【MYノート術8】第5フェーズは脳内リンクの鐘が鳴る! | Rucca*Lusikka

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横浜のwebデザイナー&ライターRucca(ルッカ)のサイトです。ノート術で人生を楽しくおもしろくすることをテーマにブログを書いてます。

MYノート術シリーズもなんと8回目になりました!今回はスマートノートの最初の「到達点」ともいえる第5フェーズについてです。

このシリーズは、岡田斗司夫さんの「あなたを天才にするスマートノート」を読んでスマートノートを実践中のRuccaが、ノートを書きながら感じたこと、スマートノートについての紹介&わたしの書き方の紹介、ノート術から得たこと、などなどを書き綴っています。

新連載スタート!My Notes~私のノート術について一覧はこちら

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前回の【MYノート術7】実践!スマートノート【ノートを持って町に出よ】では、先月「スマートノート塾」に参加した時に、他の人とノートについて意見交換をしたことや、講師の方からノートへのアドバイスも頂いたこと、そして新たに気づいたことなどについて書きました。

それまでノートの中身はまさに自分の脳内そのものなので、人に見せたり評価をいただくことはちょっと恥ずかしいと思ったのですが、その殻を破るのが第4フェーズで、そこから大きくノートは成長するんだと実感した、ということです。

さて、ではその第4フェーズを経てやってくるのが第5フェーズです。

第5フェーズとはなにか??簡単にひと言で言うと・・・。

EUREKA!!

わかった!!

なのです。「臨界突破」なのです。

 

第5フェーズへの移行は、これまでの第1~第4フェーズとは違って、なにか具体的な「やること」があるわけではありません。
第3,第4フェーズをずっと繰り返していると、ある日急にやってくる「状態」です。
さて、どんな「状態」でしょうか?
脳内でこれまでノートに書いた断片的な論理や小ネタ、個人的なエピソードやたとえ話。あるいは人に見せながら書いた相談内容などがひと塊になり、ある日急に「わかる」瞬間が来ます。

それは小さな「わかる」かもしれません。

一日に何度も「わかる」かもしれないし、1週間連続で毎日いろんなことが「わかる」かもしれない。

人と話していたり、本を読んでいたり、ブログを書いている時、それは急にやってきます。

「あ、そうか!」と叫んでしまうでしょう。

岡田斗司夫著「あなたを天才にするスマートノート」より引用(P162~)

今までノートに書いてきたこと・・・書いても私はけっこうすぐ忘れてしまいます。忘れてしまうんだけど、でもそれらは「書いた」ことによって自分の脳内に蓄積されていて、何かがきっかけでそれらがいっせいに繋がり始める瞬間が来る・・・!!

「あ、わかった!(繋がった!)」

と思う瞬間。アルキメデスが「Eureka!!」と叫び、喜びのあまり裸でお風呂から飛び出したように、または三重苦のヘレン・ケラーが、はじめて物に名前があることを知った時に「Water!」と叫んだように、「わかった!」には最高で最上の歓喜があるのです。

歓喜は快感です。そして幸福感です。ベートーベンの「第九」を想像してください。

人間は「わかった」を快感に思い、そしてそれに幸福を感じるのです。

では、なぜ手書きのノートを続けていくと「わかった」=「繋がった!(脳内リンク)」が始まっていくのでしょうか?

「知る」と「わかる」について

情報化社会になっても世の中には「わからない」事のほうがずっと多いです。例えば「なぜ勉強しなくてはならないの?」という子どもの問いに、100%納得させ勉強する意欲をわかせることができる大人は何人いるでしょうか?

大人になっていろんな経験を積むことによって、私たちは「知っている」ことが増えてきます。そして「知る」が増えていくほど「わかる」を忘れていってしまうのです。

いつの間にか私たちは「わかる」ではなく「知る」ことを求めるようになっている。
知識や情報を求め、検索し、調べ、流し見し、チェックする。
そんな「知る」ためのやり方ばかり続けていると、もっと複合的な、自分の中に取り込んだときに起きていた、あの「わかる」を忘れてしまうんですよね。
誰にでも得られるような情報を集めても、「わかる」は発生しません。

スマートノートに毎日書く、という行為は「あたりまえかもしれないことを、自分でいちいち言語化する」、つまり自分用にカスタマイズした「ことば」にする、という作業です。
自分で書いた「ことば」は、「知ってる」情報よりほんの少しだけリアルです。

岡田斗司夫著「あなたを天才にするスマートノート」より引用(P166)

「知る」を「わかる」にするためには、まずことばを自分のものにするという工程が必要なのです。

自分で書いた「ことば」は、「知ってる」情報よりほんの少しだけリアル。

「書く」という身体的・物理的な作業を通したことばは、ほんの少しだけ「呪」とか「魂」とか「オーラ」みたいなものを帯びてくると。

それがノート数冊分、数カ月分蓄積される。・・・回答不能でほうっておいた疑問のことば、単なる思いつきをメモしたことば、読んだ本から気に入ったフレーズを書きだしたことば、誰かが言ってたのを書き留めたことば。

それらがある分量・臨界値を超えた時に、自分しかわからない組み合わせで、いっせいに脳内でリンクする時が来ると。

bell tower

リンゴーン♪・・・とりあえず鐘を鳴らしてみました。

ではなぜそれが「手書きのことば」なのか。「【MYノート術2】手書き(描き)ノートのすすめ。」でも少し触れていますが、それは、脳は工場ではなくて「畑」であるということなんです。

効率を求めるのが「工場」、ゆっくりと収穫を待つのが「農場

手書きというアナログ作業は「農業」です。脳という畑を耕すのです。ちょっと長くなるのでそのことについては次回以降にまた続きを書きたいと思います。今回は脳内リンクについてもう少し。

※このシリーズは「スマートノート」の本をベースに書いていますので、更に詳しく気になる方は、ぜひぜひ本書をお読みになってくださいね。

私の中の脳内リンク例

さてではここで私の中に起きた(ささやかな)脳内リンクの一例をご紹介。

もともと映画や本を読んだり見たりした中で、それぞれの作品の繋がりを見つけることが好きだったりします。

ノートを書き始めるずっと前から私はブログを書いてたのですが、今思うとそのブログ(このブログにリニューアルする前の)がある意味私の「ノート的なもの」でもありました。

読書日記は当時から時々ではあるけどつけていたのですが、ブログに書くとなるとその本をより一歩深く読むことになります。そのことによってブログに書いた本は脳内に残りやすくて、本と本との脳内リンクが繋がり「わかった!」とひとり気持ちよくなる瞬間が今までにもありました。

今年の夏、松岡正剛さんの編集工学研究所で「本稽古」というのを受け、「編集」ということを強く意識する読書法を教わりました。

その時、脳内リンクとは脳内の「編集力」のことかもしれないと、本稽古がスマートノートと繋がったのです。

 

本は、「本」と「自分」の関係だけで終わらせるのではなく、

「本」と「自分(経験・感情)」のつながりをたくさん見つける。
「本」と「自分」と「場(読んでいる場所・姿勢・着ている服)」をつなげる。
「本」と「前に読んだ本」のつながりを探す。「これから読む本」へのつながりを作る。

この「つながり」が編集するということであって、そこにおもしろさがある。ということです。
これがね、スマートノートでいう「脳内リンク」につながるなって思った。そして私が考える、理想とする「おもしろき人」というのは、この「脳内リンク」をたくさん持っていて「自由自在な人」のことなんです。

当ブログ「読書とは編集すること。読んだ本を身につける「本稽古」」より引用

常にその「本」がつながってきたものや、つながっていくものを意識して読む。

例えば最近だと、このいっこ前のブログ記事「【読書】海街diaryシリーズ:吉田秋生」で紹介した、吉田秋生さんのマンガ「海街diary」シリーズの、第5巻「群青」に、こんなセリフがありました。(※ネタバレ注意!)

姉は言ったそうです

私は浅野さんの家族から夫と父親を奪ってしまった。そのうえすずという宝物まで授かったからこれ以上もらうわけにはいかない

兄は言いました

おふくろは希和子を許さないことで筋を通そうとし、希和子は許されないことであいつなりに筋を通そうとしたんだろう

だからおまえもわかってやれーーーーーと

吉田秋生著「海街diary5 群青 」より引用(P35)

背景を説明すると、香田家3姉妹の腹違いの末の妹「すず」の叔母(すず母の妹)という人がやってきて、すず母・希和子さん(妻子ある男と駆け落ちしその後すずを産んだ)が亡くなった時、すず母の身内が誰も葬儀に来なかったことへの説明します。

駆け落ちしたことで実家と縁を切ったすずの母、そして娘を決して許さずその葬儀にも来なかった祖母(でも生まれた孫娘のために密かに通帳を作っていたことが死後わかった)、、そんなお話しがあったのですが、この「許されることで救われようとしない」という生き方について、過去に読んだこの2つの小説が脳内リンクしたのでした。

それはこちらの小説です。

どちらも「許されない恋」をした女の、その一生と、その罪に対するそれぞれの「落とし前の付け方」の物語なんだけど。共通してるのはどちらも「謝ることで許されて、自分が救われようとしない姿勢」というのかな。

海街のことをブログに書こうと思って、5巻の感想などをネットでいろいろ探してた時(そうしながら結局5巻の感想が全然書けなかったんだけど)、このすず母と祖母のエピソードには不満、みたいな意見をちらほら見たんですよね。

許されないことと、許さないことで、筋を通しあって一生会えなかった母と娘。

私はこのエピソードが上の2つのブログに書いた本と重なりました。そしてそれまで「許されようとしない」「反省しない」ことで貫き通した恋の姿に、もう一つの繋がりである「筋を通す」というのが新たに加わったのでした。

もう少しいけば「わかった!」に繋がって、そうしたら人生の謎がひとつ解ける・・・かもしれませんね。

そしてもう私の中でこの3冊はセットになりました。実はこういう3冊セットが他にも私の脳内にたくさん生まれています。それは読書(映画や音楽や歴史も)が3倍楽しくなるお得感です。繋がれば繋がるほど楽しみは倍に増えていく。どんどん相乗効果でおもしろくなる!!

そんな脳内リンクから生まれるものの、ささやかな幸福感の一例(ホントささやかだけど人生がちょっと幸せになる)ではありましたが、ご紹介でした。

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