週末、父の四十九日がありました。
もうそんなに経つんだなぁ、というのがまず実感。よく「四十九日が済むまでは落ち着かないわね」って言われるんだけど、まぁ、そうなんだけど、でも、私は実家とは離れて暮らしているので、忙しいのは母で、母からの「あれどうしよう、これどうしよう?」の電話で私は忙しい?くらいでありました。
一度本腰入れて実家に行って、大ゴミの整理とか手伝わないとなぁ。。。
昔5人家族だった実家は今は母1人になってしまった。使わない部屋はそのほとんどが「物置」になってしまっている。実家は車が入れない狭い坂の上にあるので収拾場所が遠く、普通のゴミ出しだけでもけっこう大変なのだ。
母は、父の入院中に比べると少し元気が出てきたように思える。
父の入院中の姿はとにかくとてもかわいそうで、最後は体重が30キロも減ってしまっていて、母はとにかく「見てるのが辛くてたまらない」らしく、病院に1人で行くのを恐がるので、週に一度、私が行くときに一緒に来ていたんだけど、その時も「明日は病院に行く」と考えると、体中が震えて薬を飲まないといられなくなっていました。さらに「何をする気にもなれない」「食欲がわかない」「眠れない」と・・・。
幸い、近所の方がとても母に親切にしてくださって(前にも書いたTさんご一家ですが)毎日夕食に母を呼んでくれるのです。
母が「毎日じゃ悪い」と思って遠慮すると、「何言ってんの、さっさといらっしゃい!」と電話がかかってくるほど誘ってくれて、毎日Tさん宅で賑やかに食事ができたおかげで、病気になって倒れることなく過ごせたんだと思います。
父が転院してからは病院が近くなったこともあり、また、この病院の雰囲気が良かったこともあり(前の病院はちょっと周りの風景的にもものすごい荒涼感があったというか・・・)、ナースの方々も父のような病状の患者さんに慣れているので安心感があって、さらによく母を励ましてくれたので、母は私がいなくても病院に行けるようにはなってくれました。(1人ではやはり無理で、Tさんに付き添ってもらったりでしたが)
まだ薬の服用は必要みたいで、私も「ちょっと良くなったと思って勝手に止めちゃダメだよ」と言ってるけど、まぁそのうち時間と共に少しずつよくなってくれるといいなと思います。
とはいえ父の闘病中の母のこの状態を、私が「受け入れる」のには、実は随分大変だったのだ。ていうかいろいろあきらめたのだ。
そうはいっても、この感情ってもしかしたら、「お母さんが風邪引いてるのが認められない小さい子供」レベルの事かもしれないけどね。
いろんなことがあって、いろいろ考えさせられる事がたくさんあって、知らなかったことがいっぱいあって、知りたくなかったこともいっぱいあった。
とりあえず「やり過ごす」事にして日々を送っていた気がします。多分それが正しいんだけど(ワタシ的に)、ちょっとづつ「未消化の為」埋めていたいろんなものが、だんだん重たくなってきたので、一個一個ほどいていきたいなと思う今日この頃です。
でもいい事だっていっぱいあった。Tさん一家には足を向けて寝られないくらい感謝してるし、人との繋がりの大切さに気がつくことができた(自分にそんな人間関係が作れているか?という自問もあるけど)。
前に何かで聞いた(読んだ?)話なんだけど、「地獄の食事」と「天国の食事」の風景の話。
うろ覚えなんで正確じゃないかもしれませんが、ある人が「地獄」に行ったそうです(たとえ話ですw)。
そこではテーブルにたくさんのご馳走が並んでいるんだけど、そこにいる人たちはみんなやせ細って悲しそうにしてる。見ると、手には自分の腕の長さほどの箸がくくりつけられていて、せっかくのご馳走をお箸でつかんでも自分の口に入れられないんだそうです。
次に天国に行ってみると、やはり同じようにテーブルの上にはご馳走が並んでいて、そこにいる人はみんな手に、地獄にいた人と同じく長ーいお箸がくくりつけられている。
でもみんなふくよかでニコニコと楽しそうに笑っている。
見ると、みんなその長い箸を使って、お互いの口の中にご馳走を運びあっているんだそうです。
ある日、自分の腕に長い箸がついてしまったとき、「自分ではもう自分でご馳走が食べられない」と悲観するしかない場所にいるのか。「だったらみんなで運びあえばいい」という場所にいられるのか。。。
「今の日本」ってくくっちゃうとなんか大げさになっちゃうけど、この話、ちょっと「今の日本」への「警告」のようにも受け止められました。
他人に迷惑をかけずひとりでなんでもできるのが良いとされる世の中は、本当はとても貧しい世の中ということなのかもしれない。