私の通ってた高校があった町は海辺の田舎町だった。
とはいっても都内へも通勤可能範囲だし実際は田舎というほどではなかったのだけど、住んでいた町からさらに特急で何駅も「下る」のでとても田舎に感じた。
入学してひと月後にはここに来たことを後悔し、高校受験をやり直したいくらいの気持ちでいたけどそんな度胸もないまま、それでもそのうち友だちができたりして、まあなんとなく日々は過ぎ結局無事に卒業してしまった。
あまりキラキラした想い出はないけど、好きな景色があった。
部活で毎日使用していた3階の視聴覚室の窓から見える風景が好きだった。校庭のグラウンドと、その向こうの海と発電所の大きな煙突。
そんな景色を見ながら毎日毎日、下手なトランペットを吹いていた。
卒業後も時々、どこからか下手くそな吹奏楽の音が(いや上手な音でも)聴こえてくるとあの景色を思い出していた。
私の高校の3年間を絵を描いて表現するとしたらあの景色のはずだった。でも今、その風景は少し違ったものになってしまった。実際の景色が変わってしまったからではない。
9年前に父が病気になって入院した最初の病院がその町にあった。
そこは私が視聴覚室の窓から見ていた海沿いの、発電所の煙突の向こうにあった。
見舞いに行く度に悪くなっていく父の病状、参っていく母、殺風景で荒涼とした病院の風景。
「懐かしい風景」はすっかり「父が入院して最初の辛かった頃」の思い出に上書きされてしまった。
「懐かしい風景」の絵図は当時のまま心にあるのに、それを鑑賞する自分の目が変わってしまったのだ。
マチネの終わりにで思い出したこと
平野啓一郎さんの小説「マチネの終わりに」にこんな一節がある。
人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんです。
変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去は、それくらい繊細でかんじやすいものじゃないですか?
マチネの終わりに 平野啓一郎(著)より引用
物語の序盤でヒロインが、小さい時におままごとのテーブルに見立てて遊んだ思い出のある庭の石に、その後九十歳になった祖母が庭で転びその石に頭をぶつける事故が元で亡くなった、という話をする。
その話を聞いた女性が「その年齢のおばあさんならどこで転んでもおかしくないし仕方がないですよ。自分を責めなくてもいいんじゃないですか?」と慰めて言う。
「ああ、そうではなくて、子供の頃の自分がいつか祖母の命を奪う石で何も知らずに遊んでいたってことがいいたかったんです。自分を責めてるとかではなくて…」
そう答えるも、女性がそれをイマイチ理解できずにいて、ヒロインがこの話を続けるべきか迷った時、そのやり取りを聞いていた主人公が「お祖母様がその石で亡くなってしまったら、子供の頃の石の記憶だってもうそのままじゃないでしょう」と助け船?を出す。
音楽家でもある主人公はフーガの形式に例えて、音楽も未来に向かって前進するだけではなく過去に向かっても広がっていくと言う。
そしてそのあとに、上で引用した「人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでいる〜」のセリフにつながるのです。
この会話は、主人公とヒロインの出会いの場面で、ふたりが「この感覚」がわかる者同士という「運命の相手」であることを象徴している。
小説を読み終えた時、物語のラストへのいろんな思いがこみ上げてきたのだけど、それはそれとして、この【過去】というものへの考え方、捉え方がすごく印象に残った。
この感覚、どこかで感じたことがある・・・と思い出したのが冒頭のあの「懐かしい風景」のことだった。
なるほど、私の中でのあの風景は高校時代を象徴するものから父の病気の最初の辛い頃を象徴するものに変わってしまった。
でもそれは別に、だから悲しいとか残念とかではなくて、想い出の中のAだったものがA’になったことを外から認識した、みたいな感覚なのだけれど。
過去は改ざんできる
よく「過去は変えられないけど、今と未来は変えていける」という言葉を聞きます。
だから今から始めよう!
だから過去は振り返らず前を向いて進もう!
と。
これは正しい。過去にとらわれていて未来を見なかったり、今のあり方が幸せじゃない理由を過去に遡ってあそこをああしていればこうしていればと考えるのは虚しい。
だから前を向いていこう、というメッセージは正しい。
正しいのだけれど、じゃあハイと気持ちを切り替えられることばかりじゃない。
でもこの
人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんです。
変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去は、それくらい繊細でかんじやすいものじゃないですか?
という考え方は、変えられるのは未来だけというわけではないのだと気付かさせてくれた。過去も変えられる、今と未来次第で変わっていくことがあるんだ。
ちょっと別の話になるけど、漫画家の萩尾望都さんが紫綬褒章を受章した時のインタビューでのエピソードを紹介します。
萩尾先生のお母さんは、娘がレジェンドクラスの漫画家になっていてもずっと「漫画家」という職業に偏見を持っていて、漫画を描くことを「仕事」と認めなかったらしい。しかしNHKの朝ドラ「ゲゲゲの女房」を見てやっと理解し「今まで失礼しました」と謝ってきたそうだ。
それからは外で「私は娘が漫画を描くことを反対したことはありません」と言うようになり、過去を改ざんしていると(笑)
長年反対され認めてもらえなかった娘としては「調子いいなぁ」のひと言だと思うのだけど、お母さん的にはゲゲゲの女房で気付かされた娘の仕事の価値が、心の中の「過去」まで変えてしまうような衝撃だったのかもしれない。
自分の母と話していても、昔話を聞きながら時々「都合よく過去を改ざんしてるなぁ」と思う時がある。特に父入院中の出来事に。
でも80歳になる母に今さら「それは違うよ」という気にもならない。
そうやって改ざんしていける「今」が「ここ」にあるのが幸せだと思うからだ。
過去を変えていく「未来」への期待
もうひとつ。私は美術系の専門学校に行き、卒業後は5年ほどグラフィックデザイナーとして働いていたけど、その後全く関係ないアパレル販売という仕事に就いた。
そこそこ向いていたらしく販売の仕事は楽しかったけど、せっかく高い学費出してもらったのにモノにならず親にすまない気持ちが少しあった。
でもその後まさか専門学校の同級生と結婚するなんて思わなかったし、さらにまた40近くなってからデザインの仕事をしようと思うことも想定外だった。そうなると再び「専門学校に行っててよかった」になってくる。ここでも過去は変わったのだ。
高3の進路を決める時に「25までグラフィックデザイナーをやって、そこからいったんアパレル販売やって店長になって、その後は同級生と結婚し、会社をやめたら今度はwebデザイナーになるつもりだから進学しよう」なんて先々まで考えていようがない。さらに言えば当時webデザイナーなんて仕事さえない(笑)
もちろん、ずっとデザインをやっていればもっと、とか、正社員だった会社を辞めてなければもっと、とかそういう「もしも」はあったかもしれないけど、
過ぎたこと、選ばんかった道、みな、覚めた夢とかわりやせんな。
「この世界の片隅に(中)」こうの史代(著)より引用
これは「この世界の片隅に」の中のセリフだけど、本当にそのとおり。「もしも」の先は必要ない。
「もしも」と一時思い返すことがあっても、きっと未来にその過去はまた変わる。何べんも変わっていく。
きっと自分に都合よく(笑)
でもそれでいいんじゃないかな。
30くらいまではその都合良さが許せないかもしれないけど、40過ぎてくるとだんだんその訳がわかってきて、とりあえず80歳の「都合のいい過去の改ざん」くらいは全然許容範囲になってくるよ。
視聴覚室の窓からのあの「懐かしい風景」も、そのうち別の何かに上書きされていくかもしれない。
あ、マチネの終わりにはとても美しい小説でした。
あのステキな恋人たちに、悲しい過去をきっと変えるであろう未来がおとずれますようにと祈りたいです。
紹介した書籍
あとがき
今日はひな祭りですね。何も出しませんが桜餅を買ってきました♪家の近くの木蓮の花も咲きはじめてきて、春を感じるこの頃です^^