少なめのミニサイズ!!ブラボ?!!

朝はこの位の量でちょうどいいです。そんなわけでお腹いっぱいになりすぎずお目当ての具材で美味しく頂きました♪おばちゃんありがとう。

付け合せに出ていたイカの塩辛がまた美味しくて、ひとビンおみやげに買って帰りました。(お店の名前忘れちゃったゴメンナサイ)

ふたつの「碧血碑」の謎。

さて、旅の2日目の予定です。松前にも行きたかったけどこの日の宿は逆方向の洞爺湖。。さすがに無謀とのお声をあちこちから頂いたので、江差に行くことにしました。

旅の友である道産子のKさんいわく、何年か前に行ったことがあって、街並みがとてもキレイで自分もまた行きたいしオススメとのこと。

江差は函館から約60キロ位の距離の、日本海側にある小さな町です。箱館戦争で旧幕府軍・榎本艦隊の切り札だった軍艦・開陽丸が沈んだ地であります。

また、北海道の中でも歴史ある古くからの漁師町で、昔はニシン漁と貿易でとても賑わっていたとか。江差追分という民謡でも有名です。

その江差に行く前に、函館をすぐに後にするのもまだなごり惜しいので、「立待岬」に行ってきました。

ここ対向車が来たらどうするの??というくらい細~~い道を上がっていくと、急に景色が開けて岬が見えます。

立待岬

立待岬

「立待岬」…歌謡曲のタイトルとして聞いたことがある名前でした(どんな曲は知らない)。でもすごく演歌らしい名前ですよね(たちまちみさきと読みます)。

曇天が残念だけど素晴らしい絶景でした!!…夜はイカ釣り漁船の灯りも見えてロマンチックな場所とガイドに書いてありました。

しかし6月でも風が強くて寒いし、来る途中の道は細いし、お墓の中通るし、あんまり夜に来たいとは思えないカモ…。

帰り道は来た道とは別でホッ。山を降りて行くと、「碧血碑」という箱館戦争で亡くなった幕府軍兵士の慰霊碑がある場所の近くに来ました。

箱館戦争の後、幕府軍の兵士の遺体は見せしめのため埋葬が許されず、ずっと野晒しになっていたそうです。これに義憤を感じた侠客・柳川熊吉が、処刑覚悟で700もの遺体を回収・埋葬しました。土方さんの遺骨ももしかしたらここで一緒に眠っているのかもしれません。

明治8年、箱館戦争後明治政府の役職についた大鳥圭介や榎本武揚らの協賛を得て、この碑が建てられました。碧血という碑銘は「義に殉じて流した武人の血は3年たつと碧色になる」との中国故事からとのこと。

そんな義侠心あふれる男のエピソードのある碧血碑のすぐ近くまで来ておきながら…

・・・実は行ってない!!?(゚Д゚)

車ではちょっと入れない感じの道だったのと、このエピソードは実は後から調べて知ったので…(←ニセ幕末オタ!)ごめんなさい(なんとなく謝る)。次の機会には必ず行きたい!

しかしこのあと、江差へ向かう道の途中で「もう一つの碧血碑」に出会うのでした。

ドライブ途中少し休憩しようと、道沿いに休憩用のパーキングがあったので車を停めて外に出ました。柵の下にはダム湖が見えます。そこにひとつの石碑が。見に行くとここにも「碧血碑」。

もうひとつの碧血碑

もうひとつの碧血碑

ここは稲倉石古戦場という、箱館戦争のはじめの頃の激戦地でした。看板は文字が剥げててよく読めなかったけど、ここで旧幕府軍と新政府側・松前藩軍との戦いがあり松前藩軍が敗れたくさんの死者が出ました。その後大正時代になって、旧松前藩の有志が碑を建てたそうです。

函館の碧血碑は旧幕府軍のものだけど、ここで亡くなったのは新政府側である松前藩の兵士。先に出来たのは函館の碧血碑だけど、こちらも同じ「碧血碑」。同じ名前にしたことにはどんな意味や理由があったのだろう?

知りたくなって帰ってから調べてみたのですが、ネットでググるだけではよくわかりませんでした。ううむ。

沈む開陽丸・・・土方歳三・嘆きの松

江差の海

江差の海

江差に着きました。天気は曇天でしたが広々とした日本海が見える漁師町です。最近、街のメイン通りの家々がお色直し?をしたらしく、古い家屋に新しいペンキ塗装のミスマッチ感が妙におかしいけどキレイです。道路も広くて歩道も歩きやすく、あちこちにお花が咲いています。

江差の街並み

江差の街並み。整備されていてキレイ。

街がキレイだと「ウェルカム」な気持ちを感じますね。駐車場に車を停めて、しばし町を散策しました。

約160年前に建てられたという横山家。ニシンで栄えた時代の面影。

約160年前に建てられたという横山家。ニシンで栄えた時代の面影。

まず、北海道の有形民族文化財でもある江差の古い廻船問屋「横山家」を見学。

中はあまり博物館化してなくて、そのまま今でも生活を感じるというか…タイムスリップしたような感覚になるお家でした。

横山家

横山家の中。昔からの道具が残ってる。

 

横山家・土間

長い土間がずーっと続いて海につながります。

 

家はすごく奥行きがある作りで、道路側からまず店舗と生活する家屋、蔵、荷物置き場、そして船置き場、海、と続いていきます(現在は海岸線がかわり海にはつながってません)。

ふと、土間の影からオカッパ頭の赤い着物を着た小さな女の子が出てきそうな…不思議な感覚になりました。いろいろ観光地に行っては古い家を見学していますが、こういう感覚になったのは伊豆韮山の江川邸以来です。

そんな感じで、江差の町ではあちこちで「ふと」昔が降りてくる感覚になりました。(オカルト的な意味じゃありませんよ)

嘆きの松

嘆きの松。

それを一番感じたのがここ…土方歳三・嘆きの松です。

旧幕府軍の切り札だった軍艦開陽丸が、嵐でこの沖に沈んでしまいました。土方歳三は、榎本武揚は、その沈みゆく開陽丸の姿をどんな思いでここから見ていたのだろう。

復元された開陽丸

海岸には復元された開陽丸がとまっています。

 

嘆きの松。途中で大きく曲がっています

嘆きの松。途中で大きく曲がっている。左の丸い部分に拳が!

松が途中で大きく曲がっているのは、土方がこの時悔しさに拳で殴ったためと言われています。

この松の向こうに江差の海を見た時、やはりまた「何か」が降りてきた感覚になったんですよね。もちろんオカルト的な意味ではありません(2回目)

「ああ、ここに…今、同じ場所にいる」

そんな感覚っていうのかな…?ちょっとうまく言葉に出来ないけど。

幕末めぐり旅をしたい土方歳三ファンの方は(榎本武揚さんでも)、かなり遠いけど江差までくることをおすすめします。この感覚をぜひ味わってみてください。

こういうのをふと感じられることが、歴史巡礼旅の一番の醍醐味ですね。

 

参考書籍

歴史を知れば旅が更に楽しくなる! 函館・幕末というテーマでの定番オススメ小説です。電子書籍もあり。

 

参考リンク

 

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