大のオトナが褒め続け褒められ続けた4ヶ月で得たこと。 | Rucca*Lusikka

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昨日、夕飯のあとテレビでカンブリア宮殿を観ていたら、とある商品について中国の利用者が

「これはとても素晴らしい商品だわ!(日本語での吹き替え)」

と絶賛していました。それを聞いたゼツ(夫)が、

「日本人ってあまりこういうコメントしないよね」

と言いました。確かに「かなりいい感じ」とか「気に入ってます」は言うけれど、それは自分の感想であって、商品そのものを褒めることば…「素晴らしい商品だわ!」とはあまり言わないと気がついたのです。

なにか新しいものや、作品に触れた時、率直な感想を聞かれたら最初になんといいますか?

ことばや表現の違いも大きいけど、海外の人って褒めるのうまいですよね。インタビューとかで役者さんが監督を、監督が役者さんを、スポーツ選手がお互いを。リップサービスもあるだろうけどとにかく相手やライバルを尊敬してるという立場で褒める。

こういうのはマスコミに取り上げられる有名人がゆえの処世術でもあるでしょうが、「褒め称える」くらいが大げさではない文化が根づいてるんだろうなって感じます。

そう思うと日本人ってあんまり「べた褒め」とか「大絶賛」レベルの「褒め」ってあんまりしないですよね。(褒め殺しっていうのはあるけど)

子育てでも学校でも会社でも、「褒めて伸ばす」みたいな言葉はよく聞くけど、意外とコレ、わかっちゃいても飴よりムチのほうがありがたがられるというか・・・けっこう軽んじられていると思いませんか?

相手への愛のあるアドバイス、苦言、ご意見って?

Zorba's Falafel Platter

先日母より

お友だちの青年がカフェのワークショップみたいなことをやったので、そこでご飯を食べてきた」

という話を聞きました。が、特別美味しいというわけじゃなかったらしい。(いまどきのカフェ飯だったと思うので年寄りの口には合わなかったのではないかと思われ)

「一緒に行った○○さん(母と同年代)は「おいしいわ~!」「すごいわね~」と絶賛してたんだけど、私はそれほどおいしいと思わなかったからそこまで褒めてあげなかったわ。」

とドヤ顔で言ってました。(←基本いぢわるババァなんですよ)

まあ、母としては「これを悔しく思ってもっと頑張れ!私を喜ばせてみろ!」てな気持ちだったかと思います。

さて、このカフェごはんを褒めまくった母の友だちと、まだまだねとダメ出しした母と、あなたなら自分はどっちのタイプだと思いますか?

もちろん相手との親しさや遠慮の無さの関係性もあるかと思いますが、けっこう「愛あるゆえの苦言」的なことって言っちゃいがちではないでしょうか?

私はその辺、母似なので(うっ)今まで言ってしまってた事が多いです。

誰だってみんな褒められれば嬉しい。なのに「相手のために」と、褒めたあとでもつい、ひと言「気づいた改善点」とかそういうのを口にしてしまう。それは善意からだと自分では思ってる。

でも「褒める」って、絶賛、べた褒め、褒め称える、の100%じゃないと、本当の「褒め」じゃないんですよ。

絶賛的に「褒める」「褒められる」が、人の心にどう影響をもたらすか、というのを私は最近じわじわと感じてきてること(わかり始めてきてること)があります。

それは、2年前に通ってた基金訓練(職業訓練校のもっと小さいバージョンみたいな教室)の時のことです。

「 褒める」を実践した4ヶ月のこと

職訓に来る人って、老若男女いろんな人がいます。全員失業者なのはもちろんですが、早く次のために技術を習得しようという人、なにか学んでおきたいけどパソコンスクールだと高いから無料なのでと来てる人、失業保険を延長でもらうために来てる人も中にはいます。(面接で見ぬかれ大抵落とされますが)

私がこの基金訓練に通った動機は、その一年前に通ってた職訓の先生教え人のシゲルさんに、新しくネットショップ講座というのをやるけど受けに来ない?と声をかけてもらったからです。

前の時の授業がとてもおもしろかったので、先生の授業なら絶対にハズレはない、しかも今度はほぼ先生だけのワンマン授業。ネットショップにも興味があったし、新しい働きかたへの一歩が見つかるかもしれない!と思ったからでした。

さて、そこでの授業の1つで毎日商品の「キャッチコピー」を考える、というのをやりました。10~50個、とにかく短い時間でいっぱい考える!

そしてそのあと生徒同士で講評をしあうのですが、お約束がひとつあって、それは

「相手の書いたコピーの中からいいと思ったもの3つを選んでその理由を書く。そこには「褒める」コメント以外は書いてはいけない」

でした。平凡なコピーしかなくてもどこかいいところを探して褒める。「褒める」以外は禁止!「こうしたら?的アドバイスもNG!」

最初は難しかったです。褒めようがないものでも褒めるんですからw そして自分のしょうもない作品を無理やり?褒められた時の気恥ずかしさも。

でも毎日毎日やってくとだんだん、褒めることにも褒められることにも慣れてくるんですよね。褒めるための言葉もたくさん出てくるようになる。

こうして4ヶ月間、お互いの作ったコピーについて、大のオトナたち(失業者)が毎日褒めあっていたのでした。

:: Winter Breeze ::

そしてあれからもうすぐ2年になるのですが、あの時のメンバー(10人ほど)と先生とは、今でも時々飲み会に集まります。

歳も属性もバラバラ(国籍違う人もいましたよ)で、みんな当時は失業者ですからいわゆる「強くまっとうで立派な普通の社会人」はいませんでした。(はい、私もです!)

しかし見知らぬおっさん同士が(女性は私入れて3人だけ)ひたすら褒めあってた4ヶ月・・・あれがもたらしたものは、今でも続く地味な(基本シャイな人が多かった)つながりと、

お互いへの「好意(というとちょっと気恥ずかしい)」

だなと感じるのです。

いや、最近まで気が付かなかったんだけど、なんだろう?私はけっこう母似のいぢわる女なのですが、あの場に行くとなんか「いいひと」になるんですよ。たぶん他のみんなもそんな感じあるんじゃないかなー?

集まっても盛り上がるというよりいつもグダグダなんだけど・・・その場には「悪意」や「毒」の匂いがしないのです。

それって4ヶ月間、

ひたすら褒め合ったことの「結果」なんじゃないかなと思うのです。(もちろん全員がそうではなく修了後全くつながりのなくなった人もいるのですが)

・・・キャッチコピーが劇的にうまくなったかは謎ですが、褒め合った4ヶ月間に知らずに撒かれたものが、今じわじわと自分の中の、なにか「肯定」を司るような部分?に効いてきてるのではないかと感じています。

それって得難く大切なものなのではないかと。

褒めることの威力ってここなんですよね。これ家庭や学校・職場で、かなり真剣にやったら人間関係とかすごく改善するんじゃないかしら?ストレスや鬱やいじめもぐっと少なくなるんじゃないかしら?「褒め」は間違いなくお互いへの好意を生みますから。

多分「愛あるご意見」を言い合ったり、「こうしたらもっと良くなるんじゃない?的ひと言」を言うよりも、長い目で見れば確実に「良い変化」に繋がるということは私が保証しますよ~!

参考書籍

ハイパー情報時代の個人のセーフティネットは「いいひと」であること。それは別に「いいひと」になることではなく「いいひと戦略」を取ること。いいひとの条件は「褒め上手」。というわけで、「褒める」についてとても参考になる本でした。

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