春の米沢~会津ののんびり旅:その2 | Rucca*Lusikka

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旅行日記を書くときのいちばんの注意点…それは「帰ったらすぐに書くこと」というわけで日ごろ更新はまったり気味のRuccaですが、この教訓を胸に?サクサク行きます!

前回のブログはこちら⇒春の米沢?会津ののんびり旅:その1

さて、旅行2日目のお宿は東山温泉にある「向瀧」という旅館です。こちらには2009年の秋に会津に来た時に泊まったのですが、古い歴史ある建物と素晴らしいお庭、あたたかいホスピタリティにすっかりファンになり、また来たいと思っていたのでした。(その時のブログ記事はこちら⇒会津町歩き&東山温泉へ

でもまだチェックインまでは時間があるので、桜の名所でもある鶴ケ城に行ってみよう!ということで鶴ケ城に行って来ました。

鶴ケ城

が、、やはりさすがに会津若松市内では桜はもう葉桜になっていました。それでも今年は例年よりも咲くのが1週間くらい遅かったそうです。

でも八重桜はあちこちで満開でした。きれいでしたね。

八重といえば、来年の大河ドラマ「八重の桜」は会津出身の新島八重(山本八重)さんがモデルということで、会津の街のあちこちに八重さんの展示がありました。鶴ケ城でも八重さんの生涯(おもに会津時代が中心ですが)を紙芝居にしたイベントをやっていて、見てきましたよ。

女らしく、という母親の願いをよそに、男まさりに育った少女は、
戊辰戦争の落日、会津・鶴ヶ城に500人の女たちと立て篭もり、銃を持って戦った。
その姿は後に讃えられる、「幕末のジャンヌ・ダルク」と。
その名は、新島八重。

「ならぬことはならぬのです」
たとえ「悪妻」と呼ばれようが、”不義には生きない”会津の頑固女!!

維新後、アメリカ帰りの夫・新島襄の妻となった八重は、男尊女卑の世情の中、
時代をリードする”ハンサムウーマン”となっていく。
そして会津の仲間とともに”日本初の篤志看護婦”として日清戦争、日露戦争に同行。
“戦う女武士”から”日本のナイチンゲール”へ!

国敗れてもその地で育まれた会津武士道で、生涯自分の可能性に挑み続け、
すべての人の幸福を願った会津女・新島八重と、仲間たちの愛と希望の物語。
「東北・福島に根付く不屈のプライド」で日本にエールを送る!!

NHKオンラインドラマトピックスより

男装し銃を持って、お城を守るために戦った八重を演じるのは綾瀬はるかさん。強くたくましく誇り高い八重を可憐な綾瀬さんがどう演じていくのか楽しみですね。(願わくば女性主人公の歴史大河にありがちな「実はヒロインが歴史を影で動かしていた」的展開になりませんように…)

鶴ケ城

鶴ケ城、壁や屋根をリニューアルしたばかりらしくピッカピカにきれいでした!

天守閣より

八重桜はあちこちでたわわに満開♪

鶴ケ城御堀

お堀にはたくさんの花びらが。今年の会津の桜は遅く咲いてあっという間に散ったらしく、散っても花びらが汚れていなくてとてもきれいでした。

さて、お城をしばし散策してのちお宿に向かいますがまだ少し時間に余裕があったので、東山温泉の入口近くにある会津武家屋敷にも行って来ました。こちらは会津藩家老の西郷頼母のお屋敷だったそうです。戊辰戦争の時、足手まといになるまいと、一族の妻や娘がみな自刃してしまったエピソードのある方ですよね。。。

武家屋敷の枝垂れ桜

武家屋敷にある枝垂れ桜。こちらは満開でとてもきれいでした。

武家屋敷そのものはミュージアムのようになっていて、昔のお屋敷見学という見方もできるしおみやげ屋さんも充実しています。自刃場面のお人形には驚いたけど。。。

なんか去年のGWに萩に行ってるせいか、おなじ幕末の史跡を見て、なんというか、勝者と敗者の明暗をしみじみ感じてしまいます。あちらでは明治になって偉くなった方々の立派なお髭と勲章だらけの写真がズラリと並んでいましたからね・・・。

さてさて、見学も終えて本日の宿に向かいます。お宿は冒頭でも紹介した

東山温泉の向瀧です。

向瀧お庭

中央の桜は散ってしまったけれど

向瀧お庭

枝垂れ桜はこちらも満開!これからはツツジも満開になってきますね。

向瀧お庭

国の文化庁・登録有形文化財にもなってるという建物は、頑丈な岩盤の上に建てられているらしく、古い建物ですが地震の被害はほとんどなかったそうです。

そしてHPを見ていただけるとわかりますが、床も階段も全てが徹底的に磨きこまれていてピッカピカ!温泉は源泉かけ流しで露天はないけどレトロな大理石でこちらは洋風。お湯の温度はちょっと熱めです。家族風呂もあります。

食事

お食事のメインは鯉の甘露煮などの郷土料理。お魚もお野菜もお米もおいしいです!

お庭を見学して、温泉に浸かって、美味しいお料理をいただいて、ああ日本人で良かった!そんな気分になれる旅館です。あとですね、お見送りがとっても気持ちがいい。また来たい!っていう気分にさせられます。

震災があってから、Twitterやブログなどで向瀧さんがどうなっているか気になって時々をチェックしていました。震災&原発事故直後は本当に大変だったご様子でした。福島への観光客は減っているでしょうし、原発から離れているとはいえ会津も例外ではないでしょう。それでも変わらないお庭の美しさ、変わらない建物のピカピカさ、変わらないおもてなし。

変わらずにいることがどれだけ大変だったかを思うと、とても胸が熱くなりました。また来れて本当に良かったです。今度は雪が積もる冬に来てみたいと思います。

さて旅行3日目最終日。

最終日の観光はまだ行ったことがなかった「会津藩校・日新館」にしました。会津の武家の子弟が通っていた学校です。会津藩は学問にとても力を入れていて、その武士道精神が白虎隊の悲劇につながる部分があるのですが、現代人の感覚でそれを「悲劇」と軽々しくいってはいけませんね。

会津の教え

会津のあちこちで見る「什の掟」最後に書かれているのは「ならぬことはならぬものです」

日新館

学問の殿堂、といった雰囲気。奥には孔子の廟があります。

日新館

砲術の演習場から見えるのは天文台。あらゆるジャンルの学問、武術、武道、が教えられていました。

日新館そのものは元はお城の近くにあって、戊辰戦争の時に破壊されてしまったそうです。この施設は1987年に市内から少し離れたこの場所に、当時の建物そのまま復元する形で建てられました。丁度バブルの頃ですね。バブルという時代があってよかったと思える施設です。

バブル期にできたテーマパークや箱物はその後残念なのが多い中、ここは謎アレンジなどされずまじめに再現、だけに留められています。GJです!←(なにさま?)

私の愛読マンガ「風雲児たち」的見どころは、ここにかつて長州藩の吉田松陰と、池田屋事件で会津藩士に殺された宮部鼎蔵が訪ねてきたことがあるというところですね。

そしてここで彼らを案内した会津藩の黒河内伝五郎と、長州を脱藩して諸国遊学中の若き松陰の間に、「優れた人材を生み出すことが国家100年の安泰につながる」というお互いの教育の理想への共感が生まれていました。その後の松下村塾につながる出会いだったのではないかと。

「ともあれ維新前夜の会津と長州には このようなうるわしい関係があったことを 福島と山口の友好を願って私はここに描きとどめておきたい」

と、作者のみなもと太郎さんが作中に書かれていました。私にも印象的なシーンでした。

さてさてそんなわけで今回の旅行もこれにて終わり。3年ぶりの会津をまた楽しめてとても嬉しかったです。そして最後はやっぱり風雲児ネタになってしまうなぁ(*^_^*)

ちなみに、マンガ風雲児たちで松蔭さんが会津を訪ねた時のエピソードが載ってる巻はこちら↓

もちろんオススメは「風雲児たち」全20巻+「風雲児たち幕末編」20巻(まだ未完)読破でございます(゚∀゚)ノ

ではでは、これにて今回の旅行日記はおしまい♪ひさびさ?まったり系なブログ更新でした。春の東北はいっせいに花が咲いて本当に街がきれい。山形より北には行ったことがないので、今度はもう少し時間かけてゆっくり回ってみたいな。

●おまけ●

今回買ったお土産リスト

  • 塩きんつば(佐野SAで、前に日光行った時に食べて美味しかったから)
  • かりんとうまんじゅう(甘いモノが食べたくなった)
  • かりんとうせんべい(お店の人に勧められた)
  • にんにく肉味噌漬け(試食したらおいしかった)
  • 塩麹(あんまりあちこちにおいてあるので興味から)
  • 絆チャリティーTシャツ(着るのは自宅ですな)
  • 起き上がり小法師(会津に行ったら買うでしょ?)
  • 喜多方らーめん(麺が大好き!)
  • ラーメンせんべい(味が気になったので)
  • 栃木レモン牛乳(一度飲んでみたかった)

食べ物ばかり(^_^;)

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