夏の終わりのひとり言 | Rucca*Lusikka

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横浜のwebデザイナー&ライターRucca(ルッカ)のサイトです。ノート術で人生を楽しくおもしろくすることをテーマにブログを書いてます。

今日は夏休み最後の日…なわけですが、宿題に追われる子供って今はもうあんまりいないみたいですねー。ゆとり教育とかで、あんまり宿題出ないんだって。お店のお客さんがそう言ってまちた。

思い出すだけでも、計算ドリル、漢字ドリル、日記、読書感想文、図工、いろいろあったよ??。(とーい目)

アタマは悪いんだけど国語はわりと好きで、教科書に載ってる短編小説なんかは授業でやらないのでもけっこうちゃんと読んでいました。

いまでもわりと忘れられないで覚えてる短編小説ってけっこうあるな?。

『やどかりの死』・・・志賀直哉(作者思い出せなくて検索した)

『檸檬』・・・梶井基次郎(これははまって短編集を買って他にも読んだ)

『雛』・・・芥川龍之介

などなど。こういうのって教科書くらいからじゃないと読むきっかけって無いよね。

短歌とか詩とかも、普通に生活しててそんなに触れるきっかけって無いし。

前に、なんかの小説の解説だったか後書きだったか忘れたけど、田辺聖子氏が古典について書いていて、手元にないから正確じゃないですが、

例えば満月を見て、『ああ、満月だ』と思う。そこに、この満月を仰ぎながら、

―天の原ふりさけみれば春日なる
三笠の山にいでし月かも―

これはその昔、遣唐使で唐に行き、長く帰国を許されなかった阿倍仲麻呂がやっと日本に帰れることになり、揚州から出航しようとしたとき、遥か日本の水平線から上がってきた月を仰いで、故郷に帰れるよろこびを詠んだ歌・・・なわけですが、

こういう歌を思い出せることが、日本人として豊かなことではないか、というようなことを書かれていました。

(ちなみに仲麻呂さんの船は嵐に遭い唐に戻され、生涯帰国する事が出来ませんでした;;)

私が古典って面白いのかも?って思ったのは、ハタチを過ぎてからだし、そんなに詳しいという訳ではないのですが、何年か前に中島美嘉がリリースしたCD『朧月夜』の歌詞なんかも、むか?し教科書で習った時は意味不明でしたが、今聴くと綺麗な日本語だな?って思ったりします。

小中学校で古典を教えるのは、その時意味がわからなくっても、例えばゲーム感覚で覚えた百人一首が、大人になってから日本人としての感性っていうか、そういうなんか表現方法を身につけさせてくれるっていうのかなー。

だからゆとり教育でもこういうの大事にして欲しいなーなんて思ったりするんだけどね。

『最もナショナルなものこそが、最もインターナショナルになりうる』

そんな言葉を思い出しましたです。

もうひとつ、私が好きでずっと愛読している本に『逆説の日本史』があるのですが、これも日本人、日本史、日本語、についての目から鱗モノがたくさんあって面白いです。

まず、日本は言霊の支配する国である、という考えはここで初めて知りましたが、政治のニュースとか見てると本当にそうだな?って思うことがしばしばあります。

話は飛ぶけど、私が通っていた中学・高校は公立でしたが、今思うとどっちも左翼系教師の多い学校でした。日の丸・君が代は無かったし、音楽の時間も反戦歌ばかり歌ってた。

だから気がつかないうちの刷り込みなのかな?。もちろん私はアイラブ日常な平和主義者なので、戦争も核兵器も大いに反対なんですが、憲法9条は絶対にまもらなくてはならなくて、日本は戦争でアジアの人にひどい事をして、なんかそういう考えがスタンダートなものだとしばらく思っていました。

でも最近、靖国問題とか、自衛隊派遣とか、中国のデモとか見てると、なんかこう、自分の心の中に引っかかる妙な違和感みたいなのがむくむくしてくる事が多いのです。

勉強不足なことが多いので、良くわかんないんだけど。とりあえずニュースはキャスターのコメントつき系のは見なくなりました。

上手くいえないけど、もっと自分が日本人である事を思い出したい・・・そんな気持ちかな。

なんてことをぼんやり思う8月最後の日でしたん(´・ω・`)