大切にされる女② | Rucca*Lusikka

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そんなわけで?私もしっかり風邪をもらってしまいました(>_<)・・・すぐに病院に行って薬をもらったのでそんなにひどくはならなそうです。もともと私はあまり風邪で寝込むことはないのですが、これは今までの仕事の影響だろうなぁ・・・。サービス業なのでシフトの入ってる日は絶対に休めなかったし、休むにしてもいろいろと手配してからでないと休めず(代わりに来れる人とかの)、その手間を考えると出たほうがマシ・・・みたいな。

でも自分はそれでいいけど、上司がそんなだとかえってスタッフはどんなに熱が出ても休みたいと言えず(自分で代わり手配なんてできないし)、ぢつわ辛い思いをさせていたのではないか?と今頃反省したりしてます。

病気の時はおとなしく休みましょう。代理がいないなら常日頃から代理になる人を育てましょう。

さてさて、この前の続き・・・『大切にされる女』について、です。

大切にされる女?はこちら♪

平安時代は『婿取り婚』が正式な結婚でした。なので女はまず実家が金持ちであること、両親に愛されて育てられていること、がお姫さまの条件でした。それプラス、この時代は一夫一妻制ではなく、家に鍵なんてものはあってないようなもので、みやびな恋のようでいて実際は『夜這い』が横行してました。

この時代、姫の貞操を守るものはセコムではなくて、いかに姫に忠実な召使を持つか、と、姫自身の『言い寄るオトコを品良く追い払う』才覚でした。さらにはそんな『みやびな恋』を実は楽しんでいながらも、そ知らぬ顔して聖女のままでいる才覚を持った姫も・・・いたかも?

平安時代のお姫さまは、まず絶対自分の姿を人に見られてはいけません。自分から行動を起こしてもいけません、立って歩くのすら『はしたない』のです。重たい十二単に着込まれて屋敷の奥深くに『存在』する『大切なもの』である事が仕事です。

でもそんな制限の多い『動けない』存在でありながら、周りを自分の思うように動かすのがお姫さまの『才覚』なのです。

前に、身体を動かせない難病の女性が養子を育てていて、『私は身体を動かせないので、心を動かすのです』と言っていた事が印象的だった話を書きましたが、平安の優れたお姫さまはみんなこの『心の動かし方』を体得していたんだろなぁって思います。

さて、平安時代の親達は娘をどんな風に育てるのが理想だったのだろう?

動くことを禁じられた姫は、一生誰かに『大切にされ』なければいけないのです。『大切にされる』女になる為に必要な教育ってなんだろう?

今の世の中ではそんなに箱入りな女なんてもう絶滅してるし、箱入りでいる価値だってない。女でもひとりで生きて行ける仕事はいっぱいあるし、自由もある。でもやっぱり『大切にされる女』と『大切にされない女』はいる。

この差って時代は変わっても、やっぱり大切にされる女になる為の教育って、親から子に普遍にあるのではないかなって思ったのです。

『源氏物語』の光源氏は、自分の娘を未来の皇后にするべく、ありったけの教育をしました。絵画や音楽を楽しむ心、美しい字で和歌を書けること、美しい和歌を読む為の教養はもちろんのこと、明るく素直に気立て良く、人の悪意なんてものには全くふれさせず、善意と思いやりに満ちた性格になるように。また娘は身分低い母から生まれたので、身分高い妻の紫の上に育てさせたのですが、育ての親の愛情を絶対に忘れてはいけないよ、と、父親としてきちんと教えた人なのでした。

とにかく女は明るく素直で、善意にあふれて、男の浮気とかにはいちいち騒がず、鷹揚で懐深い女になれ、というのが男親の理想なんだろうな。

でも、生涯源氏の浮気に苦しめられた紫の上はちょっと違う。

『女ほど、生きにくいものはないわ ―(中略)― 女は自分の自我を出してはいけないといわれ、自分を殺すように、しつけられてしまっているのだもの・・・・そんな人生に、ほんとうのたのしさや生き甲斐があるかしら。 ―(中略)― いいたいこともいわず、判断力も批判力もありながら自分を抑えているなんて、なんと辛い、苦しいことでしょう。―(後略)―』(田辺聖子著・新源氏物語(下)より)

娘の教育に高い理想と哲学を持った父親の源氏と、かつてその理想通りに育てられ、今その裏側で苦悩する紫の上・・・。

その紫の上は、源氏の生涯で最も『大切な女』なのでありました。幸せだったか?は、読む人それぞれかもしれない・・・けど、ここまで深い内面を持つ女はそう単純に『私って幸せ♪』にはなれないだろうし、そういう意味では愛と哀しみとをたくさん味わって、なおかつ最期には全て乗り越えた境地にいってしまった・・・という、特別に『幸せな人』なんだと私は感じてます。

なんかまた話がまとまらなくなってまいりましたが(^_^;)

1千年前でも今でも、男の好みに基準を置かれる『理想の女』はおんなじで、それをあてはめられる女の苦悩もかわらなくて、ただ、今ではその『理想の女』に、無理にならなくても生きていいける、というのがイイトコロで、でもその分『心の動かし方』におけるオンナヂカラはちょっと退化してる・・・みたいな。

どっちにしても、仲の良い両親から愛されて育った女の子、というのは大切にされるべく存在になるなぁっていうことを感じました。特に父親に愛されてるっていう自信は、女の子のその後の成長には大きいと思った。

『心の動かし方』スキルは『自分への自信』に依存してる。ゆったりとおおらかに素直で自己主張しないながら、まわりが自然と自分の思うように動いてくれる(実はそういう風に自然と仕向けてる)・・・こういう神業は正しく愛されて育った人間にしかできないだろうなぁ・・・。

とりあえずは昔も今も変わらないのは、女の子は『大切にされる』存在じゃないと不幸だ、ということかも。『大切にされるのにふさわしい』気位というか自信というか、そういうのを常に持っていないと。気位を高く持てば持つほど、前述の紫の上のようなモノローグが出てくるのかもしれないけど・・・そういう紫の上はとても魅力的で、源氏からもだれからも『大切に』尊敬された人なのでした。

千年前と今と比べると、認められる女の個性はどんどん増えて、どんな幸せの形だってありです。

でも、せまいせまい千年前のお姫さまの生き方から今に伝えられるもの・・・たとえばお姫さまはひとりスキルなんてゼロだし、自分じゃ何もできない、してはいけない存在だったけど、それでも自分らしく生きる為に女のやり方で、女らしく、周りを自分の思うように動かしていた。

その力がすごいと思うのです。その力がね、やっぱり女には必要なんじゃないかなーって思うのでアリマス。

そんなわけで『源氏物語』は読むほどにおもしろいです。

えーーっと、なんで『時をかける少女』から源氏物語に来ちゃったんだっけ??(ノ∀`)・・・そうそう、大人たちに徹底的にプロデュースされて売り出される、あどけない無垢な少女ってのは無敵だと思ったからなのでした。

少女はあどけなく無垢でなくちゃいけないし、大人たちは少女が永遠にノスタルジーの中の『大切な少女』になるべく、その短い時間を永遠の中に切り取る・・・その関係がね、姫と売り出す父親と、『大切な姫』を求める男たちの縮図みたい、って思ったからなのでした。

おしまい♪

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