200勝と夏の思い出~山本昌さんに捧ぐ(?) | Rucca*Lusikka

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横浜のwebデザイナー&ライターRucca(ルッカ)のサイトです。ノート術で人生を楽しくおもしろくすることをテーマにブログを書いてます。

私が通っていた中学校の教室の窓からは、隣にあった野球場のスコアボードが見えました。

夏になると高校野球の予選が始まって、3,4回戦くらいまでの試合はそこで行われていました。

当時は荒木大輔さんとかが活躍していた頃で、クラスメイトのRちゃん(私と同じ名前だった)は大の高校野球好きで、同じく野球ファン(私はどっちかというと当時はプロ野球ファンだったのですが)ということで仲良しでした。なので2人でよく学校帰りにその球場へ、夏の予選の試合を見に行きました。

その日、たまたま見た試合で、控えでずっとブルペンで投げていた投手がいました。

丁度私らが座っている場所の目の前だったんですが、Rちゃんと、その控え投手が「けっこうカッコイイ」「笑うとカワイイ」という話になり・・・その日はマウンドで投げていた3年生のエースがノーヒットノーランを達成したので(たしか)、控えの「彼」は出番がなかったのですが、Rちゃんと、

「次も見に行こう!!」

という事になったのですよ。でも当時中学生の私たちなのでそんなに遠くの球場までは行けず(神奈川といっても広いんで)、その後1回どっかの試合に行ったかな?その時は控えの「彼」が先発でした。その試合も勝ったのかな?(なにしろ昔の話でウロ覚え)

しかし結局その年、その高校は甲子園出場は叶わずベスト8くらいで予選敗退してしまったんだけど、控えの「彼」は2年生だったので、Rちゃんと「また来年応援しよう!」と誓ったのでした。

私らもその年は受験で、Rちゃんは「彼」がいるその高校に行って野球部のマネージャーになる!と誓ってましたが、その高校は私らの住む街からだと片道2時間はかかるので断念。Rちゃんも私も大人しく?地元の別々の高校に進み、Rちゃんは野球部のマネージャーになりました。

私も野球部の女子マネージャーに憧れはありましたが、私が進学した高校は男子数が極端に少なくて、野球部があっても部員数と女子マネ数が同じという・・・断念しましたw・・・まぁ今思うと私に女子マネの適性はゼロ(マイナスかも)ですが・・・。

さて高校1年生の夏!!Rちゃんと私は盛り上がります!!

Rちゃんは野球部女子マネだけあって情報が多く、彼女曰く、「彼」のいる高校は今年は「彼」をエースとして相当強いらしい!!甲子園初出場もありえるんだって!!これは応援せねば!!

「彼」がエースとなったその高校は、その夏何戦か勝ち進んだんだけど、最後ベスト8だったか4だったか・・・(またもうろ覚え)、川崎球場での試合で負けちゃったんですよ・・・。泣きながら試合終了のあとベンチへ戻る「彼」を見て、私たちも号泣したのでした。

もう応援できなくなっちゃったね、なんかさみしいね。「彼」は何の接点もない普通の高校生で、私らは「勝手に」盛り上がって応援してただけで、高校も違うし、彼の進路もわからないし。

Rちゃんは

「コクる!!(当時はそんな言葉はありません)と宣言。

…とはいえ結局そんな度胸もなく、淡い恋心は(恋といえるのか?)夏と共に儚く消えたのでした。

そんなわけで終わった恋?でしたが・・・なんと!

その年のドラフトで「彼」が中日に5位で指名されたではありませんか!!

なんとプロ野球選手に!!

Rちゃんと私は泣きましたよー!!嬉しくて嬉しくて、これでまた応援ができるねー!!と。しかも私は中日ファン!!こんなに嬉しいことはなかったです。スポーツ新聞にその「彼」のいろんな情報が載っていて(当時はあんまり個人情報うるさくなかった)、住所を突き止めた我々は、無謀にも?

「こうなったら応援する気持ちを直に伝えよう!!」

と、会いに行く計画を立てたのでした!!(今思うと本当にミーハーですが、おバカな10代という事でご勘弁w)

多分なにか・・・千羽鶴系のなにか?(うろ覚え)をプレゼント用に作った気がする・・・Rちゃんが女子マネなのでそういうの得意だったし。私はどっちかというとそのRちゃんの勢いに少し押され気味だったのですが。

まあ、それと応援のお手紙を持って、「彼」が利用するであろう自宅のある駅で待ち伏せしたのですよ。(あ、ドン引きされてる方います??・・・厚顔無恥な10代という事で何卒お許しを)

待つこと数十分・・・改札に「彼」が現われたじゃないですか!!

思わず歓声を上げる私たち(オイオイ)・・・しかし「彼」は私たちに気がつくと早足で真っ直ぐ「ゲーセン」に入ってしまったのであった。


「ま、捲かれた?(ToT)」

まぁ今思うと、片田舎でのドラフト指名投手ですから、きっと地元ではあちこちで騒がれてたりしてた頃だと思うのですよ。学校内とかではきっとすごかったんじゃないかなー?・・・さすがにゲーセンの中に入っていく勇気はなく、しかしせっかくここまで来たのに帰るのも悲しく、

結局我々は、住所を頼りに自宅を探し当て(10代という事でくれぐれも以下略w)、いらっしゃったお母様にプレゼントを渡して来たのでありました。冒険終了!!

その後、「彼」はしばらくは泣かず飛ばずでプロになったとはいえ消息は分からず(ネットもないしね)、私も興味の対象が高校野球からアマチュアバンドになり(思うと私の中の“ミーハー”は10代で使い果たした気がする)、Rちゃんともその後あまり会わなくなり・・・。

今となっては野球のニュースを見ても、ユニフォームがどこのチームのかももはや解らないほどの野球オンチになってしまったわけですが、

「彼」の名前や姿を野球のニュースで見るようになったのはいつの頃からだろう?

その度に、ああ、頑張ってるんだなー、と嬉しく思ってたのでした。その「彼」が先日大きな記録を、なんと史上最年長で達成したというニュースが流れたではありませんか!!

プロ野球:中日・山本昌投手200勝 中年の星、歓喜の胴上げ

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42歳でのこの大記録達成・・・本当にすごいです!!

私と同じ年代の野球選手だと清原選手がいます。彼にもまだまだ頑張って欲しい。でも清原選手は甲子園のスターで数々の栄光がすでに山ほどあるけれど、山本昌投手は甲子園にも出てないドラフト5位ですよ。なかなか芽が出ず、一時は解雇の危機もあったそうです。

長いなが〜〜い年月をかけての200勝達成、本当に素晴らしいと思います。まだまだ現役で野球を続けて欲しいです!

そんなわけで、大記録達成のニュースと共に、遠い遠~~い夏を思い出して、ちょっと懐かしくうれしかったです。

Rちゃんもきっと、同じ気持ちでこのニュースを見ていたんじゃないかな?(*´∀`*)

Arubamu

当時大事に持っていた生写真(ノ∀`)・・・この一枚だけアルバムに残っていました。

2013年8月追記

今年の夏の甲子園で、前橋育英高校と横浜高校の試合を見ていたのですが、前橋育英高校の荒井監督という方が、日大藤沢高校出身で高校時代に地区予選でノーヒットノーランを達成した、という紹介をされていて、あー!この監督さんは私たちが最初に見に行った試合で投げてた3年生の投手の人だ・・・!と思いだし、懐かしくなりこのブログをほじくりだしてみました。

なんともいじらしくあつかましく乙女でおバカなミーハーで、懐かしいけど恥ずかしい…(笑)

それにしても今でも山本昌投手が現役で投げ続けているのには本当に驚きです。これからもできるだけ長く頑張って欲しいです!!

そして、横浜高校が負けてしまったので、前橋育英を応援したいと思います^^

さらに追記

こんな記事もありました♪

山本昌が憧れた先輩、甲子園初勝利。前橋育英・荒井監督の31年越しの夢。(1/2) – Number Web : ナンバー

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