「美人」へのレッスン*モチベの上げ方 | Rucca*Lusikka

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そんなわけで?ジャンル問わず、目に付いた本、薦められた本を乱読していこうと思いつつ、とりあえず買ったもののまだ読んでない本もいくつかあったのでそこから入っていくことに。

まず手にとってみたのが、

021481610000「美人」へのレッスン
齋藤薫 著
講談社α文庫 ¥640(税別)

いや、冷静に考えると?けっこうこういうタイトルの本を買って読んでるっていうのを公表?するのは恥ずかしかったりもするのですが(ノ∀`)

齋藤薫さんというのは、美容ジャーナリストさんです。このほかの著書を読んだことはありませんが、よく美容院で出される女性雑誌で名前を見る方ですね。

佐伯チヅさんとか、藤原美智子さんとか、君島十和子さんとか、美のカリスマと呼ばれる方々の本が並ぶコーナーで、たまにはこういうのでも読んで美へのモチベを上げなくては!と思ってなんとなく手に取ったのでした。

それと、自分の化粧はかなり自己流でワンパターンになってると思うし、きちんと「習った」ことがないわけで、どっかカン違いしてる部分もあるかもしれないと思って。

てか美容部員さんが苦手だったのよねぇ。。。アイブロウを買いに来ただけなのに、気がつくともう一色のアイブロウ、マスカラ、マスカラの下地、マスカラを落とす専用クレンジング、クマを隠すコンシーラー、コンシーラー用の筆、新色だというアイライン、などなどがずらりと並べられ・・・まぁいかにパック率を上げるかが美容部員さんの腕の見せ所なんだけどさ。。。そこで意欲のある人は美容部員さんと共に成長していくのかもしれないけど、私はスタートラインでリタイアしたのでした。。。

18の時、ちゃんと化粧品くらいそろえないとと思い、バイト代で基礎化粧品一式を買いにいったら、凄腕の?美容部員さんにつかまり、あれもこれもと押しまくられ合計7万円にもなってしまい、そんなに予算がない、と言っても分割があるから、と、ローンの契約書みたいのを書かされてしまった事があったのです。

未成年だったから親の同意の印が必要なので、いったん家に帰って親に言ったら「あんたの年でそんなに高い化粧品はいらない」と怒られ、結局親の同意がなかったため契約はキャンセルできたから良かったんだけど、それ以来美容部員恐怖症に・・・(^_^;)

と、前置きが長くなりましたが、買ってみて読んだらこの本は化粧のテクニックとかお手入れのコツとか、そういう内容では全然なく、「キレイ」とか何か?「美人」とはどういう人のことを言うのか?という内容でした。

よく「心が美しければ顔に表れる」とか「美人は3日で飽きる」とか言われますが、そういう薄っぺらい美人論ではなく、わりと現実的で具体的な美人論でおもしろかったです。

なかで印象的なエピソードを紹介すると、

若い男性の話、彼は恋人がいるんだけどちょっと浮気をしてしまい、それが彼女にばれてしまった。浮気相手がきれいな女性だったのを気にしてなのか、彼女はそれからメイクも髪型も服装も、見る見るうちに垢抜けてキレイになった。そして「私と彼女どっちがキレイ?」と度々聞いてくるようになった。勘弁してよ、と思いつつも自分に非があるので彼はそれ以上言えない。確かに彼女はキレイになった、でも一時間ごとに化粧を直し、隙あらばコンパクトを覗く姿に、なんとなく「凄み」というか病的なものを感じて、すっかり辟易してしまったそうです。

美人があんなに好きだったのに、「美人って一体なんだ?」「美人なんて何か役に立つのか?」「女は形より中身だろう、やっぱり」と思うようになった。「誰が美人かを確かめる女」とは金輪際かかわりたくない、と。

元はお前の浮気がいけないんだろう!とツッコミたくもなるけど、その彼女の「私キレイ?」病は確かに鬼気迫るものがあっただろうなぁ・・・。彼女の「キレイ」は誰かと比べることで一喜一憂するキレイであって、「彼」にも「自分」にも向かっていない・・・。

齋藤氏はこういう風にまとめていました。

人はある時期どこかで”不特定多数”を卒業し、誰かひとりに向かって歩いていくべきものなのかもしれない。”ひとりが大切に思ってくれれば充分”という価値観が生まれた時にこそ、女の美しさも永遠の生命を得る。 〈中略〉  マーケティングの世界でもモノを売る時、不特定多数のために作ったモノは売れない。たったひとりの”誰か”のために作ったモノが、結果大多数の支持を得るのだなんてことが言われる。

“たったひとりに愛されればいいの”という割り切りは、そういう意味でも女を格段に成長させるのがわかるはずだ。

なるほどなーと思う反面、我が身を振り返ってみる。

結婚前と今と、化粧や服装に対するこだわりはというと・・・やっぱりかなり落ちたなぁ・・・・。増えているのは体重・・・やばいねぇ。(ノ∀`)

前に柴門ふみがエッセイか何かで書いてた言葉なんですが、石原裕次郎が亡くなったとき、奥さんがテレビに映って、裕次郎夫人といえば元女優、しかも大変な美人女優、でも今その姿は地味で質素でごくごくフツーなおばさんだった。同期の女優達がまだまだ美しく輝いてるのに、引退してるとはいえナゼここまで地味??という声があがったのに対して、

彼女は美しく着飾ったり若さを追い求めたりする必要がないくらい幸せだったんだ、と。

なるほどな?、美しい=幸せな人生、ではない、という発想もあるんだなぁ、と、当時の私は思ったのでした。そういう美しさは年季が入らないと解らないのかもしれない。

そういえばこんな不精な私でも、一時期ものすごく化粧品とネイルに凝った時期がありまして、エステも行ってたし、スヴェルトも塗ってたし(懐かしい)、10キロ以上ダイエットしたし、毎月マイナスになるくらい服を買ってたのでした。爪なんてどうして?ってくらい毎日塗ってた。

その時は確かにキレイだったとは思う・・・やせてたしw・・・でも状況は違うけど、前述の彼女に近い状態だったのかも。ただ、努力してる自分は好きだったし、ダイエットも目標が達成されていく楽しさがあった(でも見かねた親からストップがかかった・・・はたから見るとやはり病的だったのかな?拒食症にはならなかったけど、なる人の気持がちょっとわかった)。

あー、あの頃の努力のモチベは今は持てないのかなぁ・・・。

不幸が美を作るのか、いやいや幸せこそが本当の美を作るのか、この辺の矛盾というか、何を持って美と感じるのか、20代までのように見た目のキレイさだけを美とは思わなくなった、でもまだ本当の審美眼があるとはいえないのが30代の状態なのかしらん??

齋藤氏曰く、化粧品業界では30代というのは「スリーピング世代」というらしいです。

ただ美しさへの執着に大きな”開き”が出てくるのも30代だそうです。「生活」がそのまま顔に出てしまうのも30代。団地に住んでるのか一戸建てか、有職か無職か、など。これはわかるなぁ?。昔パートの採用面接をしてた時、「それまで専業主婦でした」の人は履歴書の写真だけでわかる。働いてないオーラがあるのだ。私も今それ出してるんだろうなぁ・・・(´∀`;)

で、やがてやってくる40代。40代が美しくいるカギは「与える愛の数」だと齋藤氏は言います。

自分から外に向けて、ゆったりとした愛情がいくつも出ていかないとまずい。もうそういう器になっていかないといけない年代だ、と。

あとは「私はまだまだ現役」という意識の強さだとか。女として男(夫)の前に立つ気があるかどうか、これだけである、と。

片手に”愛”片手に”女”。両手にこれらをしっかり持って歩いてる40代は、多分誰が見ても光り輝いているはずなのだ。

おお???!!な、なるほど!!(゚∀゚)ノ

片手に愛、片手に女、てことは真ん中にはどっしりと「私」がいるのですよ。うん、これは新しいモチベになる?

長くなりましたが最後にもうひとつ印象に残った文章を。

「化粧顔しかない女」にも「素顔しかない女」にもなってはいけない、と。「素顔は死んでも人に見せない女」や「化粧を全くしない、する気もない女」にもぜったいなってはいけない。

なぜなら「化粧落とし」が女を美しくするからだそうです。化粧顔から素顔に戻る時、女の中では化粧顔と素顔が見えない戦いをしてるのだそうです。「私の方がきれいよ」「いや、私よ」と。・・・女はこのとき必ず「素顔」の味方になるそうです。化粧顔よりも素顔のほうが美しくあって欲しいと願うんだって。実はその化粧顔に負けまいと思う気合が素顔を美しくするって。

そして翌朝、女は一転、化粧顔の味方になる。素顔より数段美しく化粧顔を作りたいと思う。

その繰り返し。一生その繰り返しをすることが女にとって、実は一番の美容法なのである。”素顔”と”化粧顔”が抜きつ抜かれつしながら、あなたを美しくする・・・それが”化粧”の本当の効果なのである。

なるほど??って思いました。たしかにそうだと思う!!うん、ばっちりメイクじゃなくてもいいから毎日化粧とクレンジングはしよう♪

そんなわけでなかなか為になる本でした。(*´∀`*)

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