『あなたは我慢強いほうですか?』
私は我慢強くないです(>_<)
でも最近なんとなくわかってきたこと・・・というか思うことなど、つらつら。。。
私の友達A。
彼女はとある国立病院で医療事務をしていました。彼女自身は公務員ではなく、建前は『忙しいときに採用する臨時のアルバイト』ということなので、一年更新でずっと時給は変わらなかったらしい。でもベテランにはなっていくから、そこらの高給取りの公務員様よりも仕事量は増えていって、とても忙しそうだった。
会うといつもひどいアトピーで悩んでいて、仕事の話を聞くと『ひどいねそれ・・・辞めちゃえば・・・?』と内心思ったものでした。そこの医者もシステムもなんかもう腐りきってるのよね(^^;;
彼女はものすごい正義感が強く、生真面目で、環境に負けることを何よりも嫌がってた。医療事務の仕事がしたくて、願って叶った職場だったから10年は続けたい、って言ってた。そして本当に10年勤め上げた。
辞めたとたんにひどかったアトピーが治って、もともとの美貌が戻ってきてました。原因はストレスだったのね・・・。はたから見れば、女の大事な10年をあんな職場で苦労してかわいそうに、とか、もったいない、とかいう人もいるかもしれないし、私もそう思った時もあったけど、彼女自身はきっと、
『私は勝った』
という思いで、きっと後悔はしてないんじゃないかな・・・って気がする。たぶん彼女にとっては、そう思えることがファーストプライオリティーだったんだと思う。
もうひとり、友達B
彼女もなかなか我慢強い女で、ワンマン社長のいる小さな会社に勤めていたんだけど、この社長がもう話を聞いてるだけで笑えるくらいの曲者・・・(つД`)
彼女も昔、若気の至り?で一回キレて、雑巾を投げつけ帰っちゃったことがあったそうだ(次の日ちゃんと出社し謝ったらしい)。次々と採用されては2年も持たずに去っていく人たちの中、やはり彼女も10年頑張ってしまった。
『もうさすがにね?キレた!だから辞めたよ?』
とケロッと笑う姿には、やっぱり後悔は感じられなかったです。
もうひとり、私の叔母。
叔母は私の母の姉で、8人兄弟の長女でした。小さい頃から頭が良くて(学校の先生が上の学校に進ませてあげてもらえないか?とわざわざ来たらしい)、手先が器用でセンスがあって、しかも若い頃の写真を見るとすごい美人だったし昔の人にしては背も高かった。
しかし時代も時代だし、子だくさんの家の長女だし、本人の性格もあってか、ほとんど弟妹たちのために自分のことは後回しにする人だったらしい。
遅い結婚をしたら、嫁いだ家には赤木春恵もびっくりな鬼姑!そしてだんなさんはかなり変人。そんななか泉ピン子のように家業に働き、忍び、耐え、数10年。姑を看取り、だんなさんを看取り、晩年になってやっと穏やかな暮らしをおくったのでした。
子供はいなかったけど、ドケチだっただんなさん(失礼)のおかげで蓄えはあったので、自分の兄弟のたくさん住む横浜にマンションを買い、私もそこで3年ほど叔母と一緒に暮らしたのですが、叔母はまさに質素で豊かな悠々自適な日々を暮らしていました。
叔母はだんなさんの方のお墓やその他を整えたあと、自分は実家の墓に入ると遺言し、去年亡くなったのでした。もし寝たきりとかになってしまったら母が介護し面倒を見るつもりでしたが、介護をさせる暇も与えず逝ってしまいました。
母が言うには、叔母はずっと嫁ぎ先で苦労し続けてきたけど、もし離婚していたらこんな豊かで幸せな老後はおくれなかったねぇ・・・と。
叔母の気持ちを今はもう聞くことが出来ないので、ここからは私の創作でありますが、たぶん叔母は我慢できず家を飛び出していたとしても、持ち前の器用さと辛抱強さと派手好みではない堅実な性格で、その時代でも女1人で自立して生きていくことは出来たんじゃないかと思う。
たぶん本人も『やれば出来るわよ』くらいは思ってたんじゃないかな?。でもやらなかった。だからといって『ここを我慢すれば私には豊かな老後が待ってるから』と思ったわけじゃないと思う。自然な考えとして『やらなかった』のではないかな。
そしたらたまたまそんな老後がついてきた・・・そんな気がします(^^)
長生きしてみないとわからないことがたくさんあるなぁと、30半ば過ぎてやっとそんなことがちっとはわかるようになってきたかな?と思ったりして。
うまくいえないけど、この3人に共通する我慢は(まあ叔母のそれはまたスケールが違うけど)、誰かの助けとか、あとのご褒美とか、そういうのを期待してての我慢じゃないんだよね。持って生まれた性格もあるだろうけど、自然な我慢というか・・・??
3人の共通点・・・オトコ運ないです・・・ありゃ(゚∀゚;;;
『頑張れば不思議な事が起こる』
これは私の大好きな小説家の宮本輝先生の言葉です(*^_^*)ソウイウコトッテタシカニアルトオモウ。