先日、こんな記事を読みました。
「格安SIMにしたいのにできない人たち」が抱える悩み – ITmedia Mobile
要約すると、格安SIMにしたいのにできない人の理由は、
『実店舗がないし、どうやって契約したらいいのかよくわからないし、会社もたくさんあってどこを選んでいいのかわからない』
ということだった。
記事を書いた人のお母さんがそのタイプで、結局この方がアシストしてお母さんは無事格安SIMに乗り換えることができたそうだ。
ガラケーをスマホに機種変更しない人の理由も、もしかしてこの辺にあるのかもかもしれない。
では、こういう「道具」の多様化に自分はどこまでついていってるだろうか?ついていけているだろうか?
ところで私はおととし、iPhoneをやめてガラケーにしています。で、代わりにiPad mini4を購入しました。
理由は電子書籍が読みたかったから。iPhoneじゃ画面が小さすぎる。iPad miniのサイズがちょうどいいから欲しい。しかしiPhoneとiPad mini両方持っていても機能がかぶるので無駄な気がする、普段あまり通話しないし電話はガラケーでいいやと。
そこでiPhoneをガラケー(&ガラケープラン)に戻し、iPad miniを格安SIMで使いはじめました。
おかげでこれまで月8,000円以上かかっていたスマホ代が、今は2,000円程!(スマホ代にはiPhoneの分割価格も含まれる)で済み大きく節約。
iPad miniはネットも電子書籍も読みやすくて便利だし、ガラケーは充電がすごく長持ちなので災害時にはきっとありがたい(はず)。
というわけで今は満足してるけど、これに決めるまで自分にとって通話とネットとどういう使い分けがいちばんベストか、どこの会社と契約するとお得か、今どきガラケーはどこで買うのが良いかなど、いろいろ考えたし調べることに時間もかけた。
たぶん、この「格安SIMにしたいのにできない人たち」というのは、この
- 自分にとって一番最適なスタイルが何かを考える
- どこの会社のサービスが良いかを比較検討する
これらを考えるのが苦手、または考える時間がない、またはやっぱりめんどくさい、だからできないんじゃないかな。
・・・と、上から目線でそれができた私エライ!とドヤりたいところだけど、実はわたしは…白状すると、
いまだにテレビ番組を録画することができない!
私のテレビ録画知識はビデオ時代で止まったまま…。もともとあまりテレビドラマを見ないので必要としていないからというのが大きな理由だけど、去年の真田丸のように下手にドラマにハマるとこの「無知」が日曜夜の行動を束縛する…。
じゃあ調べろよ!とにかくテレビがあるんだからあとは録画機を買えばいいんでしょ?・・・え?別に録画機を買わなくてもいいの?HDDを買えばいいの?それって予約はどうやるの?他に何か必要じゃないの?
ここで思考停止してはや何年。
そこから一歩踏み出して調べるほど欲してないというのが理由でもあるけれど、「めんどくさい」が本音かもしれない。
そんなわけで私も立派な「テレビ番組を予約録画したいのにできない人」だったわけですな。
選択肢が多くなる自由と不自由
- 昔はテレビ番組をもう一度見たいなら家にビデオが必要だった。
- 昔は携帯電話を買うなら大手キャリア3社の中からしか選べなかった。
- 昔は洗濯機も冷蔵庫も、町の電気屋さんでしか買えなかった。
- 昔はダサイ制服を毎日着て学校に行かなくてはならなかった。
- 昔は親の決めた相手と見合いをして結婚しなくてはならなかった。
- 昔は結婚したら家庭に入り子育てに専念しなくてはならなかった。
- 昔は会社に入ったら定年まで働かなくてはならなかった。
ああ、なんて「昔は」選択肢が少なかったんだろう!
今は選択肢がいっぱいあって、しかも選べる自由をほとんどの人が持っている。自由に生きていいのだ!
今は「ちょっと調べれば」見逃したテレビを見る方法はいくらでもあるし、「ちょっと調べれば」町で買うよりもっと安く家電が買える。
親の決めた相手ではなく好きな人と結婚することも普通だし、子どもを産んでも保育園に預けて働けるようになった。
しかし。
選択肢が多ければ多いほど、自由度が高ければ高いほど、人は「なにやったらいいかわからなくなる」のも事実なんだよね。
- 昔はテレビを録画するにはビデオデッキを買えばよかった。
- 昔は携帯電話を買うなら大手キャリア3社の中から選べばよかった。
- 昔は洗濯機も冷蔵庫も、町で一番大きな電気屋で買えばよかった。
- 昔は制服があったので、毎朝なに着ていこうと悩まずに済んでよかった。
- 昔は親の決めた相手と見合いをして結婚すればよかった。
- 昔は結婚したら家庭に入り子育てしていればよかった。
- 昔は会社に入ったらそこで一生懸命働いてさえいればよかった。
さっきと言い方を変えただけだけど、さてあなたにとって魅力的に感じる項目はどっちが多いですか?
昔のほうが選択肢も少なくて不自由なのに、その分「やるべきことに悩まずにいられた」というのも事実。
選択肢の少なさは物事を比較せずにシンプルに選べるってことでもあったんですよね。だから歴史ドラマにはよく「これも運命(さだめ)でございます」ってセリフが出てくる。
でも今は選択肢がぐっと増えて、さらに選べる自由も手に入れている。
そうなると次は「比較検討して良い方を選ぶ」という「自分の頭で考える」ことが必要になって、たぶんこれが得意な人とそうでない人とで大きく幸福度が変わってきてしまうのではないかと思うのだ。
ゲームもリアルも世界はどんどん広くなり情報が増えていく
昔のゲームは最初に王様が「魔王を倒せ」と自分の使命を教えてくれて、次に町の人が「まず○○を手に入れろ」などヒントを教えてくれたけど、最近のゲーム(オンラインもの)は、ゲーム上に降り立っただけでは次になにをしたらいいのかわからない!というのが多い。
町の外に出て敵と戦ってレベルを上げるもよし、町の人からの小さい頼みごとを受けてお小遣いを貯めるもよし、ひとりで黙々とやるもよし、仲間とパーティーを組んで強い敵を倒すもよし。
なんでも良しと言われてもどうしていいのかわからないからネットでいろいろ調べる。まずはレベルを上げたほうがいいのか、では今のレベルで倒せる敵は?町の外に出るとしたら地図はどこで手に入れればいい?武器は?
そう、最近のゲームは「ネットで調べる」をしないとまず楽しめない。
物語の自由度が上がって、キャラクターが成長する選択肢が増えて、未来のストーリーを自分で選んで決められるようになって、結果、事前に調べたり考えたりしなくてはならないことが増え、それをしないとゲームの中で強くなれない。
- そこがおもしろい!とことんやって遊びたおそう!
- そこがめんどくさい、もう複雑すぎてついていけない。
実は私はオンラインゲームのFF11(FINAL FANTASY Ⅺ)を10年近く楽しみましたが、最初のうちは前者、最後は後者になって引退しました。(ちなみにこのブログの最初の頃の記事はほとんどFFプレイ日記です。笑)
度重なるバージョンアップでの追加コンテンツに、さらにそれを楽しむために仕入れなくてはならない情報の多さに、途中でついていく気力+時間がなくなりました。単純に飽きたというのもありますが。
今はほとんどゲームはやっていません、スマホで脱出ゲームをやるくらい。たぶん今後はもうオンラインゲームはやらない(できない)し、これから出てくるゲームでもドラクエくらいしかやる気になれないんじゃないかな。ドラクエだけは新シリーズが出てもついていける気がする。
しかしこれって、ある意味私は10年楽しんだ「趣味」を失ったということなんだ。
選択肢が広がって、より大きな世界を楽しめるようになって、でもその世界の大きさにいつか自分がついていけなくなり、その世界から出ていく。
選択肢の多さも、なんでも選べる自由も、より広い世界も「楽しもうとする自分」が居てこそのもので、その気力を失うと選択肢の多さやなんでも選べる自由さや、世界の広さはただの「めんどくさい」になってしまう。
イギリスのEU脱退とか、アメリカのトランプ大統領就任とか、いま世界では大きく広がったものが小さくなろうとしてる。
これって情報量が増えて、選択肢がたくさん増えて、世界が大きくなったことで、ちょっと疲れた人たちの「めんどくさい」の結果ともいえるんじゃないかな。
自分のかわりにAIが考え選んでくれるようになるかも
- AIが進化すれば人間は考えなくても良くなる。
- AIが進化すれば人間はもっと考えることが増える。
未来はさて、どっちに向かうだろう?
例えば最初に出たスマホを格安SIMにしたいけどどうしたらいいのかわからない人の場合だったら、
自分のライフスタイルと、月々に払える費用をインプットしてボタンを押せば「あなたが契約すべき格安SIMプラン」を、パパっと出してくれるAIが生まれるかもしれない。そこでポチッと押せば翌日すぐ使える状態で新しいスマホが届くかもしれない。
テレビ録画はすでに全録機というのがある。これがあればいつでも見たい番組を好きな時に見られる(もう少し安くなったらほしい)。そのうち「あなたにおすすめの番組」を勝手に提案し録画してくれるようになるかもしれない(もうあるかもしれない)。
たくさんある選択肢から、なにがお得か、なにが自分に適しているかを考えることは、これからはAIがやってくれて、もしかしたら自分で考えるより正しいかもしれない。
今日なにを食べたらいいのか、明日なにを着ればいいのかも全部AIが提案してくれるかもしれない。そういう日常の小さなめんどくさいことはもう考えなくて良くなるのだ。
「○○だけは自分で選びたいと思ってるんだよね」と言ったら
「え?まだ自分で選んでるんですか?」
って、「まだかまどでご飯を炊いてるんですか?」レベルで言われちゃう時代がすぐそこにやってきてるかもしれない。
考える時間を節約してできた時間で人はなにを考えるだろう?
では「今日食べる食事」や「明日着る服」を考える時間を節約して、人間はその時間をなにに使うだろう?(「時間を節約」という言葉を聞くと、私はミヒャエル・エンデの「モモ」を思い出してしまいあまりポジティブに連想できないのだけど)
その時間を人間はいわゆる「生産性」を上げることや、人生を楽しくする「クリエイティブ」なことに使えるだろうか?
考える時間を節約してできた時間でなにをする?…仕事?趣味?消費?
とりあえずそこから考えることは「自分がはなにがしたい?」だと思う。
しかしここに至るまでに考えたり調べたりする「習慣」をなくしてしまっていると、これさえAIに考えてもらうようになってしまわないかな?
「自分がはなにがしたい?」=「自分はなにをしてると幸せ?」
たぶん人は「自分で決めない人生」では、ほんとうの幸福感は得られない。AIに選んでもらうことでオトク感は得られるかもしれないけど。オトク感と幸福感はまた違うもの。
この問いだけは常に自分の中に持っていないとなにをやっても楽しめない、誰かが作ったエンタメを消費することしかできなくなってしまう。
自分で考える、自分で探す、自分で調べる、自分で決める。
これはめんどくさい。めんどくさいけどそこに楽しさと達成感を見つけられるかどうか。その先に自分だけの幸福感があるんじゃないかなと思うのだ。
いつかはそれでも、情報の多さや流れの速さに、自分の気力や脳の容量がついていけずに「その世界」から出ていかなくてはならないこともあると思う。
例えば、私の母はスマホどころか携帯電話すら持たない。母のキャパシティにはもうこれらを受け入れる場所がないのだ。
しかし母は別にそれで困ってない。
「明日銀座に12時までに行きたいんだけど、何分の電車に乗ればいいかちょっと調べてくれる?」
と私や友だちに電話で聞いて解決してるからだ。
年をとったら、あえて自分で選択肢を減らすという選択もあるんだよね。その選択もまた自分自身を知って自分でするしかない。
だからAIがもっと発達して私たちのかわりにいろいろ考えてくれるようになったら、私たちは自分自身の欲求や、自分の能力や、自分の幸福についてなど、自分の内面に向かってもっと考えなくてはならないことが増えるんじゃないかな。
そうしないと本当の幸福感を得られないから。(まあそれは今でもいえるのだけど)
ともあれ、世の中の選択肢の多さ、情報の多さ、複雑さに疲れて、シンプルでわかりやすくて刺激的な「大きな声」や「きれいごと」に惑わされるようにだけはなりたくないと思う今日このごろであります。
おすすめ本
あとがき
年が明けて真田丸ロスです。おかげでまだしばらくはテレビ録画のことは考えなくても良さそうです(笑)