「シンプル」とは原点ではない。時間を掛けての到達点だと考える。 | Rucca*Lusikka

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6月11日に行われた岡田斗司夫さんと内田樹さんの対談を聴きに行って来ました。今年出たお二人の対談本「評価と贈与の経済学」の出版記念イベントです。

【告知】6/11(火) 東京 内田樹×岡田斗司夫 「評価と贈与の経済学」出版記念トークライブ

岡田斗司夫さんの講演や対談は何度か聴きに行ったことがありますが、内田樹さんのお話を生でお聴きするのははじめてです。

対談イベント参加の申込みのフォームに、「評価と贈与の経済学」の感想とお二人への質問を入力する欄がありましたが、対談はその「質問」にお二人が答えていくカタチで始まりました。

そしてそのはじめの質問の内容が、

今の日本を変えるにはどうしたら良いでしょうか?

いきなりなんかデカイのキター!と、お二人も会場も困った笑いに・・・(笑)

でもこの質問への答えから、私にとってはとても大きな学びがありました。今日はそのことについて書きたいと思います。

世の中の「複雑さ」に耐え切れない人たち

内田さんは最近インタビューや執筆依頼などで

「今までのお話しをまとめてお願いします」

「10行でお願いします」

などと最後にお願いされることがほんとうに多いんだそうです。

でも、この質問もそうだけど「今の日本を変えるにはどうしたら?」なんて、そんなに簡単にひと言で答えられるものではない。

情報過多な今の世の中で、人は「シンプルさ」や「わかりやすさ」を大切に思う傾向が強くなってきている。しかし、世の中の様々な問題はどれも「シンプル」に解決できるものばかりでも、簡単に答えを出せるものばかりでもない。

 

シンプル=正しい=あるべき姿ではない。

なぜか「本質は単純である」と思いたい人が多い。しかし複雑なものを「シンプルに」という単純な処方せんで解決しようとしたりすると、無理な負荷がかかり、結局壊して終わりになってしまう。

・・・これは、いきなりとても興味深いお話でした。確かに今って「シンプル」「シンプル」と、シンプル教か!?ってくらいシンプルであることがやけに求められている気がします。

「一週間で学べる○○」とか「○○に必要な20のポイント」とか「ざっくりいうと」とか「まとめのまとめ」とか、本屋さんに並ぶ本のタイトルでも、webの見出しでも、どれだけ「早く&速く」理解できるか、モノに出来るか、という価値観から創られたサービスやコンテンツが人気だ。

「早く&速く」処理するためにはできるだけモノゴトをシンプルに考える必要があります。でもモノゴトはそんなにシンプルに解決できることばかりではない。

たくさんの情報をわかった上で、事実と思うこと、思わないことをひとつひとつ分けていき、自らの経験に照らし合わせて判断し、これはと思う真実を取得選択する、ということが、本来の「シンプルにする」ということのはず。

つまり「物事をシンプルにする」ということは非常に手間のかかることなんです。

なのにその過程を「シンプルにする」ことを「シンプルに考える」と勘違いしてしまってる人がなんと多いことか。

そのことに岡田さんが、わかりやすく例を挙げられました。

文化革命時の中国での話。せっかく実った稲穂をスズメに食べられてしまう、という農村からの声に毛沢東は人海戦術を使って一斉にスズメを退治した。その結果、イナゴなどの害虫の数が激増して、逆に大凶作になってしまったこと。

つまり、スズメの被害→ではスズメを退治すればいい、という単純な図式では物事の解決は測れないという例えです。

同じように、「今の日本の○○は良くない」→「だから○○廃止!」と、単純になんでも廃止、なんでも改革でよいものだろうか?

複雑で多様で情報過多で混沌としてる今の世の中では、物事をシンプルに考えたがる人が増えてきている。しかし「複雑なものをシンプルにする」ということは本来はとても時間がかかること。

なので人は「物事をシンプルにしてくれる」人を支持しやすくなる。簡単に説明してくれる人、いいか悪いか、正義か悪かを分けて教えてくれる人、痛快にダメ出しをする人、そういう人が「人気者」として扱われている。

単純さとは自分の知性に対する信用がないということ

岡田さんいわく、

物事の問題に対して、語る前に深く考える人と、正義と悪に単純に分け「けしからん!」と声を上げる人とでは、圧倒的に後者のほうが「モテて」「影響力を持ってしまう」のが問題ですよね、と。

内田さんは、「単純」であることは生物として複雑な世の中に「適応」してるとも言えることで、それはある意味「正しい」姿であると言う。しかしそれは自分の知性を自分で信用できていない姿の現れでもあるのだと。

世にある「陰謀論」などは、単純に考えたい人の拠り所のカタチなのだと。なんでも「陰謀」ということにしてしまえば、物事の本質もそれになり、「陰謀元のあいつをやっつけろ」で解決できてしまうから。

そして「あいつをやっつけろ」的な攻撃をしてる時、ひとは「全能感」を持ちやすい。攻撃的に書くことで興奮し人格を乗っ取られやすい。若い人ほどそっちにいきやすく、そしてネットの怖い部分はその稚拙な発言がいつまでも残ってしまうことなのだけど、そこまでの想像力が働かないことが多い、と。

・・・と、最初の質問から内田節&岡田節全開でした。そして最初の質問へのお二人の答えは

「今の日本を変えるには~」という質問は、こういう質問をしてくる質問者にはまだ早い。

でした(笑)

いきなり日本などと大きいフレームではなく、自分の家族や学校や職場などの小さいフレームから考えてみよう。そのほうが問題が見えやすい。まずはそこから考えてみよう!

シンプルにすることはシンプルにはいかないんだよ。

お二人の対話はこんなふうに和やかに進んでいったんですけど、ちょっとおもしろかったのが会場の風景。FREEexの方が多いせいか、みんな一斉にノートを開いているんです。

今までに参加した講演やセミナーで、これほどアナログノート率が高い場所は他にはなかったです。私の両隣の方もノートにたくさん書き込んでいました。なので私も堂々と?ノートを広げ書き込みながらお話を聴くことが出来ました^^

内田さんは長く大学で教鞭をとっておられていて、岡田さんもFREEexという組織の代表を努められていることからか、このあとの質問の答えにも共通して「人を育てる」というテーマがあったように感じました。

cafe勉強

さて、お二人の対談本の中では岡田さんが「人と話しながら携帯電話をいじるワカモノの話」をされていました。

そのワカモノにとっては「携帯をいじる自分の姿を見せる」と言うことは相手への「無礼」ではなく礼儀だというのです。その理由はこうでした。

  • いろんなレイヤーにいる自分を「マネージメントしてる自分」の姿(ケータイをいじる姿)をアナタに見せているという信頼
  • 自分はどんな場にいてもすぐにリアクションをする人間であることの証明

なんともぶっ飛んでておもしろかったんですけど、私にはやはり理解不能です。

でもそれを「けしからん!」と単純に切り捨ててしまうより、彼らなりの世界の事情があってそれが「礼儀ある行為」となされていることをちょっと「考えて」みるのもおもしろいんじゃないかなと思います。

多分お互いの世界の価値観だけで「単純に」「簡単に」その行為の是非を断じていたら、ずっと分かり合えないですよね。

そうはいっても、岡田さんが言ってたように、考える人より「けしからん!」と言ってる人のほうに注目が集まりやすく、声が大きいほど「モテる」という現象が余計に分かり合えなさを生んでいるのですが・・・。

前にもブログ記事で書いたけど「捨てる」とか「やめる」とかについて最近考えることが多いんですが、ここで「シンプルであること」への、少しの「疑問」についてもう一歩考えられるきっかけを得られたことが、とても自分にとってタイミングがよかったです。

「あるべき姿」や「本質」や「本音」というものを、「シンプルなもの」と考え、そう思おうとするから逆に息苦しくなる。

「シンプルにしていくために考える」というひと手間あってたどり着いたものが「シンプル」であって、それは「もともとあるべき姿」ではなく「なっていく姿」なんじゃないかな?

そんなことを多分これからまた折々、ノート広げながら考えていくんだと思います。まあめんどくさい生き方かもしれないけど、そのほうが楽しいと思っちゃうんだから仕方ない(笑)

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