作者は佐野洋子さん、詩人の谷川俊太郎さんの奥様です。
初出版されたのが1977年となってます。もう30年も昔に出された絵本なのですが、今でもちょっと大きめの本屋さんに行けば、絵本のコーナーに大抵置いてあると思います。
どんなお話なのかというと、
100万年も 死なない ねこが いました。
100万回も 死んで、 100万回も 生きたのです。
りっぱな とらねこでした。
100万人の 人が、そのねこを かわいがり、
100万人の 人が、 そのねこが死んだとき 泣きました。
ねこは、1回も 泣きませんでした。
ねこは王様のねこだったり、船乗りのねこだったり、泥棒のねこだったり、サーカスのねこだったり、おばあさんのねこだったり、女の子のねこだったりして、何回も生まれ変わります。
どの人間のねこになっても、ねこはその飼い主なんかだいきらいでした。ねこは事故で死んだり、寿命で死んだりして、飼い主達はみんなねこが死んで泣きました。
ねこは一回も泣きませんでした。
ねこは 死ぬのなんか平気だったのです。
あるとき、 ねこは だれのねこでも ありませんでした。 のらねこだったのです。
ねこは はじめて 自分の ねこに なりました。 ねこは 自分が だいすきでした。
ねこは誰よりも自分が大好きになりました。りっぱなトラねこだったので、いいよってくるメスねこはいっぱいいました。たった一匹自分に興味を示さない白いねこがいました。
ねこは、白いねこに「オレは100万回も死んだんだぜ!」と威張りましたが、白いねこは興味なさそうです。ねこは、白いねこにたくさんアピールしましたが、そのうち、
「そばにいてもいいかい。」
と訊ねました。白いねこは「ええ」といいました。その後ねこは「オレは100万回も・・・」と言わなくなりました。
ねこは白いねこと、たくさんの子供達としあわせに暮らしました。ねこは白いねこといつまでも生きていたいと思いました。でもある日、白いねこはうごかなくなりました。
ねこは朝も夜も、百万回も泣きました。そして白いねこの隣でうごかなくなりました。
ねこは もう、けっして 生きかえりませんでした。
そんなお話です。
子供向けというよりは、大人が読んでもいろんな感想をもてるし、いろんな解釈ができるお話だと思います。
ちょっとおもしろいと思ったのが、田口ランディさんの短編小説に『百万年の孤独』というのがあります。この作品は『100万回生きたねこ』をモチーフに書かれています。
(田口さんといえば、前に盗作問題が上がった作家さんですが、この作品にはいちおう出典が書いてあります。けっこうこのひとの短編小説っておもしろいと思ってたんだけどな)
作品は↑こちらの文庫の中に収録されています。
どんなお話かというと、
主人公のアツコは8歳年下のアルバイトの大学生に惹かれてしまう。彼はなんとも不思議な雰囲気のオトコノコで、深く付き合うようになっても決して彼女を名前で呼ばない。そういう関係に慣れてないからだという。口調も敬語だ。21歳の癖にやたら女の扱いに慣れている。聞くと今までに30人の女と付き合ったことがあって、ほとんどが年上だったという。
彼はそのうち自分の部屋に住むようになる、荷物は少ししかなくて、出されたものは何でも食べて、出されなければ食べなくて、いつも本を読んでいる。この子がどんな風に大学で過ごしているのか見当もつかない。
愛してる実感も、愛されている実感もあまりない、なのにどんどん好きになってしまう。執着してしまう。
ある日些細なケンカで彼は出て行ってしまって、二度と帰ってこなかった。バイトも辞めてしまった。まるで最初から存在しなかったみたいに。
しばらく人知れず泣いて嘆いて、私は元気になった。なぜか最後まで私を提んだ感情は、嫉妬だった。
『100万回生きたねこ』は、出会った頃、彼がアツコに本屋さんで『これ読んで』と立ち読みさせた絵本だった。
アツコはこれから彼の前に現れるであろう『白いねこ』に嫉妬する。彼を悲しみのあまり殺すほど、彼に愛される女がこの世にいるとしたら、私は嫉妬のあまり、100万回でも生き返るだろう。
私は彼の飼い主だったのか。彼を100万分の一回殺したんだろうか。
・・・そんなお話です。
いろんな解釈があるなぁって思った。『飼い主』は、100万回ねこに出会っても、永遠に『白いねこ』にはなれないんだなぁ。。。
100万回も死んで、生きたねこは、白いねこに出会って、白いねこが死んで、ねこははじめて泣いた。ねこは二度と生き返らなくなった。
この絵本は単なる『ほんとうの愛さがし』なお話ではないと思う。
100万回ねこが出会った人間たち、ねこを愛して、ねこが死んで悲しんだ人たち、でもねこは彼らを愛さなかった。そして何度も生まれかわった。
うーん、この絵本を子供の時に読んでみたかったなぁって改めて思いました。