『雅子さまはあなたと一緒に泣いている』香山リカ著 筑摩書房 を読んだ。
たぶんこれまで私の雅子さまに関する情報は週刊誌の見出しレベルしかないんだけど・・・ご成婚パレードの日が、今の会社の二次面接の日で、道がとても混んでいたのを覚えています。
ものすごい高学歴でキャリアウーマンで、なおかつ美貌の女性が皇太子妃になった。
理解があり、自分を守ってくれる夫、かわいい娘、でも雅子さまの心身の健康はまだ取り戻されたとはいえない様子・・・。
本の中で著者は、決して「雅子さまの心の深層を暴く」のが目的ではなく、現代の女性たちが直面している問題を、雅子さまのケースを手がかりとして書いた、といってます。
全体をばっと初見で読んでみて、結局・・・解決がない。。。
前に、自分で自分の世代、30~40歳くらいは結婚とか仕事とか子供とかへの価値観がごちゃごちゃになってる世代・・・って思ったことがあって、ブログにも書いたことがあったけど、
そんななかで病んでいく人も多いんだろうな・・・。
「女力」というチカラって絶対あると思う。
これは何かというと、『オンナヂカラ』ですよ。(まんまやんか)
昔、戦国時代とか『歴史の影に女あり』とはよく言う言葉だけど、絶対表に出ない女の力。夫を敵に殺されながらもその敵の女となって生き延びるタイプはこの『女力』が強いんだと思う。
もともと弱い立場ゆえにそなわっている変わり身の早さとか、寄生力とか、そんなかんじ。運命に流されているようで決してそうではなく、与えられた環境に自分をすぐに適応させていける力。
今とても人気のあるマンガのNANAの主人公のひとり「ハチ」のほうなんか、典型的なこのタイプだと思うなぁ~。
私の思ったことですが、女は基本的には、育ってくる段階で『女であることの不条理』というのを自然と察知してくるような気がする。両親の関係もあるかもだけど、そうでなくても小さいころの乱暴な男の子からの暴力とか、大人たちから受ける男兄弟とは違う待遇とか、変態オヤジからの目線とか、ロリコン教師のえこひいきとか。そんな不条理を『優越』に変換していくチカラとかも『女力』な気がしますが・・・。
でもって何が言いたいのかというと、この『女力』がものすごーく強い人と、ほとんど持っていない人と、今すごい二極化してるような気がするんですよねん。
ほとんど持っていない人は、そのかわり自立出来るすべを持っている。自分に自信がある、女であることの不条理というものに、あまり気づかされることなく、努力と勉強で戦ってきた人たち。
著者はそんな女性が今、雅子さまのように『泣いている』といってる。。
勉強して、努力して、やりたい仕事につき夢をかなえた女性が、理解あるパートナーとめぐり合ってさらに幸せになる・・・。なぜそれが実現しないのか、これは皇室という特殊な環境だからではない、と。
価値観が多様化して、女の子が幸せを感じにくいのが『今』なのかな。どんな夢も努力すれば叶えられるようになった。女だからというハンデはずっと少なくなった。『女力』に頼らないで生きていける女が増えた。
でもなんとなく・・・だけど、女は『女力』があったほうが女として幸せなのかなぁ。
わかんない。時代がもっと進めばもう少しまとまるのかしらん。結局この本にも解決はこれから、としかなっていない。でも雅子さまのような女性は、例えばダンナのカードで自分の服を、なんの躊躇もなく当たり前に買える女にはなれないだろうな。
でも、ふつ~~にそれで買える女はたくさんいるのだ。
私は今、たぶんダンナのカードで自分の服を買うことはできない。ていうかそれは絶対いやだ、という自分がいる。(プレゼントでもらえるなら大歓迎だけど!)
でもこのブログを書いている快適なニューパソコンは買ってもらったものだ。私の今のお給料ではまとまった大きなものが買えない。ちょっと悔しいがやはりありがたい。。。
私が退職したのは結婚が原因のひとつだ。2年でギブアップだった。休みが合わないことが自分にとってとても大きいストレスになってしまったから。。まあいろんな行き詰まりもあったし、それを乗り越えたいと思う気力よりも、もっと二人でゆったりしたい、という気持ちのほうが大きかった。
でも心のどこかで給料が半減してしまった自分、に対して引け目を感じてしまう。。。ある意味欲張りだよね。買ってもらったPCにわ~い♪と喜びながら、自分で買えない事が少し悔しい、なんて。
その辺の自分の中の矛盾を、ちょっとずつ変わるべく方向に、落ち着くべき方向に、ゆっくり収めていくのがまた『女力』なのかな。
読後、私はなんとなくそんなことを思いましたです。。。雅子さまの事とはまったく違うことだけど・・・。