『葡萄と郷愁』 | Rucca*Lusikka

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横浜のwebデザイナー&ライターRucca(ルッカ)のサイトです。ノート術で人生を楽しくおもしろくすることをテーマにブログを書いてます。

私が宮本輝先生の小説が好きなのはもう10年以上も前の頃からで、このブログでもいかに私が輝オタク?であるかは、ずっと読んでくださってる方はご存知かと思いますが、

愛しすぎるとなかなか感想というものは書けないもので、先生の小説の感想は今まで書いたことがありませんでした。でも今回『葡萄と郷愁』という小説を読んで、最近良く考える事の答えのようなものがあった気がしたので、自分的メモにしたいなぁと思って…さて、最後まで書ききれるか、書いてみないとワカリマセンが。

前に『オンナヂカラについて』というのを書いたことがありました。

女には古来より『オンナヂカラ』というものがどうやらあって、それは一般的な「女らしさ」とか「女子力」とはちょっと違ってて、女子力は上がってもこっちは下がっているんじゃないかと思ってて、その原因は受けてきた教育のせいなのか?そして時代の必然なのか?そもそも『オンナヂカラ』ってなんだ?みたいな事を、それからもなんとな〜くず〜っと考えてたんですよ。

幸い家庭内で私は「女の子なんだからお手伝いしなさい」的な兄との待遇差はつけられずに成長できた。普通の公立高校に小・中・高と通ってて男女平等の教育も受けた。

それでもちょこちょこと、なんとなく男と女って不公平じゃない?みたいな社会の雰囲気も感じながら育ったのでした。

で、社会に出てからは社員のほとんどが女という会社でそれなりにやりがいがある仕事をさせてもらってました。反面、一緒に働くスタッフは主婦のパートが多く、お客さんも専業主婦ばかり、という中いろいろ思うことも多かったです。

女ばかりの職場には男女の差はない?…いやあります。結局はその中で「男のように働く女」と「女のように働く女」に別れるんです。独身で正社員だと前者の役割を求められ、既婚で子持ちになると後者の役割に変わります。

私は前者の立場で働いていて、料理はできないし、掃除も苦手だし、帰りは毎日遅いし、一緒に暮らしてた叔母には『息子のようだ』とよく言われてました。

結婚するまでずっとそんな感じで、自分は結婚しても絶対仕事辞めないと思ってたくせに、この3年半のうちめまぐるしくいろんな価値観が自分の中で変わっていって、気がつくと今のこの状態に・・・。この先自分がどんな風に働きたいのかも、まだ先が変わりそうでなんだか自分でもよくわかりません。

そんななか再読して、新たに目からウロコになったのが、もう何度も読んでいた「葡萄と郷愁」

 

東京とハンガリーのブダペストで、二人の女子大生がある人生最大の決断をするまでの数時間が接点のないまま同時にスタートします。

東京の女子大生・純子は、幼馴染の恋人がいながら、数回しか会った事がない大学の先輩で今は外交官の卵としてロンドンにいる村井に手紙でプロポーズをされて『はい』と返事をしてしまった。

「未来の外交官夫人」…そんな自分の打算への嫌悪と、付き合ってきた恋人への想いの間で迷っています。結婚の意志を確認する村井からの国際電話がかかる今日の23時までに、自分の心をきちんと決めなくてはいけない。

ブダペストの女子大生・アーギは、奨学金で学ぶ美貌の苦学生で心理学者を目指して勉強しています。

そんなある日、旅行でハンガリーに来ていたアメリカ人の富豪の夫人に気に入られ「私の養女になってアメリカに来ない?アメリカでもっと勉強しない?」と誘われました。

向学心の強いアーギは自由の国でもっと勉強がしたい(当時はまだソビエト連邦がある冷戦時代)。こんな大きなチャンスはない。でも引き換えにアル中の父や、恋人のジョルトや、友達、さらに自分の祖国を捨てることができるのか?

アメリカから17時(日本時間では純子に電話がかかる23時)にかかる電話までにその答えを出さなくてはいけません。

電話が鳴るまでの数時間、彼女たちはそれぞれいろんな出来事がおこり、いろんな人に会い、そのなかでそれぞれに答えを決めて受話器をとります。

迷う純子に大学の先輩である岡部がこういいます。

『…(前略)…純子は自分の道が、どこかで見えたんだよ。外交官夫人なんて肩書きに目がくらんだんじゃない。心の奥の奥の、もっと奥にある目が、道を教えたんだ、純子にね。』

アーギはその日の朝、同じ大学の級友アンドレアが地下鉄へ飛び込んで自殺したことを知ります。ほとんど会話をしたこともないのに、アンドレアの母から娘はあなたのせいで死んだと罵られます。

原因はアンドレアの残した日記でした。アーギはアンドレアの書いた孤独で嘘だらけの日記を読むことで、アンドレアがいつも悩まされていたという『地下鉄の音』について考えます。そしてノートに『彼女の精神に巣食った地下鉄の音』『果てしもない過去における罪の音』と書きつけ…決断します。

二人の決断がどんなものであったかは、良かったらぜひ小説を読んでみてください。

その決断を彼女たちに選ばせたもの、も、それぞれの持つ『オンナヂカラ』なような気がしたんです。自分にとっての『幸せ』についての本能、というか、賢さというか。

昔読んだ時は純子がキライだった。自分はまるで悪くないような風でいてまわりを傷つけるタイプに見えて。

今読むと純子って子は、流れに逆らわず、抗わず、常に自分を変えながらも本質…自分を幸せにするものが「本当のところ何か」を知っていて、本能的にその道を選べる子なんだと思いました。

アーギはクールで優秀すぎて親近感が生まれなかったけど、こちらは逆に苦難な道の方を選びましたが(あ、ネタバレ?)、やはり本能的にどちらが自分は幸せかを深いところで知っている子だったのでしょう。彼女らしく幸せに生きていくんだろうなと思いました。

ラストシーンで、アーギの友達がいたずらっぽく彼女の前でコインを振り子のように振りながら言います。

『おお、アーギ。きみは、だんだん幸福になる。このコインをじっと見つめなさい。そらそら、だんだん幸福になってきた。ハンガリーのアーギ。駄目だよ、コインを見なきゃあ。ジョルトを見るな。コインをじっと見るんだよ』

私もいろんなことの中から自分にとってのそういう答えを、導き出せる力を磨いて(磨けるものなら)いきたいなぁと思う。ていうか今も決断して今があるんだよね。

まだまだ迷いが多いんだけど。あまり頭でっかちにならないように。

それにしても輝作品の小説に出てくる女は『オンナヂカラ』が強い人が多いんだなぁって、改めて思いました。

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