ここ数年、読書から遠ざかっていたせいですっかり本の読み方が衰えていました。でも今年から「本をたくさん読むぞ!」と決意し8ヶ月。今のところ再読やマンガも含めてですが月10冊以上のペースで読めています。(読んだ本はブクログに記録しています)
(※2015年現在、このブログの「Book&Goods」コーナーに移設し随時更新中です!)
やっと最近はテキパキ?読めるようになりました。習慣って大事ですね。(でも眠くなる本はやはりあります)
読書が続けられていることはノートの影響が大きいです。
さて、そんなわけで今日のノートのお話は、ワタシ流の「ノートと読書」について。
スマートノートを始めてから、本を読んだ時にはその記録をつけるようになりました。ただ「○○読了」+簡単な感想だけの時もあるし、読みながら気になったキーワードをノートに書き落とすこともあります。キーワードと自分が感じたことと、うまくつながってまとまりそうなものはブログにアウトプットしています。
読む → ノートに書き落とす → ブログにアップする
今のところこのサイクルがとてもうまく回っています。ブログに反応をいただくことも読書のモチベーションアップになってます♪(ありがとうございます)
さて、どんなふうに読書とノートを結びつけているのかというと、
こちら↑は、先日読了したPha(@Pha)さんの「ニートの歩き方」を読みながら綴っていたノートです。こんな風に本からの気になった言葉(キーワード)を落としていって、それについての自分の感じたコトや補足はほかの色で書き込む、という感じにつけています。だいたい本1冊で3~4ページくらいになります。
読書とスマートノートはものすごく相性がいいです。
げっ!読書だけでも大変なのにさらにノートまで取るなんて絶対無理、そんな時間ない!
と思いますよね。でも読書するならついでにちょっとでもいいからノートにそのことを記録することは「考える」に繋がるんです。「考える」がとても大事なんです。
私がスマートノートを書いているのは「考える」訓練をする為です。
読書はまず読んでて知識がついたり、物語がおもしろかったりという「読んでよかった」という体験をくれますが、最大の恩恵は「考える」に誘ってくれる手段でもあるということです。
なぜ「考える」事が必要なのか?
その理由は以前の【MYノート術】でも説明しましたが、先日とても良い本を読んだので紹介させてください。
それは山田ズーニーさんの「伝わる・揺さぶる!文章を書く」です。最初は単にうまい文章を書くためのノウハウ本かな?と思ったのですが違いました。特にプロローグでの
「考えないという傷」
にやられました。
アルバイトで受験生の個人指導をしていますが、彼らが、自主的に”考える”事を放棄して、その結果、苦しんでいるように見えてしかたありません。
学習のみにとどまらず、自己発見や進路についても。
苦しんでいることを自覚していれば、まだ良いと思います。”なんとなく”で生きている子たちこそ、今受けている傷は深いのでは、と胸を痛めています。
↑上の文は、山田ズーニーさんがある大学院生からもらったというメールの内容です。自分の受け持つ受験生たちが、考えることを放棄して、その結果苦しんでいる、傷ついている気がすると。
何ごともあまり考えない、考えてないことにさえ気がつかない人は、一見オメデタイ人のように思えるのだが、実は深く傷ついている。
「考えない」というのは、自然天然の状態ではなく、実は、不自由なことではないだろうか。
さて、山田さんは教育誌編集者として高校生に文章指導をすることがあるそうなんですが、
「他人ごとでなく、まさに自分の問題としてあなたが切実に受けとめるのはどんなことですか。あなたの肚の中から発する言葉で述べなさい。」
という入試のための小論文のテーマにおいて、ある17歳の女子高生が書いた「とりあえず」ばかりの文章にふさがれた気分になったそうです。その文章はというと、
「私が気がかりなのはひとまず自分の将来です。
とりあえず今は大学進学のことが切実です。学歴が全てではありませんがとりあえず一流企業に入るためには高学歴であることがてっとり早いと思うので、目の前の問題からひとつづつ片付けていこうと思います。」(※大意)
山田さんが二重にふさがれた気持ちになったのはこの2点。
1.いい大学、いい企業に入って人生をてっとり早く片付けていく、そんな消化試合のような人生観を持った17歳がいること。
2.たとえ本音だとしても入試でこう書けば大学側はどう考えるか?そんな関係性さえこの子には想像できないのかということ。
果たして、この少女の文章を指導し2時間で改作させることができるか?について、山田さんはいろんな人に相談し考えます。
まずはこの子がなぜこのような文章を書くに至ったのか、もしかしたら求められていることがわかってないだけかもしれない、それが理解できれば、あとは自分の頭でどう考えていくかをサポートすることで、文章は変わるかもしれない。
女子高生はその後、自分の頭で考えた、彼女だけにしか書けない内面の葛藤を生き生きとあらわした見違えるような文章を書けるようになるのですが、それについて、
ちょっとした方法を知らないだけで、自分の本心と、自分の書くものが離れてしまい、人から誤解されたり、摩擦が生じたり、ということは私たちが思っている以上に多いのではないだろうか?
自分以上にいいものを書く必要はない。しかし、自分以下になってはいけない。
だからこそ、書くために必要なのは「考える」ことだ。
彼女は「考えて」いなかったから、あのような文章を書くに至ってしまったのだ。
考えないことによって、同じ悩みや問題をグルグルと回し、その結果苦しんでいる。考えない迷路から出るには、自分で考える以外にない。彼女に必要なのはそのための「具体的な方法」だったのだと。
「考えないという傷」
「考えない」でいることは知らないうちに損をしていることであり、結果、自分自身を深く傷つけることなのです。
考えるのって大変ですよね…私もノートを前に何かを考えていたり、本を読んでいる途中で気が散ってしまい、ついスマホでネットを見てしまってる・・・なんてことあります。時間泥棒はあちこちに潜んでいます。
気を抜くとすぐに彼らに「考えること」への時間を奪われてしまいます。
でも読書と同じで、「考える」も習慣にして行かないとやはり衰えるのです。
「考えないという傷」についての話はこの本の序文で、このあと、機能する文章とは、なんのために書くのか、説得のためにいかに視野を広げるか、などなど、文章について具体的な「考え方」が示されていきます。
前に書いた「伝わる文章を書くための8つのポイントとひとつの心構え」は、おもにwebでの文章についてでしたが、この本で書かれているのは、説得、お詫び、お願いなども含む、対面する「人」への文章です。でもどちらも「ひとつの心構え」は同じです。読み手に対する敬意、そしてそれは「考えること」。
読書+ノートは、最適な「考える力」トレーニングになります!特にスマートノートの手法では、ノートの見開き2ページの右に日々の記録など書いて、左ページを「考える」に使うのですが(実は私は横位置で上下に使っていますが)、「考えて」いないと左ページがどんどん空白のまま進んでいってしまいます…もったいない!(←でもこれがスマートノートの「考えさせる」罠)
何もインプットがない日は左ページを埋めるのは至難ですが、読書のアウトプットがあれば3日分くらいは左ページをどんどん埋めてくれます。
読書から生まれた小さな「問い」は、ノートを土台に考える力と時間を作ってくれます。
そんなわけで読書とノートの相乗効果で、今のところ両方が進んでいます。読んだものがしっかり身につけられるよう、これからもノートと共に読書をすすめていきます。
山田ズーニーさんの本、すっごいオススメです★