接客業なので、不特定多数の、おもに女の人に接する事が多いのですが、なんというか、『やばいオーラ』を漂わせている人がいる。このオーラの正体はなんだろう??と前に考えたことがありました。
?自分の楽しみだけを優先して、周りが見えてない。
?否定、批評好き。長所と短所の短所ばかりに目が行く。
?自分の考えが一番正しいと思い込んで、人の意見を聞かない。
それで、年とともにこういう心が強くなっていく人に、やばいオーラが出るのでは?という仮説を立てたのだけど、
どうもそれだけではないような・・・(´・ω・`)
なんかこう、『毒』のある人、というか。。。
毒といっても、毒舌とは違うのだ。言いたいことをはっきり言う、好き嫌いをはっきり言う、というのは『毒』ではない。
『毒』の正体はなんだろう??
妬みとか恨みとか嫉妬とか、そういう怨念が積もり積もってくると、人は毒=やばいオーラを出すのであろうか??Σ( ̄Д ̄;)
話は変わって・・・。
私は宮本輝先生の小説が好きで、ほとんどの小説を何度も繰り返し読んでいる大ファンなのでありますが、今年の5月に、先生の母校である追手門大学の図書館に、『宮本輝ミュージアム』が新設されて、その記念に行われた、先生の講演会に行ってきたのです。
そこでの講演のテーマは『私が書きたい小説』でした。
天台の九識論や、フロイトの話など、非常に高度な哲学、心理学、の内容でしたが、先生は関西弁のゆったりとした話し方で、ユーモアたっぷりにわかりやすく話してくれました。
私の知能とセンスではその内容を、ここで写しなおす事ができないのでもどかしいですが、生命のいちばん奥底にある『幸せになるチカラ(注・Rucca的意訳)』・・・んと、フロイトでいうと『セルフ』と呼ばれる部分らしく、九識論でいうと『阿摩羅識(アマラシキ)』と呼ばれる部分らしく・・・←聖闘士星矢でいうと『エイトセンシズ・阿頼耶識(アラヤシキ)』のさらに奥にある小宇宙?(’▽’;)
そのチカラ(チカラの存在?)を小説の中に織り込ませたい、そのような事を仰っていました。
そして、幸せになるチカラは『感謝する心』から沸いてくるものだと・・・(注・Rucca的受け止め)
その時は、というか、いままでずっと『感謝する』というのはなんか解ってるようで解ってなかった。講演の中で話された、『感謝できない事にも感謝する』というのは正直、そんなことできたらその人はホトケさまみたいな人だよな?。って思った。
でも最近になってなんとなくわかってきた気がする。
毒=やばいオーラ出してる人は、『感謝する』という心が死んでいる状態なのかもしれない。
『感謝する』心を持っているかいないか、というのはもしかしたら人が幸せになれるかなれないか、の一番大きな違いなのかもしれない・・・なんて考えたのです。(´・ω・`)
輝先生の『朝の歓び』という小説の中での一節。
『明るく振舞えて、感謝する心を忘れない人間は、きっと勝つだろうな。いっとき、地獄でのたうつような事態が生じても、その地獄のなかで勝つ。そんな気がするよ』
この一説が好きだといってた友達がいますが、私もそんな事を考えてたらこの一説のことを思い出したよ(^^)
輝先生の新しい小説、『にぎやかな天地』、買ったけどまだ読んでないです。上下巻なのできっと例によって私は一気に読んでしまうから、まとまった時間がないと・・・。
今度の休みにゆっくり読んで、また新しい宮本輝ワールドに浸りたいと思います♪