夏前に、今年は残暑が厳しいという長期予報が出てた記憶があるけれど、なんだかそれほど残暑を感じないまま台風がいくつもやってきてあっという間にお彼岸になった。
暑さにめっぽう弱いので真夏は家に引きこもるため、そろそろ日中も外に出れるようになったのはいいけど、身だしなみを整えるのに時間がかかってしまい(忘れている?)困ることが多い季節です(笑)
さて。
秋のお彼岸というと、ちょうどこの頃に父が亡くなったのでいろいろ思い出すことが多くなる。もう8年になりますが。
生きていて元気だったころの思い出と、病気が発症してから亡くなるまでの半年間の思い出と、なぜか今でも私の中ではこのふたつを一緒に考えることができない。父の思い出と、父の入院の思い出は、別の出来事のように私の中で区分けされている。
この時期に思い出すのはやはり入院してから亡くなるまでの間のことが多い。
そしてその間、父とはもう意思の疎通ができなくなっていた。そういう病気だったのだから仕方がないのだけど。なので父の亡くなるまでに下さなければならなかった決断のすべては私と母がしなくてはならなかった。しかし母も精神的にかなり参ってしまっていたため、ほとんど私が考え答えを出さなくてはダメだった。
最近、周りで親が入院したり介護が必要になったり、という話を聞くことが多くなった。そして社会でもこれからの高齢化社会において、特に医療費の負担が問題化されていて、なかにはとても極端で残酷なことをいう人も出てきている。
親の病気→亡くなるまでにはいろんなケースがあって、それによる苦労や心の重圧などはそのケースによって人それぞれだけど、わかってる人とわかってない人とは「想像する」力が全然違うと感じている。
「俺がボケたらさっさと施設に入れてくれ」とか「延命はしないでくれ」とかいうのは簡単だ。
はっきりいって、少しでも「わかってる」人だったら、それが簡単ではないことを知っているし、もっとわかっている人はそう気楽に言うことが、いま病人を抱えている当事者を傷つけるということも知っている。
「さっさと施設に入れてくれ」も「延命はしないでくれ」も、今の高齢者の医療の環境ではとても困難なことなのだ。
まだまだ両親ともお元気とか、実際には奥さんや別の兄弟が面倒を見ていたとか、そういう人だと想像がつかないのは仕方がないのかもしれないけど。
終末期にしなくてはならないたくさんの「判断」
父が亡くなったのは、クロイツフェルト・ヤコブ病という難病が原因だった。日本では100万人にひとりという非常に稀な病気なので、症状が出て入院してからも4か月間病名がつかなくて、入院3か月ルールで仕方がなく別の病院に転院しそこで初めてこの病気が疑われて、やっと公的な支援が受けられる手続きができた時に亡くなってしまった。
稀な病気だけど、症状としては認知症の末期と似ている。認知症は5~10年かけて衰弱して亡くなっていく方がほとんどだけど、この病気の場合はそれが半年ほどの間に急激に進むのだ。
原因は角膜や脳硬膜手術による薬害のものと、イギリスで以前あった牛由来(変異型CJD)のものと、それら以外の孤発性(家族歴なし)のものがあって、日本での症例はほぼ孤発性のもので父もそうだった。発症したら治療方法は今のところない。
最初にその病名の可能性をいわれたとき、聞いたこともない病名だったのであちこち調べていたら、薬害でこの病気になってしまった方の家族会が立ち上げたホームページがあったので、そこでいろいろ病気のことを教えていただいたり、掲示板で相談にのっていただいたりした。
とにかく患者数が少ない病気なので病院によって対応もまちまちで、相談できる知識を持った窓口も少ないため、病院の情報などが共有できる場としてとてもありがたかった。
その中で印象的なやり取りがあった。
とある相談者さんのお母さんがこの病気で入院していて、ある日容体が悪化し呼吸困難になった。人工呼吸器をつければ呼吸は楽になるが、一度つけてしまった人工呼吸器は外すことはできない。
末期の患者がそういう状態になったとき、だいたいどんな病院でも念書を書かされる。人工呼吸器は望みませんという書類にサインするのだ。(2008年当時はあった。今は知らない)
私も父が危篤になったときにこれを渡された。そのときはもう病名がわかっていて助からないことは承知だった。しかしやはり迷った。ここで人工呼吸器をつければ、目の前の息が苦しそうな状態からは助かるのだから。
しかしそれは、ただ生かされている状態を延長させることにもなるのだ。母に電話し、兄に電話し、どうしようか相談したけれど、母は相談相手になる状態ではなく、兄も遠方にいて様子がよくわかってなかったので急に決断もできず、結局冷静に助言をくれたのは義姉と、私の夫だった。
納得してサインをして、そして翌日父は亡くなった。後悔はないけれど今でも時々、お父さんごめんねといいたくなる。(わかってくれて許してくれてると思ってるけど)
さてしかし、その相談者さんは人工呼吸器をつけてもらうことを望んだそうだ。だけど病院側はなんとかつけさせないようにと説得してくる。人工呼吸器は病院にとって大変な経費なのだ。そのことでその相談者さんは憤り傷ついた気持ちを掲示板につづった。
早く苦しみから解放してあげたい気持ちも、一日でもいいから長く生きていてほしい気持ちも、愛情の上では同じなのだ。
相談者さんにお返事をした方は、その方の傷ついた気持ちに寄り添いながら、ご自分の家族の時の話をしながら、決して強要する言い方ではなく、しかしこの病気の回復の可能性がゼロであることの事実を濁さず、そのうえで最大限の優しい答えをされていた。
それを読んでいて、私も私の判断が許された気がしてあたたかいきもちになった。
「その時はあなたに任せる」は考えたことにはならない
病気の当事者に、どのような最期を望むのかもう聞くことはできなくなった時、病院の都合で(入院3ヵ月ルールとか)転院しなくてはならなかったり、個室に入れられたり、栄養チューブ、人工呼吸器、積極的な治療をしないことへの署名…etc、さまざまなことを本人の代わりに決めなくてはならなくなる。
命にかかわるそれらを、たとえ家族でも代わりに行わなくてはならないのはけっこう重い。病院の都合や経済的な問題でその決断の幅が狭められることも多い。
転院先を探すのも当時はかなり苦労した。転院した当日から3か月後の病院探しをしなくてはならなかった。今も状況はあまり変わらないだろう。3か月過ぎると個室に入れられてしまい、個室が続くと経済的な負担も大きい。
「さっさと施設に入れてくれ」がどれだけ大変か想像ついてくれただろうか?
「延命はしないでくれ」も、人工呼吸器の前段階として、胃ろうや経管栄養というのもあるんだけど、これらもまさに当人への「命綱」で、切ったら間違いなく死んでしまうのだ。その判断を人に任せることがどれだけ重いことか想像してくれるだろうか?
「自分がそうなったらもうその時はあなたに任せる」というのは、受けるほうには重いこと。命の殿(しんがり)を任されることなのだから。
だから夫婦だったら、なにかの折々に「自分が自分で判断ができなくなった時の任せ方」への確認を継続的に取り合ってることが大切だと思う。(ずっと前にそういえば言ってたかも~くらいだとやはり悩む)
「殿(しんがり)」をつとめる人へ
私は人工呼吸器のことでしばらく心が重かったけれども、そのホームページの方は私の相談にこうおっしゃってくれた。
「なにを選んでも、家族が選んだそれが一番最上で最良の判断なんです」
当人の意思が確認できない場合、選んでしまったことが本当に良かったのかと家族はいつも悩む。元気なころに聞いていた意思に近い状況を選べることもあれば、いろんな事情から選べないこともある。
それでも容体が変わるたびに病院からは「どうしますか?」と聞かれ、その都度サインしなくてはならない。
でもなにを選んでも選んだことはすべて正しくて、その時々でのいちばん良い判断だったのだと。
今、病気の家族を抱えてる人で「判断」することに悩んでいたり、罪悪感を持ってしまってる人がいるなら、私もこの言葉を届けたい。
「なにを選んでも、家族が選んだそれが一番最上で最良の判断」なのだと。
・・・
だからこそ簡単に「ボケたら施設に入る」とか「延命は希望しない」とか「安楽死がいい」とかを、ふんわり思ってるだけの人はそれを言葉にすることが、さらに言えば拡散されるように意図をもって強い言葉で放つことが、誰かの今の重荷や罪悪感を押していることを、ほんの少しだけ想像してほしい。
昨今は「生きる価値がある」かどうかを他人に勝手に決められることがどんなに恐ろしいか。というのを考えずにいられないニュースも多いから。
そんなわけで、父の命日に入院時のあれこれを思いだし、久しぶりにいろいろ考え、書いてみました。
参考リンク
おすすめ書籍
当時勧められて読んだ本。終末期の家族がいる方にはおすすめです。海街1巻では幸ねえの「許容量が少ないからってそれを責めるのは酷なのよ」でいろいろほどけたなぁ。
あとがき
重い内容になりましたが、8年経って母も元気でやっています。私も入院中のあれこれのことよりも、父が元気だった時を思い出すほうが増えました。たいてい酔っぱらってご機嫌で寝ちゃってる姿ばかりですが(笑)