今日は母と一緒に父の病院へ。いろんな消耗品を届けるのと、新しい主治医の先生にお話を聞くのと、でありました。
相変わらず母はひとりで父の病院に見舞いに行くのを嫌がるので、私が付き添うのですが、まぁ、確かに病院はけっこう遠いのと、なんとなくこう、人里離れた(実際は田舎ではないのですが、周りの風景に最果て感があるというか…)淋しい感じの場所なのと、父の病状が病状なんで1人で向き合うのはキツイ…というのは私も同じなので。
今日、4月23日は、両親の結婚記念日なのでした。
45年というのは「サファイア婚式」になるそうです。
ただいま寝たきりの父に、母が、
「今日は4月23日なんだけど覚えてる?結婚記念日なんだよ?」
と話しかけると、解ったのか解ってないのか・・・解らないんですが、なんかちょっと悲しそうな顔していたなぁ・・・。でも私は多分父はいろいろ解ってるんじゃないかな?って思う。伝える手段とかのスイッチが入っていないだけで。瞬間瞬間には解ってるんじゃないかなぁ。
容態はもうあまり変わらなくなってきて、ずいぶん痩せたけど顔色は悪くなかった。今は鼻から管を入れて栄養を摂っているのでそれがやはり苦しそうなんだけど・・・。胃に直接送るには外科のある病院じゃないとダメらしくて、今は転院先を探している所です。早く見つかるといいのだけれど。
帰りのバスの中で母といろいろ話す。
「お父さん結婚記念日っていったって何かお祝いを買うとか、食事に行くとか、そういう人じゃなかったよねー」
「誕生日だって忘れる人だったわよ」
「家族サービスってしなかったよね。いつも1人でゴルフ行っちゃって・・・。
知り合いでね、、すごいパパっ子の人がいて、パパ大好きで、お父さんもすごい家族思いな人で、家族仲が良くてね、そのパパが病気で入院した時、だんなさんの転勤先(海外)からひとり帰ってきてずっと看病してた人がいるんだよ。。。そういうのってかえって羨ましい?ような・・・私には多分できないかも・・・別にお父さんが嫌いとか仲が悪いとかじゃないんだけどね。」
「お父さんは昭和ひとケタ(9年生れ)だからねー、照れ屋っていうのもあるんだろうけど、基本めんどくさがりだしね。全く、なんにもしてもらったことなかったわよ。でもそのくせ外じゃ「オレの奥さんは最高だ」なんて言ってたみたいなんだけど、調子いいわよね。」
とまぁ、そんな事をツラツラ。
それでも45年一緒に暮らしてきて、一緒に働いてきた(ウチは自営業だったので)相手というのはやはり特別で、その人を失うかもしれない、という不安や淋しさというのは私も結婚したのでわかる・・・まだ6年だけど。
加えて母だってもう高齢だ。自分自身の健康の不安、ひとりになることへの心細さ、そういうので今は少しウツっぽくなってるので薬をもらっているのだけど。母の年になると周りのお友達はもう未亡人が多いので、みんなこんな別れを乗り越えてきたんだねぇ・・・としみじみ。
平均寿命を考えると、やはり女が置いていかれる確率が高いし、そんなわけで「おひとりさまの老後」という本がベストセラーにもなっているようです。既婚も未婚も子持ちも子無しも所詮は一人。死ぬ時は平等にみんな一人。
さっきの私の言ってた「パパ大好きな知り合い」は、正しくは、私が好きで巡回してるブログのブロガーさんで面識もないんだけど(母には説明しにくいので端折った)、お父様が病に倒れてからのいろいろ(もともとはそういう主題のブログではないんですが)を読ませていただいてて、それまでの普通の日記ブログの時からそうだったけど、ふと洩れるご両親の話に、なんかこう理想の父娘というか、家族というか、ホームドラマのように愛情溢れる家庭って本当にあるんだ・・・そういう家で育つ女の子って、こんなにまっすぐ感性豊かな愛情溢れる優しい娘に育つんだ、と思ったのでした。
もちろん彼女自身の文章や、ものの考え方や視点がとてもおもしろく、また世代も同じなので共感する部分が多くて読んでいたのですが。
残念な事に彼女のお父様はその後亡くなられてしまい・・・彼女はしばらく傷心のお母さんのために日本に留まって、そして今は旦那さんの待つ海外の国に戻られてます。
「お母さんはもう大丈夫だから、お前はもう帰りなさい。」
とお母さんに言われて「さすが、パパが選んだ女だぜ」と、だんなさんの元へ帰る決意をした彼女が、友人から前に聞いたことのあるイタリアの言葉?として思い出したというのが、
「誰かに一度でも心底、心から愛された人は、
一人になった時、寂しくはなっても孤独にはならない」
だったそうです。
夫婦って、結婚って、そういうことなのかもしれないね。
ウチはそんなにストレートな愛情溢れる家というよりは・・・愛情はあるんだけどあまり家庭を顧みなかったお父さんと、愛情はあるんだけどそんなわけでちょっと不満のお母さんと、愛情はあるんだけど両親が仕事でいつも忙しいので、反抗期もなくわりと早く親離れしてしまった子供たち、といった家だったわけですが、
それでも「愛情はあるんだけど」というのが共通認識だったことは確かなので、今後またもっといろいろあったとしても、きっと地味に大丈夫・・・だと思うのでありました。