「常識vs常識」では解決しない問題(←ちょっと大げさ) | Rucca*Lusikka

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横浜のwebデザイナー&ライターRucca(ルッカ)のサイトです。ノート術で人生を楽しくおもしろくすることをテーマにブログを書いてます。

母がプチ手術をすることになりました。ごく簡単なもので入院もなく日帰りなんですけど付き添ってほしいと言われ、日にちを確かめたら、私が前から楽しみにしていたイベントのある日でした。

まあ、仕方がない。ということで「分かった」と返事したんだけど、思うとなぜかいつも母からの「頼みごと」の連絡は、私が楽しみにしていたなにかがある時に限ってくるんだよな?と苦笑い。

電話もたいてい、めったにテレビを見ない私が正座でテレビの前に座るくらい楽しみにしている番組の放送中に限ってかかって来たりする。

 

母はメールが出来ない。もちろんインターネットもしない。なので連絡手段は電話。よって「今から電話しても平気?」というようなメッセージはなく、こちらの都合は構わずいきなりかかってくる。ごはん中とか。

 

これって、母世代の人にはあたりまえのコミュニケーションで、ひと昔前まではみんなこうだった。実家に居るとよく母宛に電話はかかってくるし、母と電話中にもたびたび「キャッチホン」が入る(死語か?)。母のコミュニケーションは電話なのだ。

 

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そして当然、突然かかってくる。メールが出来ないからというだけではなく、たとえば「電話の事前連絡」なんて想像もつかないのではないかと思う。家族ならば特に。

 

まあしかし便利な携帯電話を持ちながらも、掛ける前には「お話できますか?」とメッセージを送ってから話す(主に仕事の電話でだけど)、またはそのメッセージのやり取りから「察して」この日の電話はやめる、などなど、ツールが増えるほどに面倒なことも増えている気がします。

 

「人に迷惑をかけないようにしましょう」

 

とか「交通ルールを守ろう」とか「一日一善」とか、そんな標語のCMが子供の頃にありました。

 

満員電車でのベビーカーの是非とか、最近だと自分の子供の入学式出席で担任教師が勤務先の高校の入学式を休むとか、そういう話題がネットにあがるとすぐ「批判派VS擁護派」で不毛な争いになります。

 

これって

 

「人に迷惑をかけない」という価値観と、「別にいいじゃないか、お互いさまだ」という価値観の、それぞれの考え方の差ってことですよね。

 

前者が多い世の中だと、秩序はあるけど他罰的で、一旦はみだしたらもう「そこでは」救われなくなってしまう。でも後者だと「思いやりが大事」といいつつ結局、心臓に毛が生えた人だけが生きやすい世の中になるのでは?という気がしなくも…ない。

 

なんでこのテの話題ってすぐに「論争」になったり「炎上」したりするのかな。古くはアグネス論争とかもありましたが、最近特に「子ども」「子育て」の価値観にかかわる話題は、誰もが自分の意見を発信しやすくなった事もあってそれらを聞く機会が増えました。

だけど「問題解決」への発言は少なくて、単なる「常識大合戦」になってしまうことが多いんですよね。

 

さらに、個人がどう考えているかが一種の「踏み絵」のように思えてしまう。これは震災以降原発の話題などでも感じたことだけど。白か黒か、あっち側かこっち側か、敵か味方か、みたいに。そんなに簡単で単純なことではないはずなのにね。

 

便利と不便の「問題解決」

 

さて。こっちの都合を考えず予定を入れ、タイミングを読まず思いついた時に電話をかけてくるうちの母は、私から見ると「お互いさま」の価値観の人です。

テレビのワイドショーで、ベビーカーの話題を見れば、「私たちの時代は?」などと言い、しかし電車で泣く子が隣にいれば「べろべろば?♪」とかいってあやしてます。

 

心でどう思っていようが、困ってる人が目の前にいたら何とかしたいと手助けをするし、同じ行動でも、人によって許せたり許せなかったりすることも、別に「矛盾」ではなく「気分」。心なんて常に変わっていくし、行動のするしないも「タイミング」。

 

「人様に迷惑をかけない」でありながら「お互いさま」は、離反もするし共存もする。どっちが「常識」かで争うようなことではないんですよね。それで争うことは「問題解決」からどんどん遠ざかることになりかねない。

 

この2つの価値観が争っているようにみえるのは、当事者でもないのに「便利」の側にいると流れてきてしまう「余計な情報」を取り入れすぎているからなのかもしれない。

 

横浜公園のチューリップ

横浜公園のチューリップ。先週末見に行きました。満開できれいです?。

 

母は前に携帯電話を持っていたのですが、何回教えてもメール操作が覚えられず、結局携帯電話そのものも「あまり使わないから」と解約してしまいました(悲)

 

携帯電話を持たずメールもしない母に対しては、こっちがその行動に合わせる必要があります。例えば待ち合わせは時間と場所をしっかり決めて、場所は補欠案まで用意しておく、みたいな。

 

結局いつも私のほうが振り回されます(苦笑)

なんかあまりまとめになっていませんが、

 

「常識」が違うってまあこういうことで、

「便利」なほうが「不便」に付き合うことはある程度仕方がなくて、

「便利」から見れば「不便」はまだるっこしいけれど、

そのほうが問題解決は早い。

 

いや、しかし、それでも、やはり、人の都合を確認せず勝手にアテにしてほしくはないんですけどね!

 

先日、大学に合格した甥にご馳走してあげようと、母は甥と駅で待ち合わせをしました。しかし待ち合わせ場所を勘違いしていたのかなかなか会えず、甥と連絡を取るため相当苦労したらしい。公衆電話も今少ないですからね。見知らぬ人に「携帯電話を貸してくれませんか?」と言って断られたらしい。や?め?て?く?れ??!

 

「今どきの子は携帯持ってない相手との待ち合わせなんてしたこと無いんだから!」

 

と言っておきました。私は母に合わせられるけど10代の甥にその配慮は無理だってば。

 

少し母も「便利な方にも配慮してみる」を覚えてくれたでしょうか(笑)・・・今後、この問題解決の方法を、便利と不便の両方面からもっと考えていこうと思います(´∀`)

 

実家の電話

おまけ:実家の電話にこんな紙がありましたw

 

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