「仮面はいつか顔になる」ということについての考察。 | Rucca*Lusikka

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さて、今回の記事は、これまでに書いてきた「自分を変えるきっかけになるもの」についての考察・ラストの「仮面を手に入れる」についてです。

過去記事はこちら(どの記事から読んでもOKな内容です)

自分を変えるきっかけになるもの・・・ひとつめは「言語を手に入れる」ふたつめは「キーメッセージを手に入れる」でした。そして3つめは「仮面を手に入れる」

「仮面はいつか顔になる」という言葉を聞いたことはありますか?

私がこの言葉に出会ったのはもう10年近く前のことなのですが、それからずっと、このことについて折々に考えています。

では!

いくつかの参考を元に、そのことについて、今まで考えたことを「現段階での私なりの考察」として書いていこうと思います。

仮面についての考察1:習慣が仮面を顔にする

2年ほど前、岡田斗司夫さんの「いいひと戦略」についての講演を聴きに行ったことがありました。すごくおもしろかったため、忘れないためにもすぐブログに感想を書きたかったのですが、その頃はリニューアル中で書く場所がなかったので、Facebookのノートにざっとメモを残しました。

いいひと戦略とはどういうことを言うのか?…ざっくりいうと、全てが可視化されるネット時代に、その恩恵を受けながらも、炎上などのダメージを極力負わずに生きていくためには「いいひと」だと思われることが最良だ!ということです。そのための「戦略」が「いいひと戦略」です。「いいひと」になろう!というのではなく「戦略」というところがミソ。

ネット上の発言や行動で、誰かを褒めるなどの「いい言動」を毎日コツコツしていくことで、まわりから「いいひと」と思われる自分になる、それこそが最大の防御力になるという「戦略」です。

詳しくはその後発売されたこちらの書籍に。

超情報化社会におけるサバイバル術 「いいひと」戦略 増補改訂版

ここで、嬉しい事に岡田斗司夫さんご本人がこのノートにコメントを下さって、さらに2つの小説について紹介して下さいました。これらがこの「いいひと戦略」という考え方のベースとなったのだそうです。

ひとつは、岡田さんが子どもの頃、国語の教科書に載っていたという「巌(いわお)の顔」というお話。

もうひとつはR・A・ハインラインのSF小説、「ダブルスター」

「いわおの顔」のあらすじは、人の顔のように見える遠くの山の岩面、その慈愛深い表情の顔にそっくりな人がいつか村にやってきて村人を幸福にするという言い伝え…主人公の少年はその人を待ち続け、毎日その顔に向かって心で語り続け、その顔の人のように生きたいと思い続け、行動し、いつしか少年は年老いた時その顔になっていた・・・というお話でした。

「ダブル・スター」は、プライド高く才能もあるけどパッとしない俳優が、姿格好が似てるということである偉大な政治家の影武者をやることになり、1回だけのはずがトラブルのためずっと影武者をしていくうちに、政治家の理念や行動、彼の仲間たちの人柄などに共感し、だんだんと彼(政治家)そのもののような立派な人物になっていくというお話です。

これらはどちらも「仮面」にふさわしい良き「行動」をしているうちに、はじめは仮面だったのがだんだんと自分の顔になっていった、というお話しですね。
自分のものではなかった「顔」が、その顔にふさわしい行動をコツコツと続けていくうちに自分の顔になっていく。

まわりの人間の「仮面」をかぶった自分に対しての態度によって、はじめはきまり悪かったのがだんだんとこなれてきて、立派なその「仮面」にふさわしい振る舞いが身についていく。

↑これ、ちょっとわかるのは、以前、私が販売の仕事をしていた頃、同じお店で「持ち上がり店長」になったんです。すなわち今まで同僚だった人が部下になった。はっきりいって微妙な半年間でした。でもその後、新しいお店に店長として赴任したらまわりは皆店長として私を扱ってくれる。やっとそこで自分は「店長」らしくなれた、ということがあったからです。

どちらも「習慣」が仮面を本物にしていくという話です。新しい「習慣」を身につけるのって結構意志の力が要ります。だけどまず「仮面」を手に入れることでその顔にふさわしい行動がとれるようになる。「カタチから入る」とか「有言実行」もこれに近い概念だと思います。

いいひと戦略とは、「戦略」といいながらも、いいひとの仮面を習慣によって顔にしていく鍛錬と言えるのではないでしょうか。

仮面についての考察2:仮面は自分を解き放つ

「フィメールの逸話 (セブンティーンコミックス)」という漫画が80年代にありました。実はこれ知る人ぞ知る系の名作なのですが今は絶版になっていて私の手元にもありません。でもかなり読み込んだのでその内容は強烈に覚えています。

まずはざっとあらすじを説明します。

国坂将の同級生の蔦井慧が交通事故で死んだ数日後、クラスメイトの天野和音が自殺をして亡くなったが、葬儀の最中に生き返るという奇跡が起こった。

大人しく目立たなかった天野和音は、生き返ったあと別人のように明るく積極的になり、将ともよく話すようになる。

ある日、和音は将に「ずっと国坂君の事が好きだった」と告白をする。

天野和音の自殺は、同じ高校に通ういとこの武史に失恋したからだということは周知の事実だった。なのに「ずっと俺を好きだった??」

思わず聞き返した将に、天野和音はこう告げる

「・・・僕は本当は天野和音じゃない。蔦井慧なんだ。事故で死んだあと、よくわからなくてさまよっていたら、天野さんが自殺しているのを見つけた。彼女の悲しみは深くいくら呼びかけても彼女の魂は戻ってこなかった。

気がついたら僕は天野和音になっていた。」

今でいう「性同一性障害」だった慧は、ひ弱で繊細でおとなしい少年だった。しかし天野和音の体で生まれ変わったことによって、見違えるように明るく積極的になっていく。

そして、男であるためにずっと秘めていた将への恋心を、「女の子として」告白できることに無上の歓びを感じている。

物語は、”息子(弟)”を亡くした両親や兄の悲しみへの慧の想い、天野和音の自殺の原因となった武史の苦しみと和音への想い、女であることを謳歌する和音の新しい魅力に惹かれながらも、慧(男)だということで心にブレーキが掛かってしまう将の想い、などが絡まり合いクライマックスに向かいます。

物語のラストはネタバレになるので控えたいのですが、原作がもう流通してないので気になっても読めない…バレをするべきか悩みますね(苦笑)

マイルドに?バラしますと、ラストで慧は、「生まれながらの女」として天野和音となり生きていくことになります。

将はその和音(慧)を優しく見守りながら、

「天野和音という仮面が仮面でなくなった今、女であることに自信を持ち、女であることを謳歌し、女であることの歓びに溢れていた、あの蔦井慧はもうどこにも居ない…」

と、ある意味哀しい感慨を持つところで物語は終わります。

この話では、天野和音という「仮面」を得た蔦井慧が、女としての生を思う存分謳歌する姿が前半に描かれています。最後の将の感慨のとおり、その「新生・天野和音」は大変に魅力的でした。

仮面は人を自由に解き放つ力がある。

「素顔」が本当は本当の自分ではない…ということってあると思います。実は「環境」が自分につけた仮面を素顔だと思いこまされている状態。

素顔のままでは本当の自分を表現できなかった人が、「環境」が変わったことによって新しい仮面を得て、やっと本当の素顔を取り戻すこともあります(社会人デビューとかがそう)

またはそれに気づき自ら環境を変えて新しい仮面をかぶろうとすることも。

または、例えば、ブログを書くことも新しい仮面のひとつかもしれない。匿名で小説を書くことも。知人が誰もいないグループに入ることも。

これは「仮面」をどんどん増やしていくということだと思う。ひとつひとつの仮面に新しい自分が宿る。新しい仮面には、瞬間・新しいパワーが生まれる。仮面によって新しい世界への扉が開かれる。

女であることが「仮面」だった時の慧の、自己を解き放った明るさ、歓び、自由さ。しかし仮面が仮面でなくなったこのあとは、慧はごくあたり前に「女であることの不条理」を自然に持たされながら「普通の女」になっていくのだろう。

仮面を被っていったん自己を開放しても、その仮面はやはりいずれ自分の素顔に紐付いていく。しかしたとえ最初の歓びや輝きがいつか失せても、それは「仮面が顔になった」ということになるのかもしれない。

 

仮面についての考察3:おそれず「仮面」を増やせ!

私が「仮面はいつか顔になる」という言葉に初めて触れたのは、小説家の宮本輝さんが山田詠美さんの小説「トラッシュ」の文庫本に寄せた解説の文章からでした。後にエッセイ集にも納められています。

 生きることに真摯であり、恋をすることに純粋であり、他者との関係において苦労人である作家の素顔は、すでに『ベッドタイムアイズ』や『ジェシーの背骨』に顕著であるが、世評が作り上げた仮の意匠は、それとはまったく次元の違う仮面を、山田詠美にかぶせてしまった。

仮面はいつか顔になるという言葉があるが、この『トラッシュ』において、いかなる仮面も、山田詠美の素顔を変えることができなかったことを証明してみせたのだ。

宮本輝著「血の騒ぎを聴け」中、”シンプルであることの猥雑-山田詠美『トラッシュ』”より引用

 

この文中では、山田詠美さんにたいして世間が貼った様々なレッテル(仮面)も、彼女の本来の人間性とその作家としての才能を覆うことは出来なかった、というような意味で使われています。

たとえば「有名になる」ということは否応なしに記号化されるということだと思います。

世間へ通りのいい『わかりやすさ』のために被せられる仮面。その「仮面」を被ること、被らされることを経て無名の人が有名になっていく。

なのであえて、自分を「記号化」させるという事も、個人としてビジネスをしていく場合には必要です。そして前回のブログで書いた「キーメッセージ」とは、「自分を語るためのメッセージ」を持つ、ということでした。

自分(+自分の仕事)を語るためのメッセージは自分で考えて作るものです。そしてそれを自ら「正しい言語」で「伝わってほしい人」に向けて伝えていく。繰り返し繰り返し、自分は「こういう事をしているこういう人間だ」ということをまわりにわかりやすく、誤解なく伝えるために。

でも「仮面」は少し違う。

仮面

仮面はメッセージよりもさらに伝わりやすい「記号」です。例えるなら聴覚ではなく視覚。

そして仮面は自分が意図しない顔を被せられてしまうことがある。そして一度被せられた仮面を自分で上書きするのはなかなか困難なように思う。しかし先の山田詠美さんへの書評にあったように、

「表現」をし続けることで「あたしの顔はこんなに単純じゃない」ということを証明していくことができる。

ひとつの仮面だけで良しとせずに、どんどん新しい仮面を増やしていける。そしてたくさんの多様な仮面の表情のひとつひとつに自分の素顔を透過させている・・・それが一流になる人ではないでしょうか。

仮面を作り被ることによって、なりたい自分、なるべき自分を「演じて」世に出て行き。古い仮面が窮屈になれば、次のなるべき新しい自分の仮面を被る。

「被った仮面」にふさわしい行動を積み重ねていくことで、仮面を顔にしていく・・・仮面はいつか顔になる

仮面がキーメッセージと違うのは、自ら被るだけじゃなくて、突然被せられることもあるということ。良くも悪くも。

たとえ意図しない仮面が被せられたとしても、その時に「これはどうせ仮面だ」と思えれば、瞬間のエネルギーを味方にできるかもしれない。そういう初動を得られれば、きっとすぐに新しい仮面に変えることができるだろう。

顔なんていくつだって増やしていいのだ!

仮面を増やして、仮面のパワーを得て、仮面を顔にしていく。

ひとつの自分でいなくてはならないなんて縛りから自分を開放して、あらゆる仮面を被っていきたい。

これが今の私が考える、いわゆる「仮面はいつか顔になる戦略(?)」です。長々と考え書きましたがやっとまとめられました^^

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山田詠美さんのトラッシュについての宮本輝さんの解説は、その解説文自体がまたものすごくとんでもなく素晴らしい美文章です…読んでて震えます。

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