最上の判断 | Rucca*Lusikka

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横浜のwebデザイナー&ライターRucca(ルッカ)のサイトです。ノート術で人生を楽しくおもしろくすることをテーマにブログを書いてます。

夏バテなのか、涼しくなった今になってちと体調を崩し会社を休んでしまいました。病院で点滴をもらって薬をもらって、安静にする事3日目、ようやく熱も下がり、腹痛も治まり、ごそごそと動き出しています。ふー、まいったまいった。。。。

ひとたび体調を崩すと、日ごろの体力の無さを痛感しますねぇ・・・お風呂で髪を洗うだけでこんなに疲れるとは、みたいな。もう少し運動しなくては。

毎週水曜日は父の病院に行くのですが、そんなわけで今日は大事を取ってお休み。病状が気にはなりますが・・・とりあえず今のところ容態は安定してるみたいなので大丈夫かな。

先だってお盆休みのとき、兄一家が父の病室にお見舞いに来たんだけど、今はもうほとんど無言無動状態の父が、義姉の顔や孫たちを見て、ほとんどあげることのなかった声をあげ、表情も笑ったんだよね。あれは絶対に笑ったんだと思う。必死になにか声を出そうとしていた。義姉がずっと父の顔を両手で包んで、微笑んでいてくれてた事も嬉しかった。

義姉は去年実のお父さんを亡くしていて、その時は3人の子供と遠く徳島にいたし、しかも兄はまたさらに単身赴任中というバラバラ状態。なかなか思うように実家にも帰れなかったし辛かっただろうなぁ・・・。

父は義姉の顔を見ながら涙を流してた。何か伝えたかったのかな・・・。

父のように症状が進んでしまうと、脳のMRIとかを見た医師は「意識はもう無いでしょう」っていうんだけど、看護師さんは「いろいろわかっていらっしゃいますよ」って言う。もちろん波もあって、私も「あ、わかってるかな?」と思うときもあるし、「あれ、今はどっかいっちゃってるかな?」って思うときもある。熱が高い時はやはり「いない」ことが多いけど、平熱で穏やかなときは「いる」ことも多い気がする。

人間の脳は、意識は、まだまだ不思議で未知な部分がいっぱいあると思う。

今の総合病院に移って1ヶ月、今まで不明だった父の病名がほぼわかってきました。でもわかったからといって現代の医学ではまだ治療方法がない、という病気でした。この病気の患者さんが一番多い某国は延命措置を行わないらしいです(国の医療がもともとそういう方針らしい※訂正しました)。なので発症からの平均寿命は4ヶ月ほどだとか。

日本では多分どんな病気であれ、食事の摂れなくなった患者には経管栄養(鼻からチューブを入れて胃に直接食べ物を送る)、胃ろう(お腹に穴を開けて胃に直接食べ物を送る)をすると思います。呼吸が困難になった患者には喉に穴を開けて呼吸器をつけます。

私は医療にそんな詳しくないから半分憶測で書いてますが、父が入院して経管栄養になったときには、病院から何も言われなかったので、特に家族の同意は求めずに治療として行うんだと思います。

実際、それで栄養状態を良くして健康を回復する患者さんもいっぱいいるわけですし。

延命治療の是非を考えるのは難しすぎて、私には良くわからないです。家族はやはり生きて欲しいと思ってしまう。それと同じくらい、早く楽にしてあげたい、とも思ってしまう。

ただ、意識不明の無言無動状態でも、あんなふうに笑ったり、涙を流す事もあるんだと思うと、簡単な線引きなんてやはり出来ないと思う。そしてそういう変化を見ただけで、家族としてはやはり泣くほど嬉しいのだ。。。

「私だったら」と置き換えて考える事はまったく難しいのだけれど、「私だったら」確実にいえる事は、私は自分が超ヘタレだってことがよーくわかっているので、だからもう、不治の病であるのなら薬で楽にさせて欲しい・・・と思ってしまうかも。

そういう思いの一方で全く矛盾してるのが、自分はもう助からない、確実に死ぬ、とわかっていても、

例えば夫が、

「絶対にそんな事は無い、あきらめてはいけない、必ず治る!最後まであきらめないで生きよう!!がんばろう!!」

と言ってくれたらどんなに心強いだろう、とも思う。

病で自分自身の戦にもう戦えなくなったとき、自分の生死は「殿〈しんがり〉」を預けた人にゆだねるしかなくなる。そしておそらく、たとえ自分の意思でないことを「殿」の人が選んだとしても、それがきっと最上の判断なのだ。そう思いたい。。。